第9話 記憶を手繰り寄せて
「ほら見て、ここ青黒くなってる」
「うわぁ、痛そう……」
「うるせーぞテメェ! 謝っただろうが!」
腕を捲り、幼い赤毛の少女に打ち身を見せつけるアスレインの背後から、今日も怒声が飛ぶ。
この二日ほどの間で、すっかり恒例になってしまったアスレインとグランの喧嘩(グランが一方的に突っかかているだけだが)には、皆慣れてしまった。
「もう少し丁寧に下ろしてくれたっていいのにねー」
「ねー」
「テメェはいつまでぐちぐち言や気が済むんだよ。女か!」
「グラン、静かにできないか。今話している」
「ッグゥ……、すみません、モルガナ様」
怒られてるね、とアスレインが小声でニィナに囁いたので、ニィナがかわいらしくクスクスと笑った。その様子をグランが睨みつける。
三人の様子を、ロベルタは少し離れた場所に腰掛け眺めていた。
「久しぶりです。ニィナがあんな風に笑っているの」
「そうか。それは良かった」
横に座るモルガナが答える。
ロベルタは最初、この濡羽色の女性のことを冷たい人だと思い込んでいたが、それはすぐに思い違いであったと認識した。
なんてことない、ただの優しい女性だ。
「それで、あなたの祝福は『望んだものを出現させる』、だったか」
ロベルタは頷きを返した。
「はい。ただ『誰かの手のひら』に、『そこに収まる』程度の大きさでないと駄目みたいです。……あと、私がきちんと細部まで思い浮かべてないと、その通りにはなりません」
「ふむ……、それでも重宝すべき力だな」
顎に手を当て、切れ長な目を伏せジッと考え込む。
彼女には彼女の、レジスタンスとしての考えがある。
ロベルタが力を貸してくれるなら、間違いなく有用な働きをしてくれるだろう。
しかしそれと同じくらい、この母娘は戦争と無縁な場所で暮らすべきだ、というモルガナ個人の考えもあった。
(どちらにせよ、上層部との諍いは避けられないだろうな)
「あの、モルガナさん。私たちは何処へ向かっているんでしょう?」
ロベルタが尋ねる。
「ここから南下した場所に、ピオという島がある。そこへ向かう」
「そこが、目的地ですか?」
「いや、あくまでも中継地点だ。実際あなた達に住んでもらう場所はもっと遠くにある」
それ以上のことは、今は話すつもりはないのだろう。
モルガナはすらりと立ち上がって「食事の用意をしてくる」と告げた。慌てて、ロベルタも立ち上がる。
「いえいえ! 私がやりますから、モルガナさんは座っててください!」
「客人にさせる訳には」
「保護していただいてる身ですから! これぐらいさせてください!」
アスレインも、ニィナも、グランさえ。この時ばかりは気持ちが一つになった。皆心の中でロベルタの肩を持つ。
昨晩夕食を振舞ったのはモルガナだった。
いや、アレを夕食と呼べるなら、ククルゥ砂漠の砂だって立派な夕食になる。原型を留めていない炭を皿に盛られて、テーブルに出された時の衝撃と言ったら。
「私、お料理大好きなんです!」
「そうか。そこまで言うなら、手伝ってもらおうか」
「て、手伝い? それならまぁ……」
多分きっと今日の昼食も炭である。あの手の人間は厨房に立ったが最後、誰にも止められないのだ。
厨房に消えていく二人を見送ることしかできず、アスレイン達は肩を落とした。
「なんとかしろよ」
「君の上司だろ」
「上司だからこそだろ」
男二人が言い合う中、使命感に駆られたニィナも母達の後を追った。なんとも健気な少女である。
ふと、気づく。
「そう言えば、ココは?」
「帆の調整」
短くグランが答えた。短い前髪を後ろへかきあげる。無意識に行っている姿を、ここ数日で何度も見かけた。
(かっこつけ)
おそらくグランは、妹が自分より先に特定の相手を持つのが悔しいのだろう、とアスレインは結論づけた。
船は基本的に自然の流れに沿って進めているが、今日のような風がない日は祝福の力を使うらしい。
グランはやらないのか、と尋ねると、もうすぐ交代すると答えた。
「嵐が来るな」
「そう? よく晴れてるけど」
「こういう日こそ急変すんだよ。ってかマジ、馴れ馴れしく話しかけんな」
「いや、今のはグランでしょ」
その返答は無視されて、グランはさっさとマストの方へ行ってしまった。嵐に備えるつもりらしい。
「……いい天気だと思うけどなぁ」
そうひとりごちて、穏やかな海の流れを見つめた。
縁で頬杖をつき、青い水平線と遠くに浮かぶ島々を見ながら、ぼんやりと考える。
『──ここはあなたの死地には及ばない。今一度立ち上がり、歩き出し、そして、あの子と出会いなさい。──修羅の道を、あの子と共に歩きなさい。』
(あの子、ね)
昔、頭の中で響いた優しい声。女性とも男性とも分からぬ、ただ自分の身を案じた声。
その声のままに、アスレインは『あの子』を探している。手掛かりもヒントも与えられていないので、探す、という表現はやや当てはまらない気もするが。
(きっと実際に会っても分からないんだろうな)
探すだけ無駄かもしれない、何度も何度も同じことを考えて、結局いつも同じ結論に返ってくる。
うだうだと考えるのはやめにしよう。
そう思って、アスレインは俯いていた顔を上げた。海面から上へ視線を上げると、遠くに一隻の船が浮かんでいた。
「…………ん?」
船がただ浮かんでいるのなら、何も珍しいことではない。この世の主な移動手段は船なのだ。
異常なのは、それがこちらに突進するように向かってきていることだった。
おそらくは、海賊船だろう。帆船ではなく汽船に乗っているところをみると、大陸軍から奪ってきたのかもしれない。そうなると、少しばかり厄介だった。
「モルガナー! 手伝ってくれない?」
厨房を覗き、モルガナに声をかける。炭を錬成している彼女は、顔色ひとつ変えずに返答した。
「君一人じゃ無理か?」
「できなくもないけど、数が多いかもな。手早く終わらせて僕も食事をいただきたいんだけれど」
「やれやれ、仕方ないな」
彼女がエプロンを外す。
目線が皿から外れたのを見て、アスレインはロベルタに目配せをした。彼女は一つ、頼もしく頷いてくれた。
「速やかに終わらせよう。料理が冷めてしまう」
「うん、頑張ろう!」
モルガナは、片刃の剣を握った。
そしてアスレインは、部屋の端に立て掛けていた、自身の大剣を担いだ。
***
──数刻前に遡る。海賊船内での出来事だ。
ヘルマン・ハントは生まれつきのワルである。
故郷では人を殴り、親を泣かせ、金品をせしめた。
しかし、小さな島では"資金"に限りがある。そのため、こうして海に飛び出した。
海はいい。広くて自由だ。ちょっとばかし脅せば大抵の人間は"快く"物資を譲ってくれた。
この船も先日、運良く手に入った。軍人達が何人かいたが、全て海に放り投げててやれば問題なかった。
「お頭、コイツどうしやしょう」
部下が引きずるようにして連れてきたのは、銀色の髪をした少年だった。生意気にも黒いゴーグルを付けている。
「あ? なんだソイツは」
「軍の奴らが捉えてたみたいでさぁ、隠れてたのを見つけたんすわ」
「男なんて乗せててもしょうがねぇだろ。捨てちまえ」
「いや、それがね」と部下は勿体ぶるようにそこで言葉を切った。面倒そうに視線をよこすヘルマンに、部下が「よく見てくださいよ」と言って少年のゴーグルを剥ぎ取った。
「──ほぉ?」
「ね? 売れそうでしょ?」
得意げに胸を張る部下と、忌々しそうにこちらを睨みつける少年。
少年の瞳は、金色に輝いていた。まるで星を閉じ込めているか如く煌めいている。
「こりゃ確かに」
「そうでしょそうでしょ! いい値段がつきますよ、これなら」
片手で少年の頬を掴み、こちらへ向かせる。
光り輝くそれから目が離せなかった。
抗いがたいほどの光がヘルマンを射抜く。
金色が、僅かに細められた。
「──お前、死んだぜ」
瞬間、突き飛ばした。
床に倒れ込んだ少年が苦しそうに呻き声を漏らす。
「おい、海に捨てろ」
「ええ? でも商品に……」
「うるせぇ! さっさとしろ!」
ヘルマンの剣幕に押されて、部下は少年を連れすごすごと引き下がっていった。
誰もいない、静かな空間に戻る。
ヘルマンは頭を抱えた。
ゾッと底冷えするような恐怖を、生まれて初めて味わったのである。




