第74話 枝葉は我々が
大陸歴一四〇七年九月二十九日
レオンたちを送り出してから五日が過ぎた。
今日は、ヴァルターたちが進めている街道への道作りを見に来ている。
しばらく拠点内の仕事ばかり見て回っていたせいか、現場へ足を踏み入れた瞬間、思わず目を見張った。
木々に覆われていたはずの森が、大きく口を開けていた。
思わずアルスは足を止める。
まだ道とは呼べない。それでも、人と荷馬車が通れるだけの幅が一直線に切り開かれていた。
あちこちから斧の音が響き、倒れる木の音が森へとこだまする。
誰かが木を倒せば、別の者が枝を払い、さらに別の者が丸太を運び出していく。
一人が止まっても、他の誰かが自然と動く。
現場全体が、一つの生き物のように動いていた。
「ヴァルター!」
声を掛けると、ちょうど一本の木を倒し終えたヴァルターが汗を拭いながら振り返った。
「おや、砦主。本日は現場の査察ですか」
「凄いね。思っていた以上に進んでるじゃないか」
「ははっ。だいぶ伐採も進みましたからね。久しぶりに見ると、なかなか驚くでしょう」
そう言って笑うヴァルターだったが、その間にも周囲へ次々と指示を飛ばしていく。
「そっちは枝を先に払ってくれ!」
「焦るな。一本ずつ確実に倒せ!」
指示を出すだけではない。
自分でも斧を握り、木へ刃を打ち込みながら、現場全体へ目を配っていた。
避難民も元ナユリ兵も関係ない。
それぞれの力量を見極め、適材適所へ人を振り分けながら仕事を回している。
いつの間にかヴァルターは、一人の木こりではなく、この現場全体を率いる親方になっていた。
「そう言えば、前より道具も増えてるよね」
以前は数人で使い回していた斧や鋸が、今ではあちこちで振るわれている。
その様子へ気付いて尋ねると、ヴァルターは「ああ」と頷いた。
「先日、ウォルフたちがフェルデンで滑車を買って来たじゃないですか。その時、鍛冶屋で斧や鋸も見つけたそうで、一緒に仕入れて来てくれたんですよ」
「それって交易へ回す予定じゃなかった?」
「その予定だったみたいですね。でもゼダンさんと相談して、今は伐採を優先しようという話になりまして」
既にヨアヒム率いる商隊は二度目の交易へ出発している。
本来なら、その時に交換品として持たせる予定だった道具らしい。
「村との交易で使うなら、新品じゃなくても十分ですからね。むしろ、使い込んだ道具の方が相手も交換品に苦労しなくて済みますから良いかもしれないと」
「なるほど」
確かに、交易先は決して豊かな村ばかりではない。
新品へ拘る必要はないのだろう。
その判断のおかげで、今こうして現場では以前とは比べ物にならない数の道具が使われている。
人海戦術だけでも作業は進むのだろうが、そこへ十分な道具が揃えば、その速度はさらに大きく変わる。
目の前で次々と木が倒れていく光景が、その何よりの証明だった。
ヴァルターに案内されながら、アルスは伐採の進む予定地を歩いていた。
左右には切り倒された木々が並び、その先へ一本の道筋が伸びている。
だが、しばらく進んだところで、アルスは足を止めた。
「おっと、ここから急に曲がるんだね」
目の前の道筋は、途中で大きく右へ折れている。
その言葉に、ヴァルターは当然だと言わんばかりに頷いた。
「真っすぐ通せれば使う時は便利です。でも今回は速度優先ですからね。太い木はなるべく避けています」
「太い木?数が多い所じゃなくて?」
「ええ。太い木は伐るだけなら何とでもなりますが、その後が大変なんですよ」
そう言われて改めて周囲を見渡すと、確かに切り株はどれも細いものが多い。
「でも、この木を避けるにしては曲がり過ぎじゃない?」
「そこは地形ですね」
ヴァルターは少し先を指差した。
「あちらへ真っ直ぐ進むと地面が段になっています。荷馬車を通すには土を削ったり埋めたりしなければなりません。でも、こちらなら少し曲がるだけで平らな地面が続いているんです」
言われて見比べると、その違いは一目瞭然だった。
もし真っ直ぐ進んでいたら先には段差が続き、選んだ方の道筋は緩やかな地形を縫うように伸びていた。
「それでか……。確かにこっちの方が早く道にできそうだ」
「今回は真っ直ぐ作ることより、早く使えるようにしようという方針でしたよね」
確かにその通りだったが、それでもアルスは素直に感心した。
木だけを見るのではなく地面まで見て、どこを通せば最も効率が良いかを考えているのだ。
「そういうことか。納得した。良く気付いたね」
そう言うと、ヴァルターは苦笑した。
「いえ。これは私の手柄じゃありませんよ」
「え?」
「この道筋は、マティアスさんとレオンが先に張ってくれたロープ、そのままなんです」
ヴァルターは道沿いに張られたロープへ目を向ける。
「私はそれに沿って伐っているだけです」
「でも、そのロープが良い道だって判断できるのは、ヴァルターだからじゃない?」
アルスがそう言うと、ヴァルターは少し照れたように頭を掻いた。
「まあ、それくらいは分かりますけどね」
そう前置きしてから、切り株を足先で軽く叩いた。
「幾らでも選択肢のある中、この道筋に決めた一番良かった点は、細い木が多い場所を選んでいたことですよ」
「ああ、伐りやすいから?」
「それもあります。でも、本当に違うのは株です」
「株?」
「道にするなら、木は伐るだけじゃ終わりません。最後は株まで抜かなきゃ荷馬車が通れませんからね」
そう言えばヴァルターは以前から何度も、株を抜く手間が大事だと言っていた。
アルスには今ひとつ実感が湧かない。
「そんなに大変なの?」
「なら、一度やってみますか」
ヴァルターは近くに残っていた細い木の株を指差した。
「まだ抜いていませんから、引っ張ってみてください」
「うん」
アルスは株へ手を掛けると、思い切り力を込めた。
「……っ!」
身体を預けるように引っ張ったのだが、株は微動だにしなかった。
「駄目だ……。全然動かない」
「でしょう?」
ヴァルターは笑いながら頷いた。
「これでも細い木なんです」
「確かに……」
「これを掘り起こして、根を切って、ロープを掛けて、馬や人手でようやく抜けます」
アルスは改めて足元の株を見下ろした。
木は伐れば終わりではないという、その意味がようやく理解できた。
「じゃあ、太い木だったら……」
「もっと大変です」
ヴァルターは即座に答えた。
「太い木ほど根も深く広く太く張っていますからね。一本抜く間に細い木なら何本も片付きます」
その言葉でようやく腑に落ちた。
「だから無理に真っ直ぐ進まず、細い木と平らな地面を選んだんだね」
「その通りです」
ヴァルターは満足そうに頷く。
「特に今回の道作りは木を伐る仕事じゃありません。荷馬車が通れる道を早く完成させる仕事なんです」
その一言に、アルスは思わず感心した。
自分には一本の道にしか見えない。
だがヴァルターには、木の太さも、地面の高さも、その先に掛かる時間までも見えているのだ。
それこそが、この男に現場を任せる理由だ。
そんな話をしながら道予定地を歩いていた、その時だった。
「危ねえ! 避けろ!」
突然、ヴァルターの怒声が森へ響き渡る。
何事かと前方へ目を向けると、伐り掛けた木が予定とは違う方向へ傾いたのか、一人の元ナユリ兵の上にへ倒れ込もうとしていた。
男は慌てて飛び退き、その場へ尻餅をつく。
男が元居た場所へ木が大きな音を立て倒れ、土煙が舞い上がった。
ヴァルターは斧を放り出すように駆け寄る。
「だから説明しただろうが!」
普段の穏やかな口調とは違う、現場の親方の声だった。
「木は伐りゃあいいってもんじゃねえ。受け口と追い口をどう入れるかで、倒れる方向は変えられるんだ。何も考えずに伐ったら、自分だけじゃなく周りまで危ねえだろうが」
「……すいません」
元ナユリ兵は俯いたまま答える。
「軽く考えてました」
「分かったなら次から気を付けろ」
ヴァルターは強い口調のまま言い切ると、最後に男の肩を軽く叩いた。
「こんなことで怪我するなよ」
「……はい」
男は深く頭を下げ、再び作業へ戻っていく。
怒鳴ったのは叱るためではなく、怪我をさせないためだった。
その背中を見送りながら、アルスは自然と頷いていた。
ヴァルターもこちらへ戻ってくる。
「今の人、数日前までは畑の方で動いていたんですよ」
「そうなの?」
「ええ。もうすぐ収穫ですからね。その時はこちらから人手を回す代わりに、今は畑の連中にも伐採を覚えてもらっています」
「ああ、そうか。前に収穫が近いって言ってたもんね」
「収穫の際は逆にこちらの人数が少し減ります。でも、それまでに教えられることは全部教えておこうって話になりまして」
「そういう調整をしてたんだ」
「農家の人たちと話して決めました。建築組からも何人か来てますよ」
そんな話し合いが行われていたことは聞いていない。
だがいつの間にか、それぞれの責任者同士が相談し、互いの仕事を見ながら人員を融通し合っている。
以前なら、その調整は全部俺かゼダンがしていた。
それが今では、現場の判断だけで自然と回り始めている。
しかもゲーフが遠征へ出ている今だからこそ、本人の希望に関係なく、拠点の都合で思うように調整できるようになっている。
最近危惧していたことを想えば、良い変化なのだろう。
反面、ゲーフだからこそ気付いて不満を持たないよう、そっと対応してくれていただろう部分が今は出来ないのも事実だ。
その穴は、元ナユリの料理人や農家とも話しながら、俺が少しずつ埋めていくべきかもしれない。
これは忘れずに対応しておこう。
そう考えていると、ヴァルターが道の先を見ながら続けた。
「それに、今やっていることは、この道だけのためじゃありません」
「どういうこと?」
「今は湖側の伐採を特にできる者だけで進めています。でも、ここで皆が仕事を覚えてくれれば、順番に向こうへ回せますからね」
「なるほど」
「そうなれば、両方を同時に進められるようになります」
言われてみれば、その通りだった。
今までは、ヴァルターが逐一指示をしないと出来ない仕事だった。
けれど、今ヴァルターがやっているのは違う。
ここで経験を積んだ者が増えれば、今後別の計画が持ち上がった時でも、伐採に携われる人材には困らなくなるだろう。
以前、俺は「何でも出来る人」なんて、そんなに数多くいるものじゃないと考えた。
一人の人間に出来ることなんて限られるのが普通であって、拠点を立ち上げたばかりの頃のように、何でも皆がこなせていたのが異常だったのだと。
だが違った。何でも出来る人ほど、自分だけで終わらない。
後ろに続く者を育て、その一を二にも三にも変えていく。
今、目の前でヴァルターがやっていることは、まさにそれだった。
まだ拠点は小さい。
それでも、こうして教えられる者が教える側へ回り始めれば、いつかこの場所には、何でも出来る人たちが次々と育つ日が来るのかもしれない。
そんな未来を思い浮かべながら、アルスは静かに切り開かれた道の先を見つめた。
しばらく切り開かれた道を眺めていたアルスへ、ヴァルターが穏やかな声を掛けた。
「砦主。この後は収穫で少し手が取られるでしょうが、この調子なら道は思ったより早く完成するかもしれませんよ」
「そうだね。冬までには形になるかな」
「いや形だけなら、案外もっと早く行けるかもしれません」
その言葉に、アルスは自然と笑みを浮かべた。
「それなら助かるよ。冬までに、まだやらなきゃいけないことは山ほどあるからね」
「ええ、色々手を出してますからね」
「交易も続けたいし、人も増やしたい。拠点ももっと大きくしたい。そのためには利益も出し続けなきゃならない」
口にして改めて思う。
考えることは、どれも拠点全体のことばかりだ。
「最近、自分でも数字ばかり見てる気がするんだよね」
するとヴァルターは、不思議そうな顔をして首を傾げた。
「それでいいんですよ」
「え?」
「砦主が木一本一本を見ていたら、仕事になりません」
そう言って、足元に残る切り株を軽く踏む。
「どの木を伐るか。どの株を抜くか。誰へ何を教えるか。そういう枝葉の仕事は、私たちが考えます」
そして真っ直ぐアルスを見る。
「砦主はどうか拠点の利益だけを、そしてミュラー家再興への道だけを見ていてください」
静かな口調だった。
だが、その言葉には揺るぎない自信があった。
「枝葉は我々が何とかしますので」
アルスは思わず笑みを浮かべる。
いつの間にかヴァルターは、ただ木を伐る男ではなくなっていた。
現場を預かり、人を育て、そして自分へ胸を張って「任せろ」と言える男になっている。
「……ヴァルター」
アルスは小さく頷いた。
「頼りにしてるよ」
その言葉に、ヴァルターは照れ臭そうに笑いながらも、力強く答えた。
「はい。お任せを」
切り開かれた道の先では、今も斧の音が森へ響いている。
その音を背に聞きながら、アルスはこの拠点がまた一歩、前へ進み始めていることを実感するのだった。
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