第80話 密会
私は息を潜めながら、フレアリス家の暗い廊下を進んでいった。
服は出来るだけ目立たない灰色のナイトドレスを選び、暗い色の布を頭から被っている。
幸いにも、フレアリス家は外部からの出入りが非常に多い。
そして入り口での警備は厳重だが、中に入ると警戒の目が緩む傾向にある。
多少見覚えがない人影があっても、咎められる可能性は少ない。
私は夕食時のロイドの言葉を思い出す。
『すまない、カナリヤ。今日は寝る前に君の顔を見に行けないんだ。急に仕事の用事が入ってね』
つまり、今夜はロイドの訪問もないということだ。
それにしても、急な仕事とは何だろうか。
もしかしたらサリオン様に関することかもしれないと、私の気は焦る。
――コツ、コツ、コツ、コツ……
考えながら歩いていると、長い廊下の向こう側から足音が響いてきた。
私は顔を見られないように俯き、出来るだけ気配を消すように努める。
やってきたのは、良い身なりをした一人の男性のようだった。
こちらのことは全く気にする素振りも無く、急ぎ足で通り過ぎていく。
私は視線を下げたまま、ちらりとその相手の顔を確認した。
「!!」
その瞬間、心臓が止まるかと思った。
思わず息をのんだ音が、相手に届いてしまわないかと不安になった。
けれど、そんなことはなく、その男はそのまま廊下の角を曲がって行ってしまった。
「……お父様」
すっかりその姿が見えなくなってから、私はぽつりと零した。
そう、私がすれ違った男性とは、私の父――ラルゴ・ヴァレンティーヌだったのだ。
「なぜ、ここに」
もしかして、私がフレアリス家にいることを伝えられ、呼び出されたのだろうか。
しかしロイドから、私の父に関する話は聞いたことがない。
そもそも公式にどういう扱いになっているかは不明だが、私はヴァレンティーヌ家を追放された身だ。
私を侯爵家に迎え入れる為に、一度ヴァレンティーヌ家に籍を戻させるつもりなのだろうか。
(確かめなくては)
意を決すると、私は父が曲がっていった廊下の方へ歩き出した。
何か胸騒ぎがしたのだ。
私は息を潜めて父の後を追いかけていき、やがて一つの扉へ辿り着いた。
(ここは――!)
その部屋は、フレアリス家の間取りを理解していない私でも知っている。
ロイド個人の部屋だった。
周囲には誰の気配もない。
人払いをさせたのかもしれない。
私はそれを幸いに、そっと扉の傍で聞き耳を立てる。
「……お願いします。フレアリス侯爵、もう、限界です」
まず聞こえてきたのは、疲れ切ったような父の声だった。
「限界? そんな言葉を聞く為に、君を呼び出したんじゃない」
それに返すロイドは、氷のように冷たい声色をしていた。
「しかし、周りの目を誤魔化すのももう限界です。これ以上は」
「恩を忘れたのか? 本来、取り潰されてもおかしくないヴァレンティーヌ家を助けたのは誰だ?」
「その件は感謝していますがっ……!」
「ならば、行動で示したまえ」
私は息をのむ。
そもそもの話し方が、私の知る二人と全く違っていた。
ロイドは侯爵であり立場は上だが、彼とヴァレンティーヌ家は幼い頃から深い交流がある。
その繋がりもあってか、彼はいつも丁寧に私の父へ接していたはずだ。
「次の話をしよう。手筈はいつも通りに整えてある」
「お願いします、どうか、どうかこれで最後に」
「それを決めるのは、俺であって君じゃない」
嗚咽を堪え切れないような、父の苦悶の声が差し挟まれる。
それを気にする素振りも無く、ロイドの淡々とした声が続いた。
「2日後に、地方都市ランベルトで。良いな。これはお願いじゃない、命令だ」
その言葉の直後、立ちあがるような音が響いた。
私は慌てて扉から離れて、ロイドの部屋から距離をとる。
廊下を曲がった場所で息を潜めていると、ロイドが自室を後にしていく背中が見えた。
(……とんでもない話を聞いてしまったかもしれない)
ロイドと父の話は、私の結婚についてなんかではなかった。
それ以上に、何か大きな秘密を抱えたもののようだった。
私は急いで自室へ戻ると、ハンカチへと自分が知った情報を書きつける。
そして黒曜城にまで届くように願いを乗せて、夜の空へと放った。
淡い月明かりに照らされて、ハンカチは蝶のように、遠く遠くへと飛んで行った。




