第79話 王都の英雄
ロイドと観劇に向かう日がやってきた。
私は朝早くから、フレアリス家の使用人に囲まれて支度を施されている。
深紅のドレスを纏い、装飾品に光る宝石も殆どが赤で統一された。
燃える炎のような赤は、ロイドとフレアリス家の象徴でもあった。
顔にも勿論、美しく化粧が重ねられる。
「カナリヤ様、指輪はどうされますか」
最後にジゼルさんが問いかけてきた。
私の薬指に嵌められ続けている、サリオン様との結婚指輪のことだ。
「これは、まだ、……つけていたいです」
私は反射的に自分の左手を握り締めた後、努めて冷静に言葉を続けた。
「真にロイド様の元へ嫁ぐとき、けじめとして外したいのです。それに数日で心変わりする軽い女というのも、ロイド様に相応しくない気がして」
複雑な心情を吐露するように話す私を、ジゼルさんはじっと見つめた。
そして暫くして、ふっと表情を和らげた。
「分かりました。では、そのままに」
「……!」
「ロイド様も、焦る必要はないと仰っています。準備が整いましたら、表へお越しください」
ジゼルさんは丁寧にそう告げて頭を下げると、去っていった。
数日間過ごして分かったが、ジゼルさんはフレアリス家に忠実な真っ直ぐな人だが、悪意はない。
それは多くの他の人達にも言えることで、本当に私を洗脳されているのだと信じ、案じてくれている。
だからこそ騙すのは心が痛んだが、それでも私はサリオン様を救いたい。
黒曜城に、私の家へ、帰りたい。
「ロイド様、お待たせいたしました」
「とても美しいよ、カナリヤ!」
王都の観劇場まではそう遠くなかったが、馬車で向かうようだ。
ゆっくりと移ろう窓の外の景色は、街の活気と賑わいで溢れている。
私は王都育ちではあるが、十代の殆どを屋敷の中で過ごしていた。
だから懐かしいというよりは、見慣れぬ新しい光景だった。
フレアリス家の馬車に気付いた人々は、歓声をあげながら敬礼したり手を振ったりしている。
ロイドは彼らに微笑み返し、上品に手を振り返していた。
「どうだい、カナリヤ。俺の人気は凄いだろう。さあ、君も手を振って」
「えっ、あ、は、はい」
促された私は、控えめに外へ向かって小さく手を振る。
民衆のざわめきが、ひときわ大きくなったようだった。
「ふふ、皆、君の話をしているよ」
「そんな、まさか」
「本当さ! 見てごらん、皆の羨望の眼差しを。俺の隣にいることは、それだけの価値がある」
「隣……そういえば、メアリーは」
「ああ、ノースフェル家にも通達があっただろう。彼女は西方労働登録民になった」
「ロイド様が、密かに保護したりはしていないのですか?」
「ははっ、どうして? むしろ甘すぎる処分だと思うけどね――まあ、もうあの女のことなんてどうでもいいさ」
にこやかにそう告げるロイドは、本当にメアリーへ何の感慨もないらしい。
以前は彼女をとても丁寧に扱っていたのに、その変わり身の早さにぞっとする。
そんな私へ、ロイドが顔を寄せて囁く。
「もっとも君が望むなら、今からあの女を拷問にかけたっていいよ」
「い、要りません、そんなこと!」
私は驚いて身を引きながら、慌てて声をあげる。
「そう言うと思った。俺のカナリヤは優しいからね」
「……」
貴方のものではない、と否定したくなった言葉を私は我慢した。
ロイドは上機嫌で、また民衆へ手を振り始める。
私が暗澹たる気持ちで外の景色を見やると、張り出されている王都報が目に留まった。
詳細部分は読めないが、見出しの文字ははっきりと確認できた。
『サリオン・ノースフェル辺境伯を国家反逆罪で逮捕』
サリオン様の逮捕は、既に王都で周知の事実となっている。
このことが、もしかしたらロイドの名声を更に高めているのかもしれない。
――サリオン様。
彼を想って息が詰まりそうになりながら、私は拳を強く握りしめた。
◇ ◇ ◇
観劇に出かけた翌日より、予告通り侯爵夫人としての教育が始まった。
私は出来る限り従順にその指導を受け入れ、勉学にも励んだ。
そのおかげで、家庭教師や従者の人たちからも、ある程度信用を得ることが出来たらしい。
最初はかなり厳しく制限されていた屋敷内での行動も、少しずつだが自由になった。
部屋を勝手に出歩くことは許されないが、次第に監視は減り、鍵がかけられることもなくなった。
「やるなら、今しかないわ」
私は知識を身に付けたいと申し出て、王都報よりも民衆寄りの世聞録という記録を読ませて貰った。
そこには各地の魔物暴走による被害や、それを北の辺境伯の犯行ではと疑う推測が記されていた。
実際、被害はかなり深刻であるようだ。
そしてその騒動を鎮めて回っているロイドの評価は、増すばかりの様子だった。
世論が完全にサリオン様に不利に傾いていることは分かったが、彼の無実は私がよく知っている。
少しでも事態を究明するために、私はフレアリス家を探索することに決めた。
「……あなたたち、お願いね」
私はここ数日、夜にランプを灯しながら、勉学に打ち込む姿を使用人達に見せていた。
彼らは熱心な私を労わってくれたが、止められることはなかった。
私の部屋の窓の影が、使用人の滞在部屋から確認できるはずだ。
それを見て、私が部屋にいると彼らも安心しているのだろう。
私は刺繡を施して命を吹き込んだブランケットを、人影に見えるように丸く整える。
そして、あたかも私がここにいるかのように、装って貰うことにした。
「行ってくるわ」
そっと部屋の扉を開けてみる。
やはり、鍵はかかっていなかった。
私は小さく深呼吸して、暗い廊下へと足を進めた。




