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第92話 炎の檻

 二度も指輪の魔法に私への接触を阻まれて、ロイドは怒りに声を震わせた。


「あの忌々しい化け物め!!」


 光に弾かれた己の指先を擦りながら、悪魔のようにその相貌を歪ませる。


 しかし暫くして、ふっとロイドの深紅の瞳が細められた。

 暗い粘着質な笑みを浮かべながら、私へ向かって唇に弧を描く。


「俺はカナリヤのことなら、何だって知ってる!」


 彼は何をする気だろうか。

 私は反射的に身構えて、神経を張り詰めさせた。


「なあ、カナリヤ」


 優しく囁くロイドは、ゆったりと自分の手を振り上げた。



「今でも炎は怖いだろう?」



 その瞬間、私を取り囲むように中空に炎の渦が現れる。


「……っ!!」


 私の心臓は竦み上がった。


 きっとこの指輪の魔法は、炎からだって私を守ってくれる。

 火が、熱が、私の肌を焦がすことはない。


 ――そう理解していても、恐怖を拭い去ることは出来なかった。


 あの日の光景が蘇る。


 階下に降りれば、炎に包まれて崩れかけた部屋。

 ごうごうと立ち籠る黒い煙と、息が出来ないほどの渦巻く熱。

 舞い散る黒い灰と、響き渡る悲鳴。

 息も絶え絶えに、その肌を焼かれながらも、私を抱きしめてくれた母の腕。



(こわい)



 私は震えながら、ぼろぼろと涙をこぼす。

 もはや、自分で感情を制御することは不可能だった。


 そんな無力な私を見て、ロイドは満足そうに声をあげた。


「ほら、カナリヤ、意地を張らずに俺を受け入れてごらん」


 駄々をこねる子供を説得するような口ぶりで、彼は言う。


「そうすれば、炎は消してあげる。俺が助けてあげる」


 まるで自分が、救世主であるかのように。



 私はぎゅっと目をつぶる。

 

 吐き気がする。眩暈も止まらない。

 冷や汗が身体を伝い落ちていき、意識も朦朧としてきた。

 

 それでも、私は拳を握り締める。

 ぐっとお腹に力を込めて、必死に叫んだ。



「嫌です。私は、サリオン様の妻です!」



 ロイドの盛大な舌打ちの音が聞こえた。


 

「そうか、それなら、もっと炎を増やしてやろうか!!」


 

 彼が叫ぶのと同時に、慌ただしく扉をノックする音が響いた。


「御当主様!!」


 ロイドの意識が、其方へ向けられたのが分かる。

 私もおそるおそる目を開くと、周囲を渦巻いていた炎は消えていた。


「王国牢で騒ぎが起こっているようです。すぐにでも来て欲しいと、応援を要請されています」


「なに?」


 ロイドは怪訝そうに呟いたが、行動は早かった。

 すぐに私のいるベッドの傍から離れると、衣服を整え直す。


「カナリヤ、俺は少し仕事に行ってくるよ」


 そして今までのことなんて何もなかったかのように、にこやかに微笑んだ。


「まっ、待って。王国牢って、サリオン様の――!」


「そうだろうな」


 ロイドはくすくすと喉を鳴らす。


「ずっと大人しくしていたようだが、あの化け物が暴れてくれるならむしろありがたい。アイツが危険だと、皆に周知できるからね」


「そんなっ、サリオン様は危なくない」


 サリオン様を更に陥れようとするロイドの発言に、私は憤りを抑えられなかった。

 思わず、先程知った情報を口走ってしまう。

 

「魔物の暴走だって、貴方が仕組んだんじゃない!」


 私がそう告げた瞬間、ロイドの顔が、気味悪い程の無表情になった。

 時が止まったのかと錯覚するような沈黙を挟んで、彼は再び微笑む。


「成程。知っていたのか」


 ロイドはそれだけ呟くと、私に背を向けて扉へと向かう。

 緊急事態を知らせに来た使用人へ、続けて指示を出した。


「俺はこのまま王国牢へ向かう。君たちはカナリヤを地下へ移してくれ」


「カナリヤ様を地下にですか?」


 困惑した様子の使用人へ、ロイドは悲しげな声で囁いた。


「ああ。思ったより、洗脳が酷いようでね。カナリヤには可哀想だが心を鬼にして、少しきつい隔離をしなくてはいけないかもしれない」


 そうして私の方へ、ゆったりと振り返った。


「大丈夫。カナリヤが元に戻れば、すぐに解放してあげられるさ。すぐにね」



「そんな……!」



 私は洗脳なんて受けていない。

 けれど、それをどれだけここで主張しても無意味かは理解している。


 ロイドが扉を閉める冷たい音が響き渡る。

 

 それから私は彼の命令通りに、地下室へと隔離されることになった。

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