第87話 示威
大陸歴一四〇七年十一月十日
行軍は驚くほど順調だった。
ヴァルターたちが切り開いた新しい道は予想以上に歩きやすく、荷車も非戦闘員も伴わない今回の行軍なら、三日は掛からないだろうという見込みは早々に現実味を帯びていた。
このまま進めば夕方には目的の村へ着く。
だが、それはそれで都合が悪い。
夕暮れ時に三十一名もの武装した集団が村へ入れば、必要以上の警戒や混乱を招きかねない。こちらは戦をしに来た訳ではなく、あくまで示威行動が目的なのだ。
ならば焦る必要はない。
俺たちは街道脇で野営し、一夜を明かした。
そして翌朝、朝靄がまだ僅かに残る中、三十一名の部隊は隊列を整え、目的の村へと足を踏み入れた。
やはり村の朝は早く、畑へ向かう者や家畜の世話をする者、薪を運ぶ者などそれぞれが朝の仕事へ取り掛かっていた。だが武装した俺たちの姿を見付けるや否や、その空気は一変した。
男たちは慌てて集まり、鍬や鋤、木槌といった農具を手に村の入口へ集結する。
武器とは呼べないが、それでも自分たちの村は自分たちで守るという意思だけは十分伝わってきた。
俺は馬上から、その向こう側へ視線を向けると、建物の陰や柵の裏には、手には石を持つ女や子供たちの姿もあった。
いつでも投げられるよう構えながら、こちらの様子を固唾を呑んで見守っている。
以前この村を訪れた時にも感じた違和感が、今日改めてその印象は間違っていなかったと確信に近いものとなる。
男たちの前へ出る速さや、女や子供たちの配置。
互いに声を荒げることなく、それぞれが取るべき行動を理解しているような動き。
日頃から村全体で有事への備えが出来ている証拠だろう。
もちろん、自分たちの身は自分たちで守るという考え自体は珍しいものではない。
だが、ここは曲がりなりにもバウム領の統治下にある村だ。
その割には警戒が行き届き過ぎている。
以前から抱いていた疑念は、むしろ深まるばかりだった。
しばらく互いに動かず向かい合っていると、前へ並んでいた男たちが左右へ分かれ、その間を縫うように二人の男が姿を現した。
一人は白髪交じりの老人で、もう一人は、がっしりとした体格をした壮年の男で腰には剣を提げていた。
年齢の違う二人だが、迷うことなく前へ出て来たところを見ると、この村を代表する人間なのだろう。
「この村へ何の御用でしょうか」
老人が穏やかな口調で問い掛ける。
「御覧の通り、小さな村です。差し出せるような物など何もありませんぞ」
「それでも奪うというのであれば、こちらも相応の対応をさせていただく」
老人の言葉を受けるように壮年の男が続けると、背後に並ぶ男たちが一斉に農具を握り直した。
威嚇のつもりなのだろうが、こちらもその程度で怯むために来た訳ではない。
俺が口を開くより先に、ゼダンが馬を半歩前へ進めた。
「安心されよ。我らはこの村を襲うために来たのではない」
その一言だけで、村人たちの張り詰めた空気が僅かに揺らぐ。
「そこの街道では、近頃賊による被害が出ている痕跡を繰り返し確認している」
そう告げるゼダンの横顔を見ながら、俺は心の中で苦笑した。実際に荷車の焼け跡を見付けたのは春に一度だけだ。
それ以外は、俺たち自身が商隊を襲撃している犯人なのだが、もちろんそれをわざわざ相手へ話す必要はない。その辺りを勝手に結び付けてしまえば、こちらのこの行動にも十分な名分が立つ。証拠がない以上、理屈はこちらで作ってしまえばいい訳だ。
「領主による賊討伐が行われるまでの間、更なる被害を防ぐため、我らは自警団として街道の巡回を行うことにした」
ゼダンは胸を張り、村人たちをゆっくりと見渡した。
「今回は、その巡回に伴う顔見せだ。今後も定期的にこの周辺を見回ることになる」
そこでゼダンは言葉を切った。
俺も同時に、村人たちへ意識を向ける。
昨夜、ゼダンから言われていた。
――総帥は私が話している間、相手を見ていてくれ、と。
最初は何故そんなことを言うのか分からなかったが、今なら理解できる。
村長らしい老人も、隣の壮年の男も表情一つ変えない。
それでも後方に控える村人たちまでは隠し切れなかった。
「賊」「巡回」の二つの言葉が出た瞬間、数人の肩が僅かに揺れ、互いに目を合わせる者までいた。ほんの一瞬の反応だった。
それは証拠と言うには弱いが、疑いを深めるには十分過ぎる反応だった。
「その過程で今後は勝手ながら、村の中の様子を確認させて貰う事も出るかも知れん。理解と協力を頼む」
村長は僅かに眉を寄せた。
「巡回については理解しました。ですが、村の中まで見て回るというのは、少々話が違うのではありませんかな」
穏やかな口調だったが、その目には警戒が浮かんでいる。
ゼダンは表情一つ変えずに頷いた。
「今すぐという話ではない。あくまで今後、万が一に備えてという話だ」
「万が一?」
「例えば、この近辺で再び賊の被害が出たとしよう。その際、近隣の村も確認する必要が生じるかもしれん」
その言葉に、壮年の男が一歩前へ出た。
「何故だ。我らを疑うということか」
「疑うためではない」
ゼダンは即座に返す。
「守るためだ」
「……守る?」
「賊が村へ紛れ込んだ場合、早く見つけることができれば村人への被害も抑えられるだろう」
壮年の男は鼻を鳴らした。
「そんな賊などに侵入を許すような下手は打たん」
「本当にそう言い切れるかな」
ゼダンは静かに問い返す。
「もし家族を人質に取られた村人がいたとしたら。皆へ相談することもできず、密かに賊を匿うことになったとしても、それでも決して起こり得ないと言い切れますかな」
男の表情が僅かに険しくなる。
「うちの村にそんな者はおらん」
「そう願いたいものではある」
ゼダンは一つ頷いた。
「だが、人の情というものは理屈だけでは動かぬ。家族を救うためなら、誰しも誤った選択をしてしまう可能性がある」
村長は静かに口を開いた。
「それでも村のことは村で解決します」
「ほう」
ゼダンは今度は村長へ視線を向ける。
「つまり、賊が入り込んだとしても、外の者の手は借りぬと?」
「その通りです」
「村人を危険へ晒すことになっても?」
「それでもです」
村長の返答に迷いは無かった。
壮年の男も隣で大きく頷く。
「我々はそうやって、この村を守ってきた」
その言葉に、後ろの男たちも農具を握る手へ力を込めた。
ゼダンはしばらく二人を見つめると、小さく息を吐いた。
「……分かった」
それ以上押し問答を続けることはしない。
こちらの目的は、この場で村へ踏み込むことではない。
村側が最後まで拒絶する姿勢を見せた。それだけでも十分な収穫だった。
ゼダンはこちらを振り返ると、事前に打ち合わせていた通り、小さく目で合図を送ってきた。
俺は頷き、一歩前へ馬を進める。
「総帥」
ゼダンは恭しく頭を下げた。
「村の者はこのように申しております。危険を未然に防ぐためには、村内も確認すべきと私は考えますが、如何致しましょう」
その言葉に、村人たちの視線が一斉に俺へ集まった。
今まで話をしていたゼダンよりも年若い俺が、上位者だと理解したのだろう。
驚きの色が隠せていない。俺は老齢の男の方へ向き直った。
「あなたはこの村の村長か?」
「はい。私が村長を務めております」
少し戸惑った様子ながらも、首肯する。
「ならば村長。あなた方の考えも分からない訳ではない」
ゆっくりと言葉を選びながら続ける。
「そもそも今回は村の中を確認する予定も無かった。注意を促すだけで十分だと俺は考えている」
「総帥のお考えがそうであれば、そのように致しましょう」
ゼダンが一歩下がる。
それを見届けてから、俺は改めて村人たち全体へ向かって声を張った。
「ただ一つだけ、村長には伝えておきたいことがある」
奥に並ぶ者たちへも届くよう、辺りを見渡す。
「今後、我々はこの街道を定期的に巡回する。そして、その規模を広げるため、この街道には順次この活動に参加する予定の我々の仲間が、荷馬車を連ねて往来することになる」
村人たちは黙って耳を傾けている。
「男だけではない。女も子供も、この街道を通ることになるだろう」
そこで一度言葉を切った。
「その者たちへ害が及ばない限り、我々も無理に村へ立ち入ろうとは考えていない」
村長が口を開く。
「害、と申しますか。それと我々の村が何の関係を持つのでしょう」
「それを確かめるためだ」
俺は静かに答えた。
「何かあれば、その近隣を調べる。当然、何も見つからなければ範囲を広げる。おかしな話ではないだろう?」
すると壮年の男が一歩踏み出した。
「だから何故、その話をわざわざこの村へする」
僅かに怒気が滲んでいる。
俺は肩を竦めた。
「この村だけに話している訳じゃない」
その一言で男の動きが止まる。
「我々は巡回すると言っただろう。この街道沿いの村すべてへ、同じ話を伝えて回っている」
実際はこの村が最初だが、この後他でも同じことをするのだから嘘ではない。
「何も無ければ、それで終わる話だ」
俺は村長を見る。
「だが、もし害が起きれば、その周辺を調べる。それは誰が相手でも変わらない」
しばらく沈黙が流れた。
やがて村長は小さく息を吐き、静かに頭を下げる。
「……分かりました」
壮年の男は納得していない様子だったが、それ以上口を開くことはなかった。
こちらの目的は果たした。
俺たちがこの街道を巡回すること。
そして、この街道を通る仲間へ手を出せば、周辺一帯を調べる。
その二つだけは、村人全員へ十分に伝わったはずだった。
話を終えた俺たちは、長居をすることなく村を後にした。振り返れば、村人たちはまだ入口に立ったまま、こちらの動きを見送っている。
その視線を背中に感じながら街道へ戻ると、俺は馬を並べるゼダンへ声を掛けた。
「これで賊行為をやめるかな」
ゼダンは前を向いたまま静かに首を横へ振る。
「これだけでは無理でしょうな」
「やっぱり?」
「ええ。一時的には躊躇するでしょう。ですが、生活が立ち行かなくなれば、それどころではなくなります」
その言葉に、俺も苦笑するしかなかった。
結局、相手にも相手の事情がある。今日の示威だけで全てが解決するほど、世の中は単純ではない。
「じゃあ、繰り返すしかないか」
「それが最善でしょうな」
ゼダンは力強く頷く。
「それと、出来るだけ多くの人数で巡回することも重要ですな」
「人数?」
「ええ。本日も五、六名ほどで来ていたなら、村人たちは話し合いではなく、囲んで始末する道を選んでいた可能性があります」
なるほど、と素直に頷いた。
村には男手が多く残っていた。だが、それと戦える者の数は別だ。
俺たちも以前、避難民の男たちを戦力として数えようとしたことがあったが、実際には数合わせ以上の意味は持たなかった。
それは恐らく、あの村も同じなのだろう。
三十一名という軍装を整えた集団だからこそ、力尽くではなく対話を選んだ。
「この規模を維持して巡回する必要があるね」
「ええ。それが宜しいかと」
しばらく街道を進んだところで、俺はふと思い付いたことを口にした。
「このままバウムゼンまで行く?」
だが、ゼダンはすぐに首を振る。
「それは避けた方が良いでしょうな」
「理由は?」
「近付き過ぎれば、今度は我々が何者なのかを詮索されます。今はバウムゼンの少し手前の村々へ存在を知らしめるだけで十分です」
「そっか。俺たちも色々面倒な立場だったね」
ゼダンは小さく笑った。
「その通りです」
結局、その後も俺たちはバウムゼンへ近付き過ぎない範囲で街道沿いの村々を巡り、同じように巡回と警告を繰り返していった。
数日を掛けて示威行動を終えると、俺たちは目的を果たしたと判断し、拠点への帰路に就いたのだった。
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