第13話 利口な子供
『──海面汽車の歴史は古く、その誕生はおよそ七十年前まで遡る。
生みの父、バイロン・ヘウィングス氏は大陸中枢都市・フィルドゴードにて誕生した。
大陸では「陸蒸気」と呼ばれる海面汽車の元となった乗り物が発展しており、幼い彼は、これに大層夢中になった。
学校卒業後、鉄道会社に就職。乗務員として車体の原理を学ぶ。
エーブ泥を燃料として走らせる技術を知り、泥の大量購入を行う。
個人での買い占めが問題となり、エーブ泥購入規制法制定の一因となったことは否めない。
大陸を飛び出したヘウィングス氏は、本土地ノノバルにて独立を果たす。
約三十年前から今日に至るまで、計二十八回の走行を果たす。残る燃料も僅かとなった。
公表はされていないものの、海面汽車に残された走りは、せいぜい数回が限度であろう。
彼の最高傑作が幕を下ろすまで、我々はその姿を追い続ける。──』
「六十年前って、"古い"うちに入ると思う?」
「何読んでんだよ」
長椅子に腰掛け小冊子をペラペラとめくっている。その様子に、ラグラスは呆れたように声をかけた。
あれから駅構内へたどり着いた二人は時間を持て余し、お互い適当に散策をして合流しよう、という話になった。
といっても小さな島のささやかな駅である。早々に見るものを無くしたアスレインは、住民に売りつけられた小冊子を眺めて時間を潰した。
ラグラスも駅外へ足を運んだものの結局は同じ結論にたどり着いたようで、すぐに戻ってきた。
隣に腰を下ろしたラグラスに小冊子を差し出す。
「見る?」
「文字嫌いなんだけど」
と言いつつ、差し出されたそれを受け取る。ぺらり、と表紙をめくって、ラグラスは感心した声を上げた。
「手書きかよ」
「ね。印刷技術が発展してるのかと思ったけど、そうじゃないみたい」
「へー、絵も描いてあんじゃん」
指で紙の端を次々とめくる。ひと通り撫で終わると、あっさりアスレインに返却した。
「ちゃんと読んでよ。感想待たせてるんだから」
「感想?」
と、ラグラスが首を傾げると同時に、軽い足音が聞こえてきた。「アスレイン!」と甲高い声もする。
視界の端で焦茶色の"何か"が横切り、長椅子に飛び乗った。抱えた鞄ごとぶつかるようにやって来たので、アスレインは両手を広げて受け止めてやる。
「ほら来た」
目配せしてみせる。ラグラスは一瞬呆気に取られていたが、すぐに冊子の作者だと気がついた。
(つっても、まだ子供じゃねーか)
顔に幼さを残す少年だった。十、十一歳ぐらいだろう。島の子にしては上等な服を着ている。
お世辞にも字が上手いとは言えない、ミミズが這うような汚い字ではあった。けれど内容はしっかりとしたものだった。
「買ってくれたのお前だけだった! ね! もっと感想聞かせて!」
「僕のはさっき言ったので全部。次はこっちのお兄ちゃんが聞かせてくれるって」
「おい」
肘で隣の男を小突くが、どこ吹く風だ。
もう一度、「文字は読まない」と反論しようとしたところで、子供の期待に満ちた眼差しに気がつく。瞳のまわりに星が舞っているのではないかと錯覚するほどの純真無垢な笑み。ずい、とこちらに身を乗り出してくる。
これを曇らせるほど、ラグラスは邪悪じゃない。
「ええっと」と、目線を上にして言葉を探す。
「絵が、上手だった」
「それは知ってる! オレむかしっから描いてるから!」
子供が威張るように胸を張った。「ほかには!?」と続きを促す。
「あー、随分大人っぽい文章を書くなって。 まるで……新聞? そう新聞ってやつみたいだった! こんなちっさいのに凄いなー!」
ラグラスがそう言うと、子供は満足そうに、照れくさそうに笑った。その様子にこっそり胸を撫で下ろす。
新聞なんてまるで読んだことがない。けれど存在はかつて師匠が教えてくれた。「コレは頭がいい奴が読むモンだ」と言われたので、「じゃあ師匠は読めねーじゃん」と言って取り上げたら殴られた。
「君、新聞読めるの?」
「黙ってろ」
小声で話しかけて来た男を、同じく小声で制する。変に水を差されて子供に深掘りされては敵わない。
「どんなところが新聞っぽい!?」
終わった。
子供の好奇心を舐めていた。
横で笑みを浮かべているアスレインが憎い。助け舟を出すつもりは毛頭ないようだった。
しかし、こうも思う。この手の子供は好奇心も強いが、同じくらい承認欲求も強いのだと──。
「俺はラグラス。お前は?」
「ジェード!」
「ジェード、お前は天才だ。大人みたいな文章を書くし、絵も上手いし、それを本にして売ってるし……。将来は記者になれるんじゃねーかな。『汽車の記者』っつって。あはは!」
誰も笑わなかった。
ジェードはキョトンとしているし、アスレインも真顔だった。
別に誤魔化そうとして言ったことなので笑われなくたって構わない。漫才師になりたいわけでもないし。
「ま、そういうことだから」
ジュードを椅子から下ろす。この話はおしまい。言外にそう滲ませて、腕を組んで座り直した。しばらく誰とも会話したくなかった。
だが、子供とは空気を読まないものである。
「オレはね、記者にはなんないよ」
「じゃあ何になるの?」
「社長! オレ跡継ぎだもん!」
二人は顔を見合わせた。
ということは、つまり。
「バイロンさんってのは、ジュードの……おじいちゃん?」
「うん! すげぇっしょ!」
「なるほどね、だから詳しいんだ」
バイロンの故郷や幼少期の話など、彼の身内でなければ知り得ない話があった。孫ならば納得できる。
だが、ジュードの話には聞き逃せない箇所もあった。
「燃料が残りわずかって書いてあったけど。もう終わりが近いってことじゃないの?」
アスレインは問いかけた。数回程度の走行なら、ジュードが大人になる前に終わってしまうだろう。
「それなんだけどさ! いいこと思いついてて」
よく聞いてくれた、と言わんばかりに飛び跳ねる。
床が抜けるんじゃないかと思うほど激しく飛ぶので、ラグラスは少し心配になった。
「いいことって?」
「足りないのは燃料、てかエーブ泥なわけじゃん? また買いに行けば良いんだよ、大陸に!」
名案でしょ! とジュードが嬉しそうに胸を張る。
子供は怖いもの知らずだ。大陸がどんなところかも知らないくせに、簡単に言ってのける。ラグラスは内心苦虫を噛み潰したような気持ちで、「あのな」と口を挟んだ。
「よっぽどのことがない限り、島の人間は大陸に入れねー。そもそも個人が大量に買えねーって」
「個人じゃないし! 会社だし!」
「こんなのお遊びだよ。奴らにとっちゃあな」
ジュードがアスレインの方を見た。眉を下げて、「嘘だよね?」と不安げに尋ねた。
ここで嘘をつくのは簡単だが、彼のことを思えば安易な嘘はつけないと思った。「本当だよ」と諭すように返す。
「島国レベルじゃないと、売ってくれないと思う」
どんなに海面汽車が立派でも、大陸が"国"と認めなければ、弱い。ただの島に、大陸は目も向けない。
大陸に多額の税を納めてはじめて国として成り立つ。しかし、ノノバルにそんな金はなかった。
ジュードが固まる。まさかアスレインにまで突き放されるとは思っていなかったようだ。しばらく石になっていたが、震える唇をギュッと強く噛んで、それからアスレインを突き飛ばした。
「知らない! バーカバーカ!!」
「あっ、ちょっと!」
駅外へ走り去っていく小さな背中を見送る。涙声の叫びに、胸が痛んだ。
「所詮はガキだな」
「気持ちはわかるけどね」
「追いかけねーんだ?」
「まぁ、こればっかりはね。自分で立ち直るしかないよ」
「いやお前切符盗まれてたけど」
「えっ」
ありとあらゆるポケットをまさぐる。
ラグラスは「気付いてなかったのかよ」としれっと言ってみせた。てっきり、あえて盗ませたものだと思っていたのだ。
「……追いかけよう!」
発車まで、あと三十分。




