第14話 祖父からの贈り物
小さい頃から汽車が大好きだった。
海の上を走る姿。海面がキラキラと輝いていて、眩しくて、速くてかっこよくて。大好きだった。
祖父のことも大好きだった。バイロンは何でも教えてくれた。
彼の語るままに文字を書き、紙を折り本の真似事をして見せた。いい子だと、頭をくちゃくちゃに撫でられた。
絵だけは、ジュードが全て一人で描いた。
そんな祖父も年齢には勝てなかった。
祖父は亡くなる前日まで、日がな一日、庭のベンチに腰掛け、丘の上から赤茶色の車体を見下ろしていた。
時折近くに父を呼び寄せて、何か言い争いをしていた。
祖父の怒鳴り声は低く響くので、会話の内容まではハッキリと聞き取れない。
けれど、ジュードの名前が出てきたことだけは知っている。
きっと祖父はジュードに期待しているのだ。孫に跡目を継がせたがっている。
(オレがやらなきゃ)
汽車を終わらせたくはない。だって大好きだから。祖父との、思い出のかたまりだから。
だから、何としてもエーブ泥を手に入れる。無謀だと言われようが、父に反対されようが、苦しい思いをしようが。
ジュードはきっと、大陸へ行くのだ。
***
「おーい、降りておいでー」
「あっち行け!!」
高いケヤキの樹の上で幼い声が吠えた。
流石と言うかなんと言うか、島の子は木登りの仕方を心得ている。すっかり高いところに身を置いていた。
「お前も登ればいーじゃん。それとも、お上品だからできないって?」
「からかわないでよ」
仕方なく着いてきたラグラスがやる気なさそうに言った言葉に、咎めるように返す。
木を登ったっていいが、もしその場で暴れでもしたらどうなるか。
最悪、アスレインが落ちるのはいい。受け身は取れる。
しかしジュードが足を踏み外したらと思うと、実行はできなかった。
「よし、ラグラス。君が登って」
「はぁ?」
「そしたら万が一落ちたとしても、僕が受け止める」
「やーだね。そもそも、俺はお前が乗れなくなったって全く困らないし」
「そんなこと言って。本当は寂しいだろ?」
「黙れ能天気」
二人が言い争っている間にも、ジェードは次の逃げ場への道を考えていた。
地面には降りられないから、木をつたって別の木に移り、手頃な屋根に登ろう。
そして汽車に乗り、ウバへ行く。ウバは大陸軍の基地があると聞いたことがあった。つまり、大陸行きの直通の船便があると考えていい。それに忍び込んでしまえばこちらの勝ちだ。
その後は大陸で金を稼ぎ、泥を買う。祖父は二十代から働いて買ったそうなので、その半分の年齢から働けばもっと早くに買えるはずだ。
「よしっ」と息を吸って、ジュードは鞄を抱え直した。中にはいくつかの冊子と、お小遣い程度のお金が入っている。
下から再び、ジュードを引き止める声が聞こえた。
「ジュード、大陸はね、とても危険なところなんだ。君一人じゃ生きていけないよ」
「そんなの、行ってみないと分かんないじゃん!」
「じゃあ聞くけど」
ひと呼吸おいて、問いかける。
「人の死体が転がってる風景を、見たことはある?」
枝へ飛び移ろうとしている幼い体が、止まった。
アスレインは続ける。
「迫害や差別を受けたことは? やりたくないことを強要されたことは? ……ジュード、大陸は君が思ってるより、輝かしいものじゃないんだよ」
アスレインは知っている。あの大陸で、人々がどんな暮らしをしていたか。
何故彼らが死ななければならなかったのか。
ゼレステラに生まれていなければ、道に転がる死体になっていたのは、彼自身かもしれなかった。
「そんなのっ……、全部は知らない、けど。でもオレだって、覚悟がないわけじゃない……。じゃなきゃ……あんなことしない!」
「あんなこと?」
ラグラスの眉がピクリと動いた。まさか、と最悪な考えが浮かぶ。
「じいちゃんは、『物体を海面に浮かせる』祝福を持ってた。浅瀬のとこは実際にレールを引いてるけど、一部分は祝福の力を使ってる」
「でも、バイロンさんは亡くなった」
低い声で、アスレインは言った。
「じゃあ、今は誰がレールを浮かせてる?」
「……父さん。だけど、ゆくゆくはオレも祝福を継がなきゃいけない、から」
だから。
祝福は二種類。
生まれつき祝福を授かるか、他人から強奪するか。
祖父はかつて、大陸で祝福を奪った。
そしてその力を、息子にも分け与えた。
バイロンは、ジュードにも分け与えようとした。
だが、ジュードの父はそれに大反対した。
祝福の与え方が、人ならば皆、嫌悪する方法だからである。
「オレが……食ったんだ、じいちゃんのこと」
喉から搾り出すように、そう言った。
最初は、少しずつ。
右手の小指を食べた。
それでも受け継げなかったから、時間をおいて、薬指と中指も切り落とした。
気持ちが悪くて、吐き戻す度に、祖父に蹴られた。左手は昔、父に食わせたそうだから、殴れる腕が無かった。
父が居ないうちに、こっそり進めていた。でもそれもバレてしまって、父は激怒して祖父に詰め寄った。「もうこんなことしないでくれ」と、縋るような声で怒鳴っていた。
結局、ジュードは祝福を受け継げなかった。人肉を食したとして、誰でも与えられる訳ではないらしい。
葬式の日に、父からそう教えてもらった。
じゃあ、あの日、ジュードがしたことは何の為だったのだろう。
『祝福を授かる為』という目的が叶わなければ、行なってしまった罪だけが残った。
そんなこと、まるで耐えられなかった。
「オレはっ……、そんなの絶対、イヤだからっ……!」
身を、乗り出す。
訴えるように悲痛な叫び声を上げる。
「だからっ、あんなことしたけど、ちゃんと意味があったって! そう思いたいんだっ」
犯した罪は消えなくとも、そこに意味があれば。
まだ、生きていられる気がした。
だから大陸へ行く。なんとしても。
ジュードは次の枝へ飛び移ろうとして──、足を踏み外してしまった。
右足が宙に浮く。
慌てて掴んだ枝は細く、パキリと音を立てて折れた。
バランスが崩れ、身が投げ出される。
悲鳴をあげる暇もなく、ただ衝撃に備えて目を強く閉じた。
ドンッ!
衝撃は、想像していたほどのものでは無かった。
固い地面とは、少し違う。温かみも感じる。
ジュードはおそるおそる目を開いて、自分が下敷きにしたのは、黒色の青年だと気がついた。
「アスレイン!」
「いてて……もっとカッコよく受け取るつもりだったんだけどなぁ」
慌てて彼の上から退けると、アスレインもゆっくりと身を起こした。顔に数箇所、小さな擦り傷ができていた。
「ごめんっ、オレ」
「怪我はない?」
アスレインは服についた土を払いながら、にこりと笑いかけた。
「オレは平気だけど……でもお前が」
「ならよかった! 僕は頑丈だけが取り柄だからさ。心配しなくていいよ」
明るい声で彼はそう言って、「それから」と言って膝をつきジュードを見上げた。
青灰色の瞳が、不安げな少年を映す。
「君はちっとも悪くない。君のお父さんも、おじいちゃんも、誰もね。そりゃあ島の子が経験する出来事にしては珍しい方だとは思うけど、それだけだ。君は誰の事も傷つけてない。だからもう、責任を感じなくていいんだよ」
ゆっくりと、ジュードに言い聞かせる。
この言葉が、今は届かなくても。いつか思い出した時に、彼の心を溶かすことを願いながら。
アスレインは、言葉の強さを知っている。だから言う。薄っぺらいと言われようが偽善だと罵られようが、言った事実は変わらないから。
ラグラスは、何も言わなかった。黙って、アスレインの横顔を盗み見る。
そこで、はたと気がついた。
擦り傷が、治っていたのである。
まるで最初から傷などなかったかのように。
(自己治癒の祝福? いや、それにしては何も感じなかった……?)
祝福の力を使っていない。それは祝福以外の力で、自身の傷を治したということだ。
そんなものがあるなんて、聞いたことがなかった。
(……俺が思ってる以上に、何か隠してる)
それから。
基本的に、祝福強奪の方法は秘匿だ。大陸の人間ならば、それを知る機会もある。
つまりアスレインは、"ラグラスと同じく"大陸から来た人間という可能性が高い。
(……もう少し、慎重に探るか)
少しだけ、後退る。
大陸の人間は、恐ろしい人ばかりだ。
「切符、返す……」
「いいの?」
「うん……その代わり、最後の走行は絶対来て! その時はオレが案内するからさ!」
アスレインは返事の代わりに、焦茶色の髪をくしゃりと撫でた。
駅から汽笛の音がした。
もうまもなく、出発する合図だった。




