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シルバー・ブレス 〜彼の者は祝福を授かった〜  作者: 赤石
-第2章 邂逅の海面汽車-
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第19話 今、世界が輝く時

 セオドアはアスレインの八つ違いの兄だ。

 

 ゼレステラに生まれれば遅かれ早かれ軍に関わることになる。大人であれば戦地へ赴き、女子供であれば裏方稼業へ回る。

 兄は子供の頃から、様々な土地を連れ回されたらしい。

 そのせいか、屋敷には滅多に帰らなかった。十五を迎えてから入隊したアスレインとは当然、顔を合わせる機会は少ない。


 そして数年前、忽然と消息を断ってしまった。

 行方を知る人は誰もいない。

 

 そんな中で彼宛の手紙が届くと、検閲をした後捨てることが多かった。

 幼き日、こっそり拝借した中にシロマの名前があったことをよく覚えている。


 シロマは顎に手を当て、少し考える素振りを見せた。


「……読んだか?」

「………………読んでません」


 たっぷり一呼吸間を置いてから、アスレインは斜め上を見ながら答えた。

 読んだな、とラグラス、シロマの二人は同時に思った。


「……まあいい。どうせ大したことは書いてない」


 とシロマが言った。

 そりゃそうだろう。何せ書いてあるのはたった一言、「馬鹿」の文字のみである。「間抜け」や「馬鹿間抜け」と書かれていたこともあった。

 だがそれについては言及せず、至って真面目にアスレインは言う。


「知りたいでしょ。兄が今、どこにいるか」

「知ってるのか?」

「ここじゃ言えない」


 嘘だ。

 だが今重要なのは真実ではない。交渉のテーブルにつくことだ。


「まずは彼の話を聞いてください」


 ラグラスを見ながらそう言うと、シロマは一層顔を険しくさせた。片手で額を抑える。

 灰色の前髪が一房、前へ垂れた。

 ひとしきり考え終わると、シロマは仕方ないとばかりに二人を見て、下を指さした。


「……来い」


 パッとアスレインの顔が明るくなって、いまだに頭を伏せ続けているラグラスの体を揺らした。ラグラスも安心したように体の力を抜き、ゆっくりと頭を上げた。

 

 徐々に顔が顕になる。

 細められた瞼から金瞳の光が溢れていた。

 アスレインは息を呑む。

 だって、やっぱり……。


(僕は、この輝きを知っている)



 

 ──あの暗闇を照らした、唯一の光。

 黄金の輝き。


 


 あの光と、ラグラスは似ている。


「ねぇ、もしかして──」

 

 口を開いた瞬間、彼らのすぐそばで弾が跳ね上がった。現実に引き戻される。無意識に伸ばしていた手を止めた。


「……行かせま、せん」


 片膝をつき、よろよろと立ち上がりながらユティスがそう言った。

 ブーツが黒茶色の床を懸命に踏み締めて、やっとのことで立っている。次の瞬間には海風に攫われてしまいそうだった。

 シロマが億劫そうに舌を鳴らす。


「めんどくせぇ」


 たった一瞬。

 その一瞬でシロマはユティスとの間合いをつめた。車両半分は離れていたはずである。

 先ほどまで彼がいた足場が少しひしゃげていた。


「駄目だシロマさん!」


 ラグラスが声を荒げたが、男は止まらない。

 目を見開いたユティスの腕を掴み、少しの力で海側へ放り投げてしまった。

 たったそれだけで、彼女の体は波立つ黒海へ落ちていく。






 

 海面に飛び込む瞬間、ユティスには、まるで世界がスローモーションのように見えた。

 

 無慈悲な目をしたシロマも、何故か焦ったようにこちらに手を伸ばそうとするラグラスも、それを止めるアスレインも。


 それから、後ろの車両でようやく起き上がったルカ。

 驚きと失望が入り混じった表情で、落ちゆくユティスを見つめている。はぁ、と軽く息を吐いていた。

 部下に恵まれなかった彼を、ほんの少し哀れに思う。

 しかしユティスにはもう、どうすることも出来ない。

 来るべき衝撃に備え目を閉じた。







 








 

 

 ──突然、手首を強く掴まれた。腕が、グン!と引っ張られ足に重力を感じる。





 


 


「……?」


 運良く生き残った軍人だろうか。……いや、そうではない。

 腕を掴んでいたのは、ユティスには見覚えのない女だった。

 窓から身を乗り出し、白く細い両腕が伸びる。風がゴウゴウと吹き荒び、彼女の長い黒髪が暴れて表情を隠した。


「アミリ」


 叱責するような強い声が頭上から降る。続けてシロマは「手を離せ」と言った。


「イヤ」

「軍人だぞ、そいつ」

「だからって見過ごせない!」


 アミリは握る手を一層強めた。

 足を踏ん張り、目の前の少女から目を離さない。


「分かってる、自分の行動が矛盾してるって。ちゃんと分かってる……」

「……」


 敵を助けたって得にはならない。

 そんなことアミリだって理解している。目を逸らすことはもうやめたのだ。

 

 必要であれば殺す。

 傷つける。

 陥れる。

 過去と使命が、非情になれと、彼女に語りかける。

 

 けれど、だとしても。


「まだ、子供じゃない!」


 アミリが握った腕は細かった。細いのに筋肉が詰まっていた。

 銃火器を扱い、命を奪ってきた腕だ。そうであれと大人たちに強要された子供だ。

 そんな腕は見たくない。


「切り捨てるのは簡単よ。そうしなくちゃいけない時も勿論ある。でも、今この子が死ぬのは間違ってる」


 アミリはそう言い切った。

 一層強い風が吹き、黒髪の隙間からブラウンの瞳が覗いた。薄い水の膜が瞳を覆って輝いて見える。溢れ出る気持ちを堪えるように、下唇を噛んでいた。

 ユティスは呼吸を忘れ、食い入るようにその顔を見つめた。



 


 

「アミリ!!」


 彼女の背後から焦りを含んだ老人の声が聞こえて、その肩を掴んだ。皺だらけでガッシリとした腕が伸びる。二人は力を合わせて垂れ下がっていた少女を引っ張り上げ、車内に引き込んだ。

 ドサリ、とアミリが床に座り込んだ。ユティスも横たわりながら彼女を見上げた。


「まったくお前は! なんてことをするんじゃ!」

「ごめんなさい、おじいちゃん。けどお説教は後にして。この子の手当てをしなくちゃ」

「あぁまったく……! 救急用品を持ってくるから、動かすんじゃないぞ!」


 老人が荷物を探しに行くのを確認し、アミリは手の甲で額の汗を拭った。心臓がバクバクと大きく脈打っている。深く息を吸って落ち着かせる。


「あの……」

「……大丈夫よ。怖い思いをさせてごめんね?」


 アミリを見つめる赤い目が揺れた。どうしていいか分からない、迷子のような顔をしている。

 アミリは安心させるように微笑みかけ、彼女の頬を片手で包んでそっと語りかけた。


「私たちは敵だけど、でもそれ以前に大人と子供なの。大人が子供を守るのは、当たり前のことじゃない?」


 強く、強く、頭を殴られたかのような衝撃がユティスの脳を揺らした。目の前に星が舞い降りたように、世界が色づき輝き始める。

 だってそんなふうに言われたことも、笑いかけられたことも無かったから。


 グングンと体温が上がって、顔中に血液が集まるのを感じる。言いようのない高揚感。初めてのはずなのにちっとも不快じゃない。


 ユティスは、ゆっくりと瞼を閉じて、もう一度開いた。




 胸下辺りまで伸びた艶やかな黒髪。

 花のような模様を描いたライトブラウンの瞳。

 白くてツルリしたおでこ。

 薄桃色に膨らんだ唇。

 スッと線の細い首筋。




 赤い瞳に映るのは、この世で最も美しい、聖女のような女性。


「やってくれたな」


 シロマが窓から身を滑り込ませながらそう言った。そこに怒りは感じず、どちらかと言うと呆れがほとんどだった。


「持ってきたぞ! 早く傷を見せなさい」


 袋を抱えた老人に、背負ったラグラスを椅子に下ろしながらアスレインが話しかけた。


「すみません、少し分けて貰えませんか? 彼も怪我をしていて」

「それは構わんが……君は?」

「ジジイ、後で話す」


 忙しない空気の中で、アスレインは、後ろの車両でルカが立ち上がっているのを見つけた。何か仕掛けてくるつもりだろうか。警戒を強める。

 

「あの」


 口を開いたのはユティスだった。「なぁに?」とアミリが問いかける。

 ユティスは衝動を抑えるように、ギュッと胸元の軍服を掴んで耐えた。

 そして。








 





 

 

「結婚してください!」

「………………………………………………………………え?」

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