第15話 絶体絶命包囲網
発車直前の空気が好きだ。
この雰囲気は、何十年経っても心躍る。
ある駅員は全ての乗車扉、連結器に問題がないことを確かめると、手でサインを送り上司に知らせた。
上司は一つ大きく頷くと、他の駅員たちにも汽車から離れるよう合図を送る。
汽笛が大きく二度鳴った。
蒸気が噴き上がり、黒煙が真っ直ぐに空へ延びる。
下からはドレーンを吐き、蒸気が音を立てて赤い車体を包み込んだ。
日が落ちる夕暮れと共に出発し、夜の海面を走る。
窓から見る景色はたいそう幻想的で、美しいに違いなかった。
──と言っても、今回ばかりはそのような旅行気分は味わえない。
車内が無事で済めばいいが。
無傷な汽車を目に焼き付けている間、横を白と黒の二人組が走り抜けていった。引き止める間もなかった。
「ギリギリセーフ!」
「アウトだろ」
「乗れたんだからセーフだよ」
突然のことに一瞬唖然としたが、すぐに我に返り「ちょっと君たち!」と声を荒げる。
しかし、飛び乗った黒髪の青年がサッと扉を閉めてしまった。彼は切符を手に持ち、ガラス越しにこちらへ掲げみせる。
(ちがう!)
出発を止めるよう上司に目を向けるが、こちらに気付いていない。
車輪がグルグル回り出して、ゆったり走り出す。
慌てて並走するが、すぐに追いつけないスピードになり、汽車は遠くへ去っていった。
駅員は膝に手をつき、息を整えながら一人ぼやいた。
「こりゃ、えらいことになったぞ……」
***
飛び込んだ先、汽車内のデッキにて。
ラグラスは軽く息を整えながら、遠ざかっていく駅員が上司たちに叱られないことを願った。
その横でアスレインは何食わぬ顔で切符を懐にしまっている。
「まずかったんじゃね」
「何が?」
「勝手に乗り込んだの」
「仕方ないよ。引き止められたら間に合わなかったんだし」
もしかして、と口角の端を上げる。
「それとも何かな、やっぱり君っていい子ちゃん?」
「じゃーな、能天気お化け」
「待って待って僕が悪かったから。なんでそう拗ねやすいのかな君は」
指定された座席とは別車両へ向かう肩を掴んで引き止める。
改めて、アスレインはぐるりと内装を見回した。
汽車の内装は、お世辞にも豪華とは言えない。
けれど、持ち主の拘りがあるのだろう。壁や床は暗い茶色の木目で統一されており、等間隔に配置された照明は暖かく二人の上を照らしていた。
「とりあえず座ろうよ。疲れちゃった」
誰のせいだよ、と言いたげな顔(ゴーグルを付けていても分かりやすい表情だ)でこちらを睨むラグラスを宥めながら体を扉へ向ける。
そうして、アスレインは三等車両に繋がる引き戸に手をかけて、ゆっくりと横へ引いた。
早いところリラックスしたかったのである。
扉が、じわじわと開けられていく。
三等車両の様子がわずかに見えた。
──扉を完全に開け放った瞬間、一斉に銃口やら剣先やらを突きつけられる。
アスレインの喉元に触れるか触れないかの距離だった。
「ええっとぉ……」
とりあえず、大人しく両手を上げる。
困惑しながら、視線だけを動かす。
車両の人間は皆、漆黒の軍服に身を包んでいた。
(軍人? なんでここに?)
「お前達、やめないかぁ」
変に甘ったるく、間延びした声が聞こえた。
コツコツとわざとらしく踵を鳴らしながら、車両先頭から男が一人歩み寄ってくる。
金髪の前髪を七三に分けた、胡散臭い風体をしていた。
「どうもすみませんねぇ。本日の汽車は貸切の予定だったのですがぁ、何やら手違いがあったようでしてぇ。お代は返金しますから、小舟でお帰りいただけますぅ?」
男は近くまで寄ると足を揃え、これまたわざとらしく微笑んで見せ、部下達に武器を下ろすよう指示した。
既に整えられている前髪を、何度も指で撫でている。
「きもちわりー奴」
「シッ、聞こえちゃうよ」
幸いなことに、小声でのやり取りは男の耳には届かなかったらしい。
男は小馬鹿にしたように鼻で笑いながら、言葉を続けた。
「まあもっとも、田舎島の汽車代などたかが知れてますけ、ど…………、ン?」
男は不自然に言葉を止め、アスレインのことを上から下まで舐め回すように観察した。
ジロジロと何度も往復する度に、張り付けていた笑みが、見る見るうちに険しくなっていく。
「な、なんでしょう?」
すっとぼけてみせるが、通用するはずもなく、七三の男はやがて「ああっ!!」と絹を裂くような声を上げた。
「ゼ、ゼレステラ!?」
瞬間、車内がざわつく。
「ゼレステラって、あの」と声を潜めて話し合う様子に、アスレインは眉を顰めた。
「まさか……アスレイン!? アスレイン・ゼレステラ! 死んだはずじゃっ……!?」
「少し、事情があって」
何食わぬ顔で返すアスレインに、七三はわなわなと震え出す。
「そ、そうか……事情……。何はともあれ、生きているなら報告義務があるはずですよねぇ……、それを怠ったということはぁ……脱走兵?」
「まあ、そうなるかな」
「そうですよねそぉですよねぇ!! こぉれだから"星夜の七貴族"とかいうやつはぁ!!」
男はそう叫ぶと、せっかくの七三を両手でかき回してめちゃくちゃにしてしまった。
あまりの豹変っぷりに若干引きつつ、ラグラスは、そう言えば、と思考する。
(ゼレステラって言えば……)
「まぁ……都合が良い、とも言えますねぇ。ゼレステラを、この手でしょっぴけると言うならば……こんなに愉快なことはありませんから!」
男は叫びながら、血走った目でアスレインを睨んだ。にも関わらず、アスレインは薄ら笑いを浮かべている。
「僕、あなたに何かしました?」
「いいえ? けれど、ご家族には随分と悔しい思いをさせられましたぁ。それはもう、ゴミのような扱いを受けましてぇ」
(あの人か……)
頭の中で、一人の兄が思い浮かぶ。
「あの時の鬱憤をようやく晴らせるかと思うと……、嬉しくてしょうがないんですよぉ!」
歓喜の叫び声を聞いて、部下達は一度下ろした武器を再度構えた。数が多い。
アスレインが肩に担いだ大剣に手をかけたところで、後ろに気配が一つ、増えた。
「待ってくださいよ、ダール隊長。こいつはぶっ殺してもらっちゃ困るんスわ」
「ッ!」
「ラグラス!」
突然、ラグラスの背後からナイフを手に持った男が現れた。
薄茶色のぼさぼさ頭の男は、腕をラグラスの首に回し、刃先を首元に突きつけている。ラグラスの体が強張った。
「君の知り合いですかぁ、レイザン君」
「前に言ったでしょ、俺がサボッ……目を離した隙に、船ごと盗まれた"予言者"。こいつなんス」
「あぁ、あの。いいですよ、そっちは好きなさい」
(やるしかないか)
前にも後ろにも進めない。
ならば、どうにか道をこじ開けるしかない。
アスレインがダールを睨みつける。
「おい、お前」
ラグラスがアスレインに呼びかけた。
「ゼレステラだったのかよ」
「そうだよ、幻滅した?」
自重気味に笑う。
「……いや」
ラグラスも笑った。
挑戦的な顔をしていた。
「それなら、少しは信用してやってもいい」
瞬間、爆音が鳴る。
足場が跳ね上がる。
何人かは床と壁に叩きつけられた。
壁に手をつき支える。
視界が一気に白く染まった。
「煙幕か!?」
ダールが咳き込みながら、窓を開けるよう指示を出した。ぶつかり合う慌ただしい音が聞こえる。
ふと、アスレインの傍に誰かが寄った。
「一番前が一等車両。そこで落ち合おうぜ」
それだけ言って、消えてしまう。
(要するに、囮ってわけね)
やってやろうじゃないか。
彼は自信ありげに微笑んでみせた。




