第85話 実りを祝う夜
大陸歴一四〇七年十一月四日
外へ出て作業をしていた者たちが、日が傾き始める頃になると次々と拠点へ戻って来た。
肩へ斧を担いだ者。土に汚れた鍬を抱えた者。荷車を押しながら談笑している者。
それぞれ疲れた表情ではあるものの、どこか足取りは軽い。
今日は皆が待ちに待った収穫祭の日だからだ。
本来であれば、ヨアヒムたち交易班が戻った直後に開く予定だった。
だが、その予定は少しだけ後ろへずらし、ようやく今日開催することになった。
理由は伐採班の要望だった。収穫祭の話をヴァルターへ伝えた時、意外な言葉が返ってきたのである。
「数日だけ待ってもらえませんか」
聞けば、街道予定地の伐採作業が間もなく一区切りを迎えるらしい。
ここから先は伐根や地均しが中心となり、作業内容も大きく変わる。
「皆の気持ちを切り替える意味でも、その区切りでやれたら有り難いです」
そう言われれば、断る理由など無かった。
収穫祭は俺がやりたいから開くものではなく、皆で頑張った成果を皆で喜ぶための場だ。
伐採班も拠点の大事な仲間だ。せっかくならそちらも区切りに成るのを待って共に喜ぶ方が余程意味がある。
そういう訳で、収穫祭は伐採班の区切りに合わせて数日延期となった訳である。
もっとも、それに文句を言った者もいた。
いや、正確には三人だけだ。
言うまでもない。ティム、リッキー、ウォルフである。
「あと数日なんて待てねえ!」
「酒だけ先に飲ませろ!」
「収穫はもう終わってるじゃねえか!」
三人とも言っていることは微妙に違ったが、要約すれば「早く酒を飲ませろ」でしかなかった。
しかも本人たちは「皆の総意だ」と胸を張っていたが、実際には他の誰からもそんな話は出てこない。
むしろ、「せっかくなら伐採作業の区切りを待って」と賛成する声の方が多かったくらいだ。
当然俺も同意見なので、三人の要望は却下した。
すると今度は三人揃って何やらぶつぶつ言い始めたのだが――。
「……」
ゼダンが無言で三人を見た。
それだけで途端に三人とも口を閉じ、何事も無かったかのように仕事へ戻っていく。
「……相変わらず凄いね」
思わず苦笑すると、ゼダンは平然と答えた。
「話せば分かる者たちですので」
いや、ゼダン話してないから。睨んだだけだからね。
まあ、こういう時のゼダンは本当に頼りになる。
……人事案の最後だけは、見事に俺へ押し付けて逃げたけど。
あの件は、まだ忘れてないからな。
先日皆へ通達した拠点内の組織改編は、一応受け入れられたと言って良いのだろう。
一応というのは、想像していた通り、愚痴とも文句とも付かない話がちらほら俺の耳へ入ってきているからだ。
俺の耳まで届くということは、実際にはもっと多くの者がどこかで話題にしているのだろう。
とはいえ、大きな混乱は起きなかった。
心配していたヨアヒムの交易班長就任も、「あいつなら仕方ない」という空気が強かったらしく、表立った反発は聞こえてこない。
マティアスやゼダン、ヴァルターへ役職が集中していることについても、これまでの働きを見てきた者が多いからだろう。納得とまでは言わずとも、受け入れている者が大半だった。
逆に不満が集まったのは、子供二人だった。
養鶏班を任せた男の子と、燃料班を任せたトビアスの妹。
十歳と八歳の責任者。その下で役職の無い大人が働く。
面白くないと感じる者がいる気持ちも、分からなくはないが、それは肩書だけを見た話だ。
トビアスの妹は、誰に命じられるでもなく薪集めを始めた。
「あの程度なら誰でもできる」
そんな声も耳に入ったが、それなら何故、その『誰でもできること』を誰もやらなかったのだろう。
我が拠点は人手不足だ。
八歳の女の子が手伝ってくれるだけでも十分助かる状況で、自分から不足へ気付き、行動へ移した。その事実こそ評価されるべきだと俺は思っている。
養鶏班の男の子も同じだ。
最初に渡したのは雄鶏一羽と雌鶏三羽だけ。
そこから試行錯誤を重ね、柵を建て、小屋を改良して鶏を増やし、先日はローザが鶏肉料理を振る舞えるところまで形にしてくれた。
近いうちに、皆の口にも届くようになるだろう。成果は、確実に積み上がっている。
それなのに、見えないところで「子供には無理だ」「鍬も振れない」「荷物も運べない」と口にする者がいる。
指示を待つだけの者が、自ら考え、不足を補おうとした者や、試行錯誤する者を笑う。
そんな文句しか言わない人間を責任者へ据えなかったことに関して、決して俺は間違っていなかったと思う。
もちろん、この話を今日ここで持ち出すつもりはない。
収穫祭は、皆で実りを喜ぶ日だ。浮かれている時に説教を始めても、誰の心にも残らない。
この件は、祭りが終わり、皆が落ち着いた頃に改めて話そう。
忘れないようにしておかなければ。
そんなことを考えているうちに、料理が運ばれ、机が並べられ、盃や器も用意されていく。
気付けば、収穫祭の準備はすっかり整っていた。
さて、今日は細かいことは忘れて、皆で初めての収穫を祝おう。
皆が席に着き、料理も酒も並び終えたところで、進行役を買って出たゼダンが一歩前へ出た。
「皆、本日は――」
そこから始まった話はとても長かった……。ここに拠点を構えて、初めての収穫を迎えられたこと。ここまで皆で力を合わせてきたこと。畑を耕した者も、狩りへ出た者も、道を切り開いた者も、誰一人欠けては今日という日は迎えられなかったこと。
一つ一つはもっともな話だ。
もっともなのだが――。
皆の視線は、料理と酒へ向いていた。盃を持ったまま待ち続ける者。早く飲みたそうに喉を鳴らしている者。特にティムたち三人は、乾杯を待たずに飲みだしそうな勢いである。
うん。皆の気持ちはよく分かる。
そして、ようやくゼダンの話が終わった。
「では最後に、総帥より一言お願い致します」
来た。一言と言われても、ゼダンの言う「一言」は信用ならない。
以前、本当に一言だけで終わらせようとしたら怒られたことがある。
恐らくゼダンの中では、演説くらい話してようやく「一言」なのだろう。
だが、今日の俺は負けない。
俺は盃を軽く掲げた。
「皆、お疲れ様! 初めての収穫を迎えられたことを皆で喜ぼう。今日は思い切り楽しんで、また明日から頑張ろう。――乾杯!」
「「「乾杯!」」」
一斉に盃が掲げられ、拠点中へ歓声が広がる。
その瞬間、皆が一斉に酒や料理へ手を伸ばした。
「総帥、こういう場ではもう少し――」
やはりゼダンが何か言い掛ける。
俺は苦笑しながら器を差し出した。
「ゼダンも、乾杯」
「……はあ」
呆れたように溜め息を吐いたゼダンだったが、小さく笑うと器を合わせてきた。
「乾杯」
その一言で十分だった。宴は一気に熱を帯びる。
酒を手にした大人たちは大騒ぎを始め、あちこちで笑い声が響き渡る。
料理も思っていた以上に賑やかだった。
今回収穫した豆や人参、ビートが並び、食卓を彩っている。
肉も少し多めに用意した。
ただ、それだけで終わっていたら物足りなく感じただろう。そんな食卓へ良い変化を加えてくれたのが、ヨアヒムたち交易班の持ち帰った干し魚と干し貝だった。
酒にもよく合うらしく、大人たちの手が次々と伸びていく。
肉はもう食べ慣れた味だ。
だが、久しぶりの魚介は皆にとって特別だったらしい。
……そう考えると、ヨアヒムは本当に良い物を、良い頃合いに持ち帰ってくれた。
あれも立派な交易の成果だったのだろう。
宴も少しずつ盛り上がり始めた頃だった。
「砦主……いえ総帥、まだ慣れませんね」
そう言いながら、マティアスが酒の入った盃を二つ持って歩いて来た。
「ご一緒にどうですか?」
俺はその差し出された盃へ手を伸ばすか迷ったのだが、答えを出す前に阻まれた。
「まだ総帥に酒は早い」
横からすっと手が伸び、ゼダンが当然のように盃を受け取ったのだ。
「総帥はまだ十四歳だ。この辺りでは酒は十五の成人を迎えてからというのが習わしだ」
「やはりそうだよね。俺も飲んでみたいのは山々なんだけど」
肩を竦めると、マティアスは少し驚いたような顔をした。
「そうでしたか。確かレオンは湖賊の宴会で飲んでいたような気がしましたが……」
「え?」
思わず目を丸くする。
「あいつ、飲んでたの?」
「あ……」
マティアスの表情が固まった。
「今のは聞かなかったことに――」
「いや、聞いたからね」
「参ったな」
困ったように頭を掻くマティアスを見て、思わず笑ってしまう。
だが、そのやり取りを聞いていたゼダンが苦笑しながら口を挟んだ。
「レオンは構わん」
「なんでさ?」
「確かに十五を過ぎてからというのが、この辺りの習わしだ。だが、絶対の決まりではなく、各家庭の判断による。ただレオンの父はティムであり。総帥の父はサエル様だ。この差は大きい」
「そういうもの?」
「ええ。総帥、考えてもみてください。あのティムが『十五になるまで酒を飲むな』などと言うと思われますか?」
「……言わないね」
考えるまでもなかった。
「むしろ積極的に勧めそう」
「でしょうな」
ゼダンも納得したように頷く。
「ですが、サエル様はファビオ様にもセアド様にも十五になるまで絶対に酒を口にさせませんでした。総帥もミュラー家の決まり事であるとご理解ください」
そこまで言われると、反論する気も失せる。
「兄上たちを引き合いに出されたら……嫌とは言えないか」
「そういう事情でしたか」
マティアスは申し訳なさそうに頭を下げた。
「失礼しました。私は一兵士の立場でしたので、領主様のお家事情までは知りませんでしたので」
「気にしないでよ」
俺は笑って首を振る。
「あんなことが無ければ、こうやって一緒に宴で話すこともなかなか無かっただろうし、知らなくて当然なんだから」
マティアスも安心したように笑みを浮かべた。
だから俺は、少し先の未来を思い浮かべながら口を開く。
「来年さ」
「はい?」
「俺が十五になったら、一緒に酒を酌み交わそうよ」
マティアスは少し目を細めると、静かに頷いた。
「ええ。その時は、ぜひ」
「その話、俺も混ぜてもらっていいですか?」
横から聞こえた声に振り向くと、そこにはヴァルターが立っていた。
どうやら近くで話を聞いていたらしい。
「もちろん」
俺は迷わず笑って頷く。
「ヴァルターも一緒に飲もう」
「ありがとうございます」
ヴァルターも嬉しそうに笑う。
「総帥が酒に強いのか弱いのか、それも楽しみですね」
「それは俺自身も気になる」
「その頃には、もっと酒の種類も増えているかもしれませんな」
ゼダンまでそんなことを言い出す。
「それは楽しみですね」
ヴァルターも笑う。
皆もつられて笑い、宴の喧騒へと溶けていった。
宴はますます賑わいを増していく。
酒が入った大人たちはあちらこちらで声を張り上げ、笑い声が絶えない。
マティアスやヴァルターの後にはオットーにクラウス、ヨアヒム。元ナユリ王国の者たちやミュラー領から逃れてきた者たちまで、次々と俺のところへ挨拶や乾杯に来てくれた。
そんな中で、最後まで姿を見せない三人がいる。
ティム、リッキー、ウォルフだ。
「……来ないね」
そう呟くと、ゼダンも小さく笑った。
「何故でしょうな」
「いや、分かってるよね?」
俺も思わず苦笑する。
ヘルガは来たのにウォルフが来ないという時点で、理由なんて一つしかない。
俺の隣に、ゼダンがいるからだ。
案の定、視線を向けると三人は宴の端で肩を組み、大声で笑いながら酒を飲んでいた。
こちらを見ないようにしている辺り、実に分かりやすい。
「ねえ、ゼダン」
「何でしょう」
「あそこ、行ってみない?」
俺が顎で三人の方を示すと、ゼダンも視線だけ向けた。
「面白そうですな」
口元を僅かに緩める。
よし、乗ってきた。
俺とゼダンは顔を見合わせ、小さく笑うと何食わぬ顔で三人の方へ歩き始めた。
酒に酔って騒ぐ三人。そこへ後背から忍び寄る、俺と鬼。
突然声を掛けたらどんな反応するかな。楽しみだ。
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