第76話 収穫
大陸歴一四〇七年十月二日
朝早くから、拠点のあちこちで人の動く気配が広がっていた。
今日は、この拠点で初めて迎える本格的な収穫の日である。
普段なら狩猟班や採集班は拠点の外へ、建築班は長屋など建設中の建物の周りで汗を流している時間だ。
だが今日だけは違った。
拠点に残るほとんど全員が畑へ集まり、老若男女を問わず収穫へ加わる。
もっとも、全員という訳ではない。
街道への道作りを進めているヴァルター率いる伐採組だけは、工事を止めないため最低限の人数を残して作業を続けている。
さらにヨアヒムたちは交易へ、レオンやゲーフたちはミュラー領へ向かったままで、長期間拠点を離れている者たちも当然この場にはいない。
それでも畑を見渡せば、大勢の人が並んでいた。
これまでとは比べものにならない人数だ。
アルスは集まった仲間たちを見回し、大きく声を張る。
「さあ、皆で収穫するよ! 一日で全部終わらせるのは難しいと思うけど、今日はやれるところまで頑張ろう!」
「おおっ!」
返ってきた力強い声に、自然と笑みがこぼれる。
号令と同時に、人々は農家夫婦の指示を受けながら一斉に畑へ散っていった。
「豆は莢ば傷めねぇよう丁寧にな!」
「ニンジンは葉っぱを掴んで真っ直ぐ引くだよ!」
畑のあちこちで夫婦の声が飛び交い、慣れない者たちも手順を教わりながら次々と収穫を始めていく。
しばらくの間は、この収穫作業が拠点の最優先になる。
とはいえ、他の仕事を止めるのは今日一日だけだ。
昨日は狩猟班が大猟だったため、保存食作りを担当する者たちは朝から山のような仕事を抱えている。
採集班も秋を迎えて最も忙しい時期に入っており、こちらへ回り続ける訳にはいかなかった。
人が増えれば楽になると思っていたのだが実際には、出来ることが増えた分だけ仕事も増えていく。
結局、この拠点は今も人手不足だった。
それでも今日は違う。
目の前に広がる畑には、自分たちで耕し、自分たちで育ててきた作物が実っている。
今回収穫するのは、保存の利く豆類を中心に、ニンジンやビートだ。
植え付けが遅れたうえ、最初は素人ばかりで手探りの畑だった。
そこへバウムゼンから来た農家夫婦が加わり、荒れかけていた畑を一つ一つ立て直してくれたのである。
豆類などは本来なら、もう少し早く収穫できる作物らしい。
それでも、収穫そのものが危ぶまれる状態からここまで持ち直したことを思えば、十分すぎる成果だった。
黄金色に色づいた畑を眺めながら、アルスは静かに胸を撫で下ろす。
ようやく、自分たちの手で育てた実りを迎える日が来たのだ。
収穫を続けながら、アルスは隣で豆を摘み取っているゼダンへ声を掛けた。
「豆は保存が利くから助かるよね」
「ええ。冬を越すためには欠かせませんな」
ゼダンは手を止めることなく頷く。
「それに、ニンジンやビートも貯蔵穴へ入れておけば、それなりの期間は持ちますぞ」
「貯蔵穴?」
アルスは思わず手を止めた。
「地面を浅く掘り砂や藁と一緒に埋めると、湿り気を保ちつつ冷やして保存できるのです」
「ゼダンがどうして、そんなことまで知ってるの?」
「昔、妻に畑仕事を手伝わされたことがありましてな。その時に色々教わりました」
穏やかな口調だったが、その一言だけで十分だった。
ゼダンには、かつて妻も子もいた。
事故で家族を一度に失い、その悲しみから立ち直れずにいた彼を見かねた父サエルが、亡くした子と同年の自分の傅役へ任じたことをアルスは知っている。
「……そっか」
それ以上は聞かなかった。
しばらく二人は無言のまま収穫を続ける。
やがてアルスは、空気を変えるように口を開いた。
「この収穫が終われば、農業班も少しは一息つけるのかな」
「いえいえ。むしろ、これからですぞ」
「え?」
意外な返事に、アルスは目を丸くする。
「先日、農家夫婦とも話をしたのですが、この収穫が終われば畑を整え、すぐに秋植えの小麦とえんどう豆を植える予定だそうです」
「もう次を植えるの?」
「ええ。この時季に植えておけば、来春には収穫できます」
「なるほど……」
収穫が終われば一区切りだと思っていたのだが、どうやら違うらしい。
収穫が終わる頃には、もう次の実りへ向けた準備が始まっているのだ。
「食糧不足で苦労した身としては、春にも収穫できるのは本当に助かるね」
「そのためにも、畑を休ませず活かすことが大切なのでしょう」
ゼダンは収穫した豆を籠へ入れながら穏やかに笑う。
春、夏、秋、そして冬。
季節に合わせて畑を動かし続けることが、農家にとっては当たり前なのだ。アルスは改めて、農業という仕事の奥深さを思い知るのだった。
ゼダンは収穫した豆を籠へ入れながら、ふと思い出したように続けた。
「そうそう。馬や鶏が増えたことも、今後の畑には大きいようですぞ」
「どういうこと?」
「馬糞や鶏糞を夏頃から溜めて発酵させ、堆肥を作っているそうです。それを収穫後の畑へ鋤き込めば、地力が戻ってくるそうで、だから次の作付けを考えられるとか」
「ああ……」
アルスは思わず声を漏らした。
「それで畑の近くへ来ると、何だか変わった匂いがしてたんだ」
正直に言えば、かなり臭かった。
風向きによっては食事中まで匂いが流れてきて、一体何だろうと首を傾げていたほどである。
文句を言わなくて良かった。
あれも、この畑を支える大事な仕事だったのだ。
「収穫が終わっても、まだ仕事は続きます」
ゼダンは頷く。
「冬の間に馬へ食べさせる草も集めねばなりません。手が空き次第、草を刈って干し、飼葉を作るそうです」
「ああ、冬越しの準備か」
「そうです。鶏は豆を砕けば何とか餌になりますが、馬はそうもいきませんからな」
収穫が終われば一息つけるなどという、そんな単純な話ではなかった。
春の作付けを考え、畑へ堆肥を入れ、冬へ向けて飼葉を蓄える。
農業とは、一年を通して先の季節を見据え続ける仕事なのだ。
「ゼダンはそこまで考えて動いてくれてたんだね」
アルスが感心すると、ゼダンは小さく笑う。
「私が考えたことではありません」
「え?」
「ヴァルターです」
「ヴァルター?」
「夏頃には農家夫婦と相談し、堆肥を作る場所や草刈りの段取りまで決めていたそうです」
アルスは思わず畑の向こうへ視線を向けた。
今日もヴァルターは、最低限の人数を残して街道への道作りを進めている。
だが、その一方で誰にも気付かれないような細かな準備まで進めていたのだ。
先日、伐採現場で言われた言葉が脳裏をよぎる。
『枝葉の仕事は、我々が何とかしますので』
あの時は道作りの話だと思っていたのだが、それだけでは無かった。
ヴァルターは伐採の仕事を仕切りつつ、拠点全体が滞りなく回るよう、人知れず枝葉を整え続けていたのだ。恐らく気づいてないだけで、他にも色々と気に掛けているのだろうな。
「有り難い限りだね」
「全くですな」
目立つ働きではない。
だが、そうした見えない仕事の積み重ねが、この拠点を少しずつ自給できる場所へ変えている。
アルスは改めて、頼もしい仲間たちに支えられていることを実感するのだった。
収穫作業は、その後も日が暮れるまで続いた。
畑のあちこちでは、収穫した豆が袋へ詰められ、ニンジンやビートも次々と籠へ積み込まれていく。老若男女を問わず、皆が汗を流しながら手を動かしていた。
途中で休憩を挟みながらも、手を止める者はほとんどいない。ようやく迎えた、自分たちの畑からの初めての本格的な収穫だからだ。
畑の端へ積み上がっていく収穫物を眺めながら、アルスは自然と笑みを浮かべた。
「思っていた以上に採れたね」
「農家夫婦が立て直してくれたお陰ですな。それに、皆で手を掛けてきた成果でもあります」
ゼダンの言葉に、アルスは静かに頷く。
今日一日で、この拠点は改めて多くの者に支えられていることを実感した。誰一人として欠けては、この拠点は成り立たない。
だからこそ、自分の役目は、その皆が安心して力を発揮できる場所を守り、大きくしていくことなのだと再確認をする機会となった。
皆の家族を取り戻し、この拠点をさらに発展させ、そしていずれ必ずミュラー家を再興する。
そのためにも、立ち止まっている暇はない。
「さあ、俺たちも最後まで頑張ろう」
「ですな。明日からも、やることは山積みですぞ」
二人は再び畑へ入り、沈み始めた夕日に照らされながら、仲間たちと共に最後の収穫へ汗を流す。
こうして、拠点にとって初めての本格的な収穫の日は、実りへの確かな手応えを残しながら静かに幕を閉じた。
尚、その日の収穫中どこからともなく、絶えず聞きなれた声が届いていた。
「やっぱり俺様、弓王!」
収穫にどう弓が関係するのだろうか……。
「だからウォルフ! 速ええって!」
競争でもしているのだろうか……。
そんな賑やかな声が聞こえてきた気もしたが、アルスは心の内で突っ込みつつも、聞かなかったことにして黙々と豆を収穫するのだった。
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