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第78話 決意の白粉

 私は一人、あてがわれた豪華な部屋の窓から月を眺めていた。


 ロイド様は――ロイドは、私を侯爵夫人、つまり彼の妻にするつもりだと言った。

 彼は私が洗脳されているのだとも断言した。

 あれは本心だろうか、それとも演技なのだろうか。


 いずれにせよ、黒曜城へ結婚祝いの打診をしてきたのは彼の策略だったことになる。

 ただ、サリオン様への逮捕状は間違いなく本物だった。

 いくら王国警備隊のトップであるロイドでも、自由に逮捕状発行など――それも辺境伯を相手に、出来るはずがない。



(何か恐ろしいことが起きている)



 黒曜城はとても温かかった。


 自室で一人で過ごしていても、戸棚の上には皆の刺繍が飾ってあった。

 ミュラさんが時折、窓から訪ねて来て、ノクスさんにばれて叱られたりもした。

 中庭の方からは、ヴァルクさんやジョーヌさんの鍛錬の声が響いていた。

 リュミエさんやブルーさんが楽し気に空を飛ぶ姿が見える日もあった。

 ルージュさんとババさんが私の為に作ってくれるシチューの香りを感じることが出来た。

 

 そして寂しいと思う間なんてない程に、部屋の扉を叩いてくれる愛しい姿。

 いつだって、サリオン様は私に寄り添ってくれた。

 


 ――けれど今、この閉ざされた部屋で私は一人、冷たさを感じている。


「お母様」


 輝く白い月を見れば、いつでも母が見守ってくれている心地になる。

 母の言葉が、心に重く響く。 


『お月さまはいつも貴女を見ている。それに恥じない生き方をしなさい』


「お母様、サリオン様、黒曜城の皆さん、私は……」


 私は決意を込めて呟くと立ちあがった。

 鏡台の脇に高く積まれていた贈り物の箱を一つずつ丁寧に開けていき、化粧箱を探し当てる。


 華美な装飾の施されたその箱を鏡の前に置き、私は右頬の火傷の痕に白粉をはたいた。


 きっと質の良い化粧品なのだろう。

 瞬く間に、私の過去が、傷が、覆い隠されていく。


「私、逃げません。戦います」


 鏡に向かい合ったまま、自分に言い聞かせるように声を震わせる。


「そして貴方を、貴方を絶対に、救い出します」


 私は決めた。

 今、あからさまな抵抗をしても、哀れな女とみられるだけだ。

 

 ならばロイドの望む通りに振舞って、少しでも事態を解明する。

 私にしかできないことが、必ずあるはずだ。

 

「サリオン様、どうか、ご無事で」


 ――祈りは、その日夜遅くまで続いた。


◇ ◇ ◇


「おはようございます」


 翌朝、ジゼルさんが私を起こしにやってきた。

 私は綺麗に身支度を整え、顔に化粧を施して、彼女の前へ姿を現した。


「ジゼルさん、お願いがあります。裁縫箱を用意してくれませんか?」


 私は穏やかに微笑みながら、彼女にお願いをした。

 速まる鼓動を感じつつ、必死に昨晩考えた言葉を彼女に告げる。


「ロイド様の為に、刺繍をしたいのです」


 ジゼルさんは、昨晩と様子の変わった私に驚いた表情を見せた。

 ただ、すぐにその変化を受け入れてくれたようだ。


「良い心がけですね。カナリヤ様にも、御当主様のお気持ちが伝わりましたか?」


「はい。一晩休んで、私も目が覚めました」


 私の返答に、ジゼルさんは満足げに微笑む。


「分かりました。刺繍は貴族の教養としても認められています。すぐに準備しましょう」


「ありがとうございます!」



 こうして裁縫箱を手に入れた私は、部屋で過ごす殆どの時間を刺繍に費やした。

 そのおかげで、家庭教師による教育が始まるまでの3日間に、かなりの枚数の刺繍が準備できた。


 ――これが私の切り札だ。


 フレアリス家の人たちは、私が魔法を使えることに気づいていない。

 私の「刺繍を施したものに生命を吹き込む魔法」は強い力を持っている訳ではないが、きっと役に立つはずだ。

 


 出来上がった刺繍を机の上に並べて思案に耽っていると、扉をノックする音が響いた。


「カナリヤ、俺だ」


 私はびくりと顔をあげる。声の主はロイドだった。

 彼は毎晩、こうして部屋を訪ねてくる。


 私がおずおずと扉を開けると、大きな花束が差し出された。

 

「やあ。この花、昔から好きだっただろう?」


「は、はい。ありがとう……ございます」


 差し出された勢いのまま、私は花束を受け取る。

 そんな私の横を通り過ぎるように、ロイドは部屋の中へ入ってくる。


「生活は落ち着いたかい。今は何をしていたの?」


「今は、その、……ロイド様の為に、刺繍をしていました」


「俺の為に? 嬉しいなぁ!」


 ロイドはうっとりとしたように深紅の瞳を細めると、机の上のハンカチへ目をやった。

 その一枚を手に取り、間近で眺める。


「成程。確かによくできているね。でも、ここの色、紫はいただけない」


「駄目でしたか?」


「駄目だな、あの男を連想するから。やり直してくれるよね?」


「はい、勿論……」


「ああっ、やはりカナリヤは最高だ!」


 感極まった様子のロイドに両手をすくいあげられた。

 私は思わず「ひっ」と叫びそうになるのを、必死で飲み込む。


「このまま君を俺のものにしてしまいたいけど、俺は順序を守れる男さ。アイツとは違う」


 私は曖昧な笑みを浮かべる。

 サリオン様を悪く言う姿に腹が立ったが、今それを表に出すわけにもいかない。

 

「まずは、明日の観劇、楽しみにしていて」


「そうですね、とても」


「焦ることはないんだ。時間はたっぷりある」


「……」


 ロイドの言葉は、まるでサリオン様が二度と表舞台に復帰しないかのような口ぶりだった。

 冤罪を晴らせば釈放すると彼は言っていたが、やはりそのつもりはないのだろうか。



「それじゃあ、おやすみ、カナリヤ」


「おやすみなさいませ、ロイド様」



 しばらく言葉を交わしてから、ロイドは去っていった。

 私は閉まった扉を、いつまでも睨み続けていた。

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