第89話 あの夏の火事(★ロイド視点)
俺が9歳の夏、カナリヤは北方の別荘で数か月過ごすことになったと聞いた。
彼女と長期間会えなくなることを嘆いた俺は、父に初めて我儘を言った。
「フレアリス家もあの街に別邸があるでしょう? 俺もそちらに移りたいです。勉強と鍛錬は続けますから」
両親は少し悩んでいたようだが、俺の真剣さに折れて了承してくれた。
とはいえ、この時期には剣技の試験が控えていた。
その終了を待ってから北方へ移った俺は、カナリヤに1か月ほど遅れて別邸へと到着した。
「行ってくるよ」
俺は荷物の整理もそこそこに、早速カナリヤを探すために外へ飛び出した。
彼女に俺がこの街にやってくることは告げていない。
突然現れて、驚かせようと思っていた。
きっと、喜んでくれるに違いないと信じていた。
北の街は王都ほど広くはない。
暫く走り回っていると、運良く彼女の姿を見つけることが出来たのだ。
「あっ、カナリヤ……!」
俺は声を弾ませながら話しかけようとして、固まった。
カナリヤは一人ではなかった。
彼女の傍らには、仲良さそうに言葉を交わす銀髪の少年の姿があったのだ。
「……?」
俺は状況が理解できずに、立ち尽くす。
そうしている間に、カナリヤは俺に気付くことなく、少年と何処かへ行ってしまった。
「……は?」
しばらくたって、ようやく、俺は声を震わせた。
俺の中で、何かがぐらぐらと崩れ落ちていく感覚があった。
一人で北の地で退屈しているカナリヤの前に、突然俺が現れて、彼女が嬉しそうに微笑む。
頭の中で繰り返していたそんな妄想が、剥がれ落ちていく。
俺はそのまま、静かにフレアリス家の別邸に戻った。
もう一度カナリヤを探す気力がわかなかった。
気を紛らわせるために勉強に励んでも、全く落ち着かない。
その日は、早めにベッドに入って休んだ。
でも、一睡もできなかった。
夜通し俺は考え続けた。
――どうしてカナリヤは、俺以外の相手と?
――あの銀髪の男は誰だ?
――あんなに楽しそうな笑顔で!
早朝、俺は誰にも気づかれないように別邸を出た。
カナリヤのいるヴァレンティーヌ家の別荘に行く為だ。
自分でも、何をしたかったのかは分からない。
ただ、じっとしていると気が狂ってしまいそうなほど苦しかった。
カナリヤに会って、真実を確かめたかった。
昨日、俺が見たのは何かの勘違いかもしれない。
そう言って彼女がいつものように微笑んでくれれば、きっと俺は救われる。
「あら、ロイド様?」
まだ日も昇る前の時間だったのに、カナリヤの母親が別荘の前で庭仕事をしていた。
彼女は俺の様子を異様に感じたのか、心配そうに近づいてきた。
「どうされましたか。何故、この土地に……」
身を屈めて、優しげな声で問いかけられる。
透き通るその赤い瞳は、カナリヤのものとよく似ていた。
「あ、あの、俺」
上手く言えずに固まっていると、カナリヤの母は穏やかに微笑み別荘の中へ通してくれた。
温かな紅茶の入ったカップを受け取ると、少しだけ落ち着いた心地がした。
「カナリヤは……、カナリヤは、どうしていますか?」
漸く出た俺の言葉に、カナリヤの母は驚いたように目を瞬かせた。
けれど、すぐに表情を和らげた。
「はい。カナリヤは元気にしていますよ。ロイド様がいらっしゃったと知れば、きっと喜んで――」
「誰かと会ってる?」
「えっ? あ、はい、そうですね。確か、秘密の友達が出来たと、言っていたような」
「秘密の友達!?」
その言葉に、他意はなかったのかもしれない。
けれど、なんだか酷く特別で、自分が置いて行かれてしまった心地になった。
カナリヤの母が、宥めるように何かを言っている気がする。
でも、もうそんな言葉は俺の耳には届いてはいなかった。
「どうして、どうして……!」
夜通し考え詰めていた心が、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられていくようだった。
バチバチと、火の爆ぜる音が微かに聞こえた気がした。
でも、そんなことを気にしていられる余裕はない。
「俺が、カナリヤは、俺が――!!」
その瞬間、今まで押し込めていた俺の気持ちが爆発した。
そしてそれと同時に、俺の頭上の中空に巨大な炎の渦が巻き起こる。
――それは感情の混乱による魔法の暴発だった。
俺が、初めて魔法を発動させてしまった、瞬間だった。
別荘は一瞬で、火の海と化した。
天井を焦がした炎が大きな棚を倒壊させ、それが俺の頭上へと襲い掛かる。
「危ないっ!!」
何が起こったのか分からず呆然と立ち尽くす俺を、カナリヤ母が庇うように突き飛ばした。
俺は尻もちをついて無事だったが、彼女は燃え盛る棚の下敷きになってしまった。
彼女のカナリヤとよく似た美しい黒髪が、見る間に炎で焼き焦げていく。
血を流したカナリヤの母が、火の渦の中に飲み込まれていく。
「あっ……、あ、ぁあ、あっ、ごめんなさい、ごめんなさい、おれ、」
俺はガタガタと震えながら、後ずさった。
よく分からない。分からないけれど、きっと俺のせいだ。
フレアリス家は代々、炎系統の魔術の力が発現しやすいとされている。
助けなくては。
目の前の人は、命を投げ出して俺を庇ってくれたのだ。
――でも、どうやって?
「あ、あああっ、ぁ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
炎の消し方なんてわからない。
傷の癒し方なんてわからない。
崩れていく別荘を何とかする方法だってわからない。
俺のせいだ。
全部、俺のせいで、燃えて、崩れて、壊れていく。
でも何もできない。
怖い。恐ろしい。どうしたらいい?
「あっ、ああ、あああああ!!」
俺は叫び声をあげながら、その場から転がるように逃げ出した。
涙があふれて、煙にまみれて、目なんてろくに見えていない。
それでもとにかく足搔くようにして駆け続けた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
気づけば俺はフレアリス家別邸の自室へ戻ってきていた。
どうやって帰ってきたのか、記憶が定かではない。
俺は無意味な謝罪の言葉を繰り返しながら、布団をかぶってずっと震え続けていた。




