第83話 本人の知らない才能
大陸歴一四〇七年十月二十八日
ヨアヒムたち、交易班がようやく帰ってきた。
予定より随分遅れたせいで気を揉まされたが、まずは何より無事だったようだ。
急ぎ拠点の縁まで歩き、眼下へ視線を向けると交易隊は坂道ではなく、そのまま湖側へ回っていた。
「昇降機を使うみたいだね」
「そのようですな」
ゼダンも小さく頷く。
荷車を置いて手作業で急な坂を登るより、昇降機を使った方が遥かに楽だ。
下から見上げる者たちの姿を眺めていると、荷車も人影も欠けることなく揃っている。
どうやら全員無事に戻って来られたらしい。その事実だけで胸の奥に溜まっていた重いものが少し軽くなった。
やがて、カーン、カーン、と澄んだ音が台地へ響く。
「釣鐘か」
先日フェルデンで買ってきた釣鐘だ。昇降機の横へ取り付け、下から引き上げを頼む合図として使うことにしたのである。
ヨアヒムたちが出発した後に設置したはずなのだが、迷わず鳴らしているところを見ると、帰る途中でヴァルター辺りから使い方を聞いたのだろう。
鐘の音を聞き付けた近くの者たちが集まり、滑車や縄を一つずつ確認してから昇降機を引き上げ始めた。
ゆっくりと荷台が浮かび上がる。
その姿が見え始めたところで、俺は思わず目を瞬かせた。
「……あれ?」
昇降機へ乗っていたのは、一人だけだった。
しかも、その顔には見覚えがある。
「ヨアヒム?」
交易隊の責任者であるヨアヒムが、一人だけ先に上がって来ている。
荷車も、他の者たちも見当たらない。
「え? 責任者が荷物も随行員も置いて、一人で……?」
思わず小さく呟くと、隣のゼダンも静かに頷いた。
「どうやら、そのようですな」
「……減点一かな」
半ば冗談交じりに漏らすと、ゼダンはすぐには同意しなかった。
「いや、まだ分かりませんな」
「え?」
「何か、先に砦主へ報告しておきたい話があるのかもしれませぬ」
「ああ……そういう可能性もあるのか」
確かに、そう考えれば辻褄は合う。責任者だからこそ、まず報告を優先した。そういう理由なら納得もできる。
そうこうしているうちに昇降機が拠点まで到着し、ヨアヒムが軽く手を振りながらこちらへ歩いて来た。
さて遅れた理由も含めて、どんな報告が飛び出すのだろうか。
ヨアヒムは俺たちの前まで来ると、軽く頭を下げた。
「只今、戻りました」
「うん。おかえり。予定より随分遅かったから、少し心配してたんだよ」
「すみません。途中で寄った村で、更に奥にも村があると聞きまして。私は止めようと言ったんですが、マティアスさんが『折角だから行こう』と言い出したんですよ」
「……マティアスが?」
思わず聞き返す。
今回の責任者はヨアヒムだ。その判断を同行者が変えたという話なら、それなりに納得できるだけの理由が必要だ。
「私は面倒だから止めようと言ったんですけどね」
悪びれた様子もなく肩を竦めるヨアヒム。隣を見ると、ゼダンは僅かに眉を寄せた。
……面倒?
なんだか理由を聞くまでもなくマティアスの判断に納得しそうな俺が居る。
「それで、奥の村はどうだった?」
「湖の東側にある漁村でした。どこも物資不足なのは同じでしたけど、魚が旨かったですね」
「魚?」
「ええ。干し魚や干し貝があったので色々交換してきました」
そこまでは良い。
だがヨアヒムは、どこか誇らしげに続けた。
「その後に寄った村でも『魚を譲ってくれ』と言われたんですが、大丈夫です。死守しました」
「…………」
思わず言葉が止まる。
交易の途中で、他の村が欲しがる品を手に入れた。それなら交換材料として使えば、更に交易を広げられたはずだ。
それを――死守?
何を考えているのか、ますます分からなくなってきた。
「砦主。これで拠点の食生活も少し改善しますよ」
「……そうか」
食料を持ち帰ること自体は悪くない。
だが、交易役として見た時の判断としては、とても褒められるものではなかった。
もう一つ、気になっていたことを尋ねる。
「それで、どうして一人だけ先に昇降機へ乗ったんだ?」
「え?」
ヨアヒムはきょとんとした顔になる。
「私が一番前に並んだからです」
「荷物は? 他のみんなは?」
「順番に上がってきますよ。ほら」
振り返ると、確かに荷車を載せた昇降機がゆっくりと上がり始めていた。
その周囲では、荷が崩れないよう何人かが付き添っている。
俺は思わず眉をひそめる。
責任者なら最後まで下に残り、荷物も人員も全て送り出してから、自分が最後に積み忘れが無いか確認して上がるものではないのだろうか。
その考えは間違っているのだろうか。
責任者とは何なのかを考えたばかりだからこそ、余計にそう思う。
するとゼダンが静かに口を開いた。
「ヨアヒム」
「はい?」
「後ろは誰が見ている?」
「ああ、マティアスさんじゃないですかね」
「それは打ち合わせたのか?」
「いえ。でも、多分やるんじゃないですか?」
ゼダンの目が僅かに細くなる。
「ヨアヒム。今回の責任者は誰だ」
「私です」
「ならば最後まで職務を全うせよ」
普段より低い声だった。
「マティアスへ任せるのであれば、それでも構わん。だが、それは責任者であるお前が指示を出した場合の話だ。『誰かがやるだろう』では責任者は務まらん」
「でも、もう拠点まで帰って来てますし」
「だから何だ」
ゼダンは即座に言い切る。
「昇降機から荷が落ちたらどうする。荷物を置き忘れていたらどうする。誰かが怪我をしたらどうする」
一つ一つ問い掛ける度に、ヨアヒムは口を閉ざしていく。
「その全てがお前の責任だ」
責任者とは、自分で全てやる者ではない。誰に何を任せるかを決め、その結果まで背負う者だ。
だからこそ、最後まで見届けなければならない。
ゼダンの説教を聞きながら、俺も改めてそう思った。
……やはり、駄目だ。
人事案へ書いた『交易班長 ヨアヒム(仮)』。
あの「仮」を外すほど、とてもじゃないが安心できない。
ゼダンの説教が続く中、最後尾を務めていたマティアスも昇降機で上がってきた。
その姿を確認すると、ゼダンもそこで話を切り上げる。
好機と見たのか、ヨアヒムは「では荷物を見てきます」とだけ言い残し、そそくさと離れて行った。
入れ替わるように、マティアスがこちらへ歩いてくる。
「只今戻りました」
「おかえり。なんだか色々大変だったみたいだね」
そう言うと、マティアスは不思議そうに首を傾げた。
「何かありましたか?」
「あれ?」
俺は思わず間の抜けた声を出してしまう。
あれだけヨアヒムに振り回されたのだから、真っ先に愚痴の一つでも出ると思っていた。
だが、そんな様子はまるでない。
「さっきヨアヒムから聞いたんだけど、奥に村があると知った時、マティアスが行こうと言ったんだって?」
「ああ、その話ですか」
マティアスはあっさり頷いた。
「やはり行って正解でした」
「正解?」
「ええ。ヨアヒムは村人との距離の詰め方が実に上手い」
「そこ?」
俺は思わず聞き返した。
「警戒している相手からでも、自然と会話を続けて情報を引き出します。今回も、奥に村があることを聞き出したのはヨアヒムですよ」
「でも本人は、面倒だから行きたくなかったって」
「恐らく、その通りでしょう」
あっさり認めた。
「ですが、私が行こうと言えば素直に付いて来ました」
「まあ……それはそうだけど」
「結果として新しい村を知り、新しい販路を得られた。それだけでも十分成果です」
……そういう見方になるのか。
俺が考え込んでいると、マティアスは続けた。
「それに魚ですよ」
「ああ。魚は旨かったって言ってたね」
「ええ。干し魚や干し貝を見付けた途端、目の色が変わっていました」
それは何となく想像できる。
ヨアヒムは昔から食べ物には妙に執着する。
「でも、途中で売らなかったよ?」
「ええ」
「他の村が欲しがっていたなら、交換した方が良かったんじゃない?」
「いいえ」
マティアスは穏やかに首を振った。
「敢えて見えるように荷へ積み、欲しいと言われても渡さない」
「……うん」
「そうすると、次に来るまでに何か釣り合う物を用意しようと考える者が出てきます」
そこで俺は瞬きをした。
「つまり……」
「次の交易へ繋げる布石になったということです」
「そんなことまで考えていたの?」
「本人は考えていないでしょうね」
「え?」
「魚が食べたかっただけだと思います」
「……つまり?」
「本人の目的と、周囲が受け取った意味が違うということです」
「……」
そんなことがあるのか。
ヨアヒムは魚が欲しかっただけなのに村人は、次の交易へ向けた駆け引きだと思った。
結果だけ見れば、確かにマティアスの言う通りなのだ。
俺は思わず口を閉じた。
ゼダンも珍しく何も言わない。
「ですが結果としては、新しい商品を持ち帰り、他の村の需要を喚起し、更に次回交易への期待まで作った」
マティアスはそこで小さく笑う。
「交易として見れば、非常に良い形になっています」
「本人は魚が食べたかっただけなのに?」
「ええ」
「……本当に?」
「恐らく」
あまりにも真顔で返され、今度は俺が困ってしまう。
本人は食べたかっただけなのに、周囲は値を吊り上げる交渉術だと受け取る。
本人は面倒だから嫌がったのに、新しい交易先候補を聞き出し新規開拓に貢献したと評価する。
何というか……。
狙ってやっている策士なら理解できる。
だが、本人にその自覚が無いというのが、一番理解できなかった。
「村人との距離感も、あれは才能でしょうね」
マティアスはそう締めくくった。
「相手へ警戒されない。食に対する勘が鋭い。そして話をすると疲れるから他に擦ろうとする。その結果として、交易先が自然と増えていく」
少し考えてから、最後に付け加える。
「責任者として未熟な部分は確かにあります。ですが、交易役として見れば、あれほど適性のある者も珍しいと思います」
……困った。
さっきまで「仮」は外せないと思っていたのに、今は逆に外した方が良いような気までしてきた。
いやだからと言って、責任感の問題が消えた訳でもない。
俺は思わず頭を掻いた。
ヨアヒムという男は、どうにも評価が難しすぎる。
交易の才能があることと、責任者として任せられることは別の話だ。
俺が考え込んでいると、マティアスが少し笑った。
「もちろん、最初から完璧な責任者など存在しません」
「……」
「不足している部分があるなら、それを補える者を置けば良いのです」
マティアスは迷いなく続ける。
「面倒見の良い副官や補佐を付ければ、ヨアヒムの長所は十分に生かせるでしょう」
確かに、それは一つの方法だ。俺だってゼダンに助けられている。
全てを一人で完璧にこなせる人間など、そうそういるはずがない。
「それに」
マティアスは少しだけ視線を外した。
「必要であれば、暫くは私が同行しても構いません」
「え?」
「ヨアヒムが副官なり補佐なりが決まるまでの間、必要ならば私が務めますよ。少なくとも、今回のようなことで交易そのものが滞ることはありません」
そこまで言うのか。
マティアスがここまで評価しているということは、俺が見えていない何かを見ているのだろう。
「分かった。ありがとう。お疲れさま」
礼を言うと、マティアスは軽く頭を下げ、そのままヨアヒムが行っている荷物の確認の手伝いに向かった。
その背中を見送り、俺は隣に立つゼダンへ視線を向ける。
「ゼダンはどう感じた?」
ゼダンはしばらく黙った後、ゆっくり口を開いた。
「責任者として見れば、頼りないことは間違いありませんな」
「やっぱりそうだよね」
思わず頷く。
責任者として考えれば、減点される部分が多い。
「ですが」
ゼダンは続けた。
「交易人として見れば、マティアスの評価も理解できます」
「うん……」
そこが問題だった。
責任者としては不安だが、しかし交易の才はある。
「どうすれば良いと思う?」
俺は正直に尋ねた。
「人事案にある『仮』を外すべきなのか。それとも別の人間を考えるべきなのか」
ゼダンなら、いつものように何か答えをくれると思っていた。
「それは……」
ゼダンは少しだけ笑った。
「砦主の専権事項ですので、私が口を出すことではありませんな」
「……え?草案は二人で決めたよね?」
「ええ。ですから最後の判断は、砦主であるアルス様が下されるべきかと」
「そこだけ綺麗に切り離すの?」
「責任者とは、そういうものですぞ」
「な……」
さらりと言い切るゼダンに思わず声が漏れた。
最後の最後で、逃げるの気?
「さて……良き御思案を」
ゼダンはそれだけ言い残すと、何事も無かったかのように歩き去ってしまった。
え?ちょっと待って。
さすがにそれはズルくない?
そこは一緒に悩むところじゃないの?
「おーい、ゼダーン!」
呼び止めても振り返らない。
ヨアヒムの「仮」どうしよう。
結局答えは出ないまま、今日も人事案は未完成のままだった。
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