第90話 悪性転化(★ロイド視点)
カナリヤの家の別荘から逃げかえった日、俺は体調が悪いと偽って一日中部屋に引き籠った。
使用人たちはみんな心配してくれたが、深入りされることは無かった。
俺は布団の中で、ひたすら怯え続けていた。
あの家が燃え崩れていく光景が、頭から焼き付いて離れなかった。
カナリヤの母はどうなっただろう。
死んでしまったのだろうか。
あの別荘はどうなったのか。
カナリヤだって、無事じゃない可能性の方が高い。
「――俺は死刑になるだろうか」
魔法で家を燃やして、人を殺してしまった。
取り返しのつかないことをしてしまった。
俺は重罪人だ。
俺は死刑になって、家は取り潰されるかもしれない。
両親は俺に失望するだろう。
誰からも見捨てられて、罵られて、俺は死ぬのだ。
さんざん泣き腫らして、気づけば俺は眠りに落ちてしまっていた。
悪夢にうなされる俺を揺り起こしたのは、慌てた使用人の声だった。
「ロイド様、大変です。ヴァレンティーヌ伯爵家の別荘が!」
俺はついに断罪の時が来たのだと、身を強張らせた。
今すぐにでも縄を掛けられるのではないかと警戒していたが、使用人は優しく俺を抱きしめてくれた。
「……いえ、すみません。体調がお悪い時に。ですが、どうか落ち着いて聞いてください」
思いの外に柔らかいその態度に、俺は戸惑う。
「ヴァレンティーヌ伯爵家の別荘が、今朝、火事に見舞われました。ヴァレンティーヌ伯爵夫人は亡くなり、使用人の方々も皆さん亡くなっています。カナリヤ様のみ、一命をとりとめて王都へと運ばれました」
「えっ……」
呆けたような俺の声に、使用人が痛ましそうに顔を顰める。
「少し休んだら、ロイド様も王都へ戻りましょう。火事の原因も分かりません。貴族を狙った賊の犯行かもしれません」
「あ、ああ」
その瞬間、俺は理解した。
火事を起こした犯人は、俺だとばれていないのだ。
ほんの一瞬だけ、俺は迷った。
真実を告げるべきだろうか。
犯人は俺なのだと。
――だが、言えるはずがなかった。
俺はそのまま、その日のうちに王都へと連れ帰られた。
屋敷に戻ると、その瞬間に母から強く抱きしめられた。
父もその様子を見守りながらも、少し目に涙を溜めているようだった。
「無事でよかったわ、ロイド、本当に」
「ヴァレンティーヌ伯爵夫人のことは残念だったな。せめて親しい者として、カナリヤ嬢をしっかり支えてあげなさい」
「……はい、母上、父上」
カナリヤが目を覚ましたのは、彼女が王都に戻ってから10日以上も後のことだった。
彼女の容態がある程度回復してから、俺は父に連れられてカナリヤの見舞いに行った。
屋敷の離れで療養しているカナリヤは、すっかりやつれて怯え切った表情をしていた。
天真爛漫な笑顔は消え失せ、美しかった頬には醜い火傷の跡が刻まれていた。
「ロイド様……」
縋るようなカナリヤのその声に、俺はドキリとした。
今までの彼女は明るく優しく人気者で、いつも皆の中心にいるような存在だった。
俺を幼馴染として尊重してくれていたが、他にも友人は沢山いた。
そんなカナリヤが、今は俺だけを見ている。
俺だけに救いを求めるように、不安げに瞳を震わせている。
「大丈夫だよ、カナリヤ」
俺の口許は、自然とゆっくり綻んでいった。
柔らかな微笑みを浮かべて、俺は優しく囁いた。
「君には俺が、ついているからね」
見舞いを終えて自室へ戻ってきた俺は、狂ったように笑い始めた。
暗闇に閉ざされていた視界に、強烈な光が差し込んできたような感覚だった。
「そうだ、そうだ……! 最初から、こうすれば良かったんだ!!」
煮詰まり淀み切った罪悪感が、腐り落ちて燃え尽きていく。
――人を殺してしまったことも。
――家を焼いてしまったことも。
――カナリヤに大火傷を負わせたことも。
全てはこうなる運命だったんだ!
だって、俺は誰にも咎められていない!
そしてカナリヤは、俺だけを見つめている!!
「ははっ、はは、ははははは!」
カナリヤは眩しい。眩しすぎる。
だから押さえつけて、その光を他に盗られないようにしなくてはいけない。
俺だけに救いを求めるように。
俺だけを見つめるように。
大丈夫、俺ならできる。
何故なら、これこそが運命だから。
それから俺は、ヴァレンティーヌ家に足繫く通った。
カナリヤに会う為でもある。
しかしそれと同じ位にカナリヤの父、ヴァレンティーヌ伯爵とも言葉を交わした。
俺は事あるごとに、ヴァレンティーヌ伯爵へ戯言を吹き込んだ。
「あの火事は、カナリヤがいなければ起きなかったのではないですか?」
「どうしてヴァレンティーヌ伯爵夫人だけが、こんな目に」
ヴァレンティーヌ伯爵は熱烈な愛妻家だった。
娘への情も勿論あっただろう。
だが、人間は脆い。
次第に彼の心が俺の言葉に蝕まれていくのが、手に取るようにわかった。
同時に俺は、カナリヤの友人達へもさりげなく噂を流した。
別荘を焼いたあの火事は、カナリヤの過失であった可能性があるらしいと。
彼らは半信半疑だったが、カナリヤと積極的に関わろうとはしなくなった。
こうして家でも外でも、カナリヤは孤立していった。
俺だけが、彼女の味方だった。
火事以降はすっかり気弱になったカナリヤが、俺を頼りにしている姿を見るのが快感だった。
数年後、俺は更にカナリヤを孤独にするために、ヴァレンティーヌ伯爵に再婚を勧めた。
相手は街で美しいと評判だった故コリンズ伯爵夫人だ。
彼女は裏では、金遣いの荒さと性格の悪さでも噂になっていた。
それを知ってか知らずか、ヴァレンティーヌ伯爵は見事に彼女と結ばれることになった。
後妻となった故コリンズ伯爵夫人と、連れ子のメアリーは、カナリヤを酷く虐めた。
俺はそれを裏で唆しつつ、カナリヤの前では彼女を支える態度をとり続けた。
もはや彼女にとっては、俺だけが希望に違いなかった。
――そして、最後の仕上げの予定だった、あの夜。
俺はカナリヤをヴァレンティーヌ家から追放させた。
それからフレアリス家で拾い上げ、名実ともに、彼女は俺のものになるはずだったのに!
『さようなら』
忌々しいメアリーの言葉を真に受けたカナリヤは、俺にそう告げて走り去っていった。
「カナリヤ、"この日の為に俺は"――!!」
その背に向けて必死に叫んだ声は、届いていないようだった。




