第70話 礎となる道
大陸歴一四〇七年九月八日
南西の街道まで道を通す予定地の確認へ向かっていたヴァルターたちが、ようやく拠点へ戻ってきた。
同行していた元ナユリ兵二人も揃っており、疲れは見えるものの、全員無事な様子にアルスは胸を撫で下ろす。
「砦主、只今戻りました」
「お帰り。ご苦労様。結構日数が掛かったね」
「ええ。流石に行って帰ってくるだけではありませんからね。予定していた道筋を一つ一つ確認しながら進みましたので、少々時間を頂きました」
「そりゃそうだよね。それで、道の方はどうだった?」
アルスが尋ねると、ヴァルターは頷きながら報告を始める。
「まずはマティアスたちが張ったロープを辿り、予定していた道筋を確認しました。結論から言えば、大きな問題はありません」
「お、それなら予定通り進められそう?」
「ええ。多少位置を調整した方が良い場所はありましたが、大きく迂回する必要はありません。傾斜も問題なく、十分通せると思います」
後ろに控える元ナユリ兵二人も、その言葉に揃って頷いた。
「地盤もしっかりしています。木を伐り、株を抜くだけでも、かなり通りやすい道になるでしょう」
「そうか。それなら早速明日から工事を始めよう」
「了解しました。不在中の伐採状況を確認した上で、準備に入ります」
これで街道までの新しい道作りが、本格的に動き始める。
片道三日掛かっていた街道への移動も、大きく短縮できるはずだ。
そう安堵した矢先だった。
「ただ、砦主。一つだけ気になることがありました」
「気になること?」
「途中、大きな木に熊の爪痕を見つけました」
「熊?」
思わず聞き返す。
これまで拠点の周辺で熊を見たという話は、一度も聞いたことがない。
「姿は見ていません。ただ、あの爪痕は恐らく縄張りを示すものです。近くに生息している可能性は考えておいた方が良いでしょう」
「そうか……」
半年近くこの地で暮らしてきたが、遭遇していないからといって存在しないとは限らない。
特に採集や狩猟で森へ入る者たちは、頭に入れておくべき情報だろう。
「分かった。採集班と狩猟班には俺から伝えておくよ。ヴァルターも工事中は勿論、伐採班の皆にも注意を促しておいて」
「承知しました。伐採で環境が変われば、熊に限らず野生動物の動きも変わるかもしれません。その点も含めて気を付けます」
「ああ、お願いね」
ヴァルターは元ナユリ兵二人と共に一礼すると、そのまま工事の準備へ向かって歩き出した。
その後ろ姿を見送りながら、アルスは小さく息を吐いた。
元ナユリ兵二人は、出かける前よりも幾分表情が柔らかくなっている。
ヴァルターが何か言えば自然に笑い、言葉を返す様子にも、最初の頃のような遠慮はあまり感じられなかった。
ゼダンは以前、元ナユリ兵を少しずつゲーフから切り離し、こちらへ取り込んでいく必要があると言っていた。
今回の確認任務も、そのための一歩だった。
同じ仕事をやり遂げたことで、互いの距離は確かに縮まっているようで、順調そうで良かった。
そう思うと、アルスは自然と頬を緩めた。
そして、意識は今回確認してきた道へと向かう。
元々この計画は、街道まで三日掛かっていた移動時間を何とかしたいという思いから始まった。
完成すれば、街道まで一日で辿り着けるようになる。
そうなれば、ヨアヒムたちが進めている近隣の村との交易も今後進めやすくなるだろうし、バウムゼンへ向かう日数も片道八日から六日まで短縮できる。
フェルデンへ向かう機会も増えてきたとはいえ、町の規模ではバウムゼンには及ばない。
何より、バウムゼンには今も頼れる支援者がいて、移動日数が削れるのならば、もう少し連携を取ることが出来るようになる。
だが、良いことばかりでもない。
道は自分たちだけが使うものではない。
もしこの拠点が正規軍に見つかれば、その道は討伐隊にとっても通りやすい進軍路になる。
さらに今回、熊の縄張りらしき爪痕も見つかった。伐採によって森の環境が変われば、熊に限らず野生動物の行動にも影響が出るかもしれない。
もっとも、その全てを予測して対処するなど不可能だ。
自然は人の都合で動くものではないし、こちらも森の一部を借りて暮らしているに過ぎない。
だからこそ、危険は皆へ伝え、十分注意した上で前へ進むしかないのだ。
多少の危険があるからといって、この道を作らない理由にはならない。
アルスは改めてそう結論付ける。
この道は、これから先の拠点を支える大きな礎になる。
その確信は、ヴァルターの報告を聞いた今、以前よりもずっと強くなっていた。
道作りの方針も決まり、一つ大きな懸案が片付いた。
そうなると、次に進めるべきことも自然と決まってくる。
ローデンへ人を送り、家族を救い出すための準備だ。
アルスは拠点内を見回し、レオンの姿を見つけると歩み寄った。
「レオン、少し打ち合わせしたいんだけど」
「はい。砦主、何でしょうか」
フェルデンから戻って以降、レオンは周囲の見回りを続けながら、空いた時間は拠点の作業を手伝っていた。
マティアスは交易隊へ加わり、周辺の地図も完成した今、以前より時間に余裕ができている。
「今、ヴァルターが戻ってきてね。道筋はほとんど予定通りで問題ないみたいだ」
「そうですか。それは良かったです」
「うん。だから、そろそろローデン派遣の準備を本格的に始めようと思う」
レオンはすぐに頷いた。
「分かりました。それでは同行する人間を決めないといけませんね」
「前に少し時間が欲しいって言ってたけど、どうかな?」
「ええ。まだ本人たちには何も話していませんが、この辺りが良いだろうという候補は考えています」
「ローザは予定通りで良いんだよね?」
「はい」
その返事に迷いはなかった。
「本人にもまだ伝えていませんが、ローザだけは連れて行きます。これは変わりません」
ローザだけは、今回の派遣に欠かせない。
その認識は、アルスもレオンも一致していた。
「分かった。じゃあ、他の候補も含めてまとめておいてくれる?」
「承知しました」
レオンは一つ頷いてから続ける。
「最終的な決定は、ゼダンさんたちが戻ってからですよね」
「うん。あの二人にも意見を聞いて決めたいからね」
「では、それまでに候補を整理しておきます」
「頼んだよ」
こうして道作りと並行して、もう一つの大きな計画もいよいよ動き始める。
ローデン派遣。
その第一歩となる人選が、いよいよ始まろうとしていた。
レオンとの話を終えたその時、丁度採集から戻ってきたらしきトビアスが、少し離れた場所で籠を背負ったままこちらを見て立ち止まっていた。
今の話を聞いていたのか、それとも偶然なのかは分からない。
レオンもそれに気付いたようだったが、特に声を掛けることはなく、そのまま連れて行くべき人間のことを頭の中で整理しているようだった。
トビアスは少し考え込むような表情を浮かべたまま動かない。
何か言いたいことでもあるのだろうか。
そう思ってアルスが視線を向けると、不意に目が合い一瞬だけ沈黙が流れる。
だがトビアスは何も言わず、小さく頭を下げると、そのまま採集物の選別が行われている方へ歩いて行ってしまった。
「あれ?」
アルスは思わず首を傾げる。
何だったんだろう。
そういえば先日も、ローザの料理を食べた時に何となく似たようなことがあった気がする。
もしかして……最近、俺ってトビアスに嫌われてる?
理由を思い返してみても、心当たりは何一つ浮かばない。
結局答えは分からないまま、アルスは首を傾げるしかなかった。
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