第68話 縁を紡ぐ
大陸歴一四〇七年九月一日
昨夕、マティアスとレオンは、街道まで道を通す予定の筋へロープを張り終えたと報告して戻ってきた。
これで予定していた準備は一段落である。
それによりアルスは予定通り、今朝から二つの行動を開始することにした。
一つは、フェルデンへの遠征だ。
レオンの案内でウォルフたちが荷馬車を引き、滑車の調達と他に必要な物資の購入へ向かう。
そしてもう一つは、近隣の村々を巡る商隊の派遣である。
こちらはマティアスの案内のもと、ゼダンやヨアヒムたちが商品を積み込み、拠点との交易を築く第一歩として出発していった。
どちらも、この拠点の今後を大きく左右する仕事であると共に、元ナユリ兵も数名ずつ引き連れていく。ゼダンが言うにはゲーフから切り離し、こちら側に取り込む狙いもあるらしい。
無事に成果を持ち帰ってくれることを願うばかりだった。
皆を見送ったあと、アルスは最後にヴァルターへ声を掛ける。
「ヴァルター、これから道の確認に向かうんだよね?」
「ええ、砦主。マティアスたちから、おおよその方向は聞いていますので、それを頼りにロープを辿って街道まで確認してきます」
「お願い。この道が使えるようになれば、街道までの時間もかなり短縮できるはずだから」
「それは現地を見てからですね。木を伐るだけなら時間を掛ければ済みますが、株まで抜くとなると、通す場所は慎重に選ばなければなりません」
「そうだね。まずは確認だ。帰りを待ってるよ」
「はい。では、行って参ります」
ヴァルターは最近伐採を手伝っている元ナユリ兵二人を伴い、野営道具を抱えて拠点を後にした。
これでフェルデン組、商隊組、そして道の確認組まで送り出したことになる。
朝の慌ただしさが嘘のように過ぎ去ると、拠点には静けさが戻ってきた。
普段ならあちこちで聞こえる掛け声も、今日はどこか少ない。しばらくの間、この拠点はいつもとは違う空気に包まれるのだろう。
だからこそ、アルスにも今やるべき役目があった。
十日ほど前、ゼダンから助言され少しずつ始めている、元ナユリ王国の者たちとの関係づくりである。
仲間たちが外で拠点の未来を切り開こうとしている今、自分は拠点に残り、人と人との繋がりを少しずつ築いていこう。
そう心を決めると、アルスはまず料理場へと足を向けた。
料理場へ足を運ぶと、鍋から立ち上る湯気と香ばしい匂いが迎えてくれた。
「今日はどうするの? いつもより人数が少ないよね」
「ああ、砦主。今日は出払っている者が多いですからね。保存に回すほどでもない肉を使って、スープや肉焼きにするつもりですよ」
そう答えたのは、奴隷商隊の襲撃で保護した料理人だった。
今では拠点の料理を一手に任されるまでになり、避難民たちからもすっかり信頼を得ている。
最初こそナユリ王国の味付けしかできないと悩んでいたものの、オットーが間に入り、避難民の主婦たちから話を聞きながら少しずつ味を覚えていった。その努力もあって、今では誰もが認める拠点の料理人である。
何より、オットーを通じてアルスとも話す機会が増えたことで、自然と会話も弾むようになっていた。
「残り物と言っても、それでちゃんと料理に仕上げてしまうんだから、本当に大した腕だよ」
「ありがとうございます。あ、そう言えば砦主だけに、今晩ちょっと違う料理を用意する予定なんです。一度食べてみてください」
「俺だけ?」
「ええ。まあ、その時のお楽しみということで」
「試作品? 分かった。楽しみにしてるね。ただ、ゼダンから俺だけ別の料理を食べるのは禁止されてるから、誰か誘っておくよ」
俺だけ別の料理を食べる。それも、ゼダンがあれだけ警戒しているナユリ王国出身の料理人が作ったものを、本人抜きで。
……うん、これは確実に怒られ案件になる。
ゼダンに知られたら間違いなく説教される。
だったら誰か誘おう。ティムかリッキーか、それともこの際ゲーフを直接巻き込むか。毒見ではないけど、先に誰かに食べさせれば文句は言われないだろう。
「いえ、その辺は大丈夫です。たぶん本人も一緒に食べますから」
「え? 本人って?」
「はい」
「……?」
意味深な笑みを浮かべる料理人に首を傾げながら、アルスは料理場を後にした。
次に向かったのは畑だった。
畑では、以前から働いている農家夫婦が作業を続けている。
「結構、良い感じに育ってきてるように見えるね」
「オラたちで出来る範囲だけだけんどな。でも最初よりゃあ、ずっと良ぐなったと思うんだ」
「アタシば見る感じ、恐らくもう一月程度で収穫ばできるよ」
「本当に? それは楽しみだね」
まだ拠点の収穫だけで食べていける量には程遠い。
それでも、自分たちで耕した畑から初めて収穫できる日が近づいていると思うと、自然と期待が膨らんだ。
「あの人ば来てくれて助かっとるよ」
夫婦が視線を向けた先では、新しく加わったナユリ王国出身の農民が畑を見回っていた。
経験者が増えたことで、畑の管理も以前よりずっと安定してきている。
「砦主、こんにちは」
「こんにちは。ちょうど二人から、凄く助かってるって聞いてたところなんだ」
「いやいや、俺なんて大したことはしてませんよ。今は収穫前ですから、見回るくらいしかやることもありませんし」
「俺には詳しいことは分からないけど、二人がそう言うなら本当なんだと思うよ」
そう返すと、農民は少し照れ臭そうに笑った。
「そうだ。砦主、あっちの二人とは話しました?」
「あっち?」
「俺と同じ村の出なんです。せっかくだし紹介しますよ」
案内された先には、元ナユリ兵の二人がいた。
これまでなら挨拶程度で終わっていた相手だったが、間に農民が入ることで自然と会話が始まる。
畑のこと、故郷のこと、今の暮らしのこと。
話題は決して多くなかったものの、ぎこちなかった空気は以前より幾分和らいでいた。
ゼダンに言われて交流を始めてから十日ほど。
まだ胸を張って「信頼関係が築けた」と言えるほどではない。
それでも、こうして少しずつ言葉を交わせる相手が増えていることは、確かな前進だった。
元兵二人との会話を終えたアルスは、小さく息を吐いた。
たった十日。それだけで劇的に何かが変わるはずもない。
それでも、以前なら挨拶だけで終わっていた相手と、今日は故郷や畑の話まで交わせた。それは間違いなく前進だった。
ふとアルスは、ゼダンから言われた言葉を思い返す。
――元ナユリ兵の中から二、三人、直接話ができる者を作れ。
軍という閉鎖的な集団で生きてきた彼らを考えれば、その助言は分かるのだが中々難度の高い話であった。
同じ釜の飯を食べ、同じ命令に従ってきた者同士だからこそ、外から入り込むのは簡単ではないのだろう。
だからという訳ではないのだが、結果的に料理人や農民を通じて人との縁が広がっていった。
拠点に来た時に聞いた話だと、彼らは軍相手に露店で商いをしていた者たちだ。元兵と露天商、どちらの方が話しやすい相手かなど考えるまでも無い話だ。
オットーを交えて料理の話をしたり、畑の様子を見ながら収穫の話をしたり。そうした何気ない会話の積み重ねが自然と橋渡しになり、その二人を仲立ちに元兵とも言葉を交わせるようになっていた。
考えてみれば当然なのかもしれない。
知らない土地へ連れて来られ、不安を抱えたまま暮らし始めれば、人はどうしても知った顔同士で集まる。
その輪へ無理に踏み込むより、輪と輪を繋ぐ者がいた方が、ずっと自然に距離は縮まるのだ。
ゼダンが言っていた「元兵の中に信頼できる者を作る」という考えも分かる。
だが、その土台を築いているのは料理人や農民のような人たちなのではないだろうか。彼らが互いを繋ぐ潤滑油となり、その先で元兵との関係も生まれていく。
そんな気がした。
もちろん、まだ答えが出たわけではないが、自分なりのやり方は間違っていない。
そう思えたことが、今日一番の収穫だった。
夕暮れになると、ローザがアルスのもとへやって来た。
「砦主……少し良いかな?」
いつものローザらしくない歯切れの悪い口調に首を傾げる。
だが、両手で抱えている鍋を見た瞬間、昼間に料理人が言っていた「本人も一緒に食べますから」という言葉を思い出した。
どうやら、あの話はこれのことらしい。
「料理人さんに教えてもらって作ってみたの。ほら、この前、新しい雄鶏が使えるようになったら前のを潰そうって話してたでしょ?」
そう言えば、フェルデンで買ってきた雄鶏から無事に雛が育ち始めたと聞いていた。
ならばと、役目を終えた雄鶏を料理にしたのだろう。
「でも、それって皆で食べるんじゃないの?」
「一羽じゃ全然足りないよ。今日はレオン兄たちがいないとはいえ、それでも六十人くらいいるんだから」
「ああ、確かに」
アルスは素直に頷いた。
「それで、ローザが作ったの?」
「うん。オットーさんがどうしようか迷ってたら、『砦主に出してみたら?』って話になって……。そしたら何故か料理人さんに教えてもらいながら、私が作ることになっちゃって……」
最後は少し照れ臭そうに視線を逸らす。
「じゃあ、せっかくだし一緒に食べようか」
そう言うと、ローザの表情がぱっと明るくなった。
「う、うん!」
その返事を聞きながら、アルスは皆が集まる焚火の方へ歩き出そうとする。
「ち、違うの!」
慌てたようにローザが呼び止めた。
「え?」
「そうじゃなくて……砦主の家で、その……二人で食べないかなって……」
語尾になるにつれて声は小さくなっていく。
「家で? 別にいいけど、外で皆と食べた方が楽しくない?」
「い・い・か・ら。砦主の家で食べましょう」
「お、おう。分かった」
いつになく押しの強いローザに押し切られ、アルスは苦笑しながら頷いた。
家へ向かおうとしたその時、不意に強い視線を感じて振り返る。
少し離れた場所で、トビアスが腕を組み、こちらをじっと睨むように見つめていた。
……俺、何かしたかな?
思い返してみても、心当たりは何もない。
首を傾げたままアルスはローザと共に家へ入り、その日初めて食べるローザの手料理を楽しむのだった。
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