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第77話 誘拐と洗脳

 ジゼルさんの言葉に嘘はなかった。

 15時ぴったりに、私の部屋には紅茶と焼き菓子が運ばれてきた。

 その際、ロイド様と一緒に見に行く予定だという観劇の原作の本も渡された。


(この扱いはおかしい。これでは、まるで……)


 私は部屋に一人取り残されたまま、カップの中で冷めていく紅茶を見つめていた。

 どんな経緯であれ、準備して貰った食事を無駄にしたくない。

 ただ、とてもではないが、今は喉を通る気がしなかった。



 ――何もできないまま気がつけば日は沈み、扉をノックする音が響く。


「カナリヤ様。夕食の準備が出来ました。どうぞ、こちらへ」


 私はジゼルさんに案内されるがままに、付いていく。

 フレアリス家の使用人の方たちとすれ違うたび、私は恭しく頭を下げられた。

 嫌な予感が増していき、私の背筋が冷たくなっていく。



 豪華な食堂に連れられてきた私へ、先に到着していたロイド様が駆け寄ってきた。


「やあ、カナリヤ! 屋敷ではゆっくり休めたかい?」


「ロイド様、過分なご厚遇、感謝いたします。ですが、私はあくまで保護対象で」

 

「ああっ、やっぱりよく似合っているよ、このドレス。今朝着ていたものより、ずっと良い!」


 ロイド様は感動したようにそう言って、私の黒髪に触れた。

 私はその距離の近さに拒否感を覚えて、反射的に一歩後ずさる。

 けれど彼は、そんな私の様子にまるで気づかぬように言葉を続けた。


「うん、良いね。素晴らしい。――だけど、この火傷の痕はよくないな。贈り物の中に化粧箱が入っていただろう。気づかなかったかい」


 私は急に右頬の火傷について言及されて、肩をびくりと震わせた。


「すみません。一つも開けていません。あれは、私への物だったのですか?」


「ジゼルから説明がなかった? そうでなくても君の部屋にあるのだから、開ければ良いのに。カナリヤは遠慮深いね。そういうところも好きだけど」


「それに、お化粧はあまり慣れていなくて」


「そうなの? ノースフェル家ではそんなお洒落もさせて貰えなかった? 可哀想に」


「ち、違います、そういう意味では!」


 実家のヴァレンティーヌ家で暮していた頃は、確かに化粧などする機会がなかった。

 けれど、ノースフェル家に嫁いでからは、リュミエさんにお化粧を教えて貰っていた。

 

 ただ、黒曜城での生活で、化粧を求められる場面は無かった。

 薄く白粉をはたいて頬紅をさせば、サリオン様は綺麗だと褒めてくれた。

 とはいえ、化粧をしていなくても、同じ位に美しいと称えてくれるのだ。

 

 また、私の火傷の痕について、何か言う人は黒曜城にはいなかった。

 だからあれほどコンプレックスだった火傷痕を、半ば忘れてすらいたのだ。

 久しぶりに指摘されて、そのことを実感していた。


「いいんだよ。優しい君は、ノースフェル家を悪くは言えないだろうからね」


「お願いです、やめてください。そんな言い方は……」


「君の火傷痕については、今後、良い術師を探してこよう。大丈夫、傷が分からないくらい綺麗になるよ」


「必要ありません、そんな」


「必要だよ」


 ロイド様が、私の言葉に被せるように強く断言した。


「必要なんだ、カナリヤ。君は素晴らしい。でも、もっと完璧にならなくては」


 にっこりと微笑むロイド様を、私は真っ直ぐに見つめ返す。

 勇気を振り絞るように、ぎゅっと左手を握り締めた。


「……ロイド様。あの、その、私の勘違いであれば、大変申し訳ないのですが」


 私は細く息を吐き出すと、意を決して訊ねた。



「私を、侯爵家に迎え入れようとしていませんか?」



 ――豪華な部屋、沢山の贈り物、新しいドレス、観劇の誘い、家庭教師を付けた再教育。

 どれも、まるで私を侯爵家の夫人に据えようとしているかの扱いだ。


 まさかそんなはずはないと、思いたかった。

 けれど、どうしてもそうとしか考えられない。



「ああ。そうだよ」



 ロイド様は動揺する素振りすらなく、優しくそう答えた。

 そして労わるように、私の両肩にそっと手を置く。


「だけど、大丈夫。ちゃんと君の心のケアはするつもりだ」


「い、意味が、意味が分かりません。ロイド様、私は、サリオン様の妻で」


「君はあの恐ろしい北の辺境伯に誘拐されて、洗脳されてしまっているんだ。でも、安心して。すぐに人間社会に戻してあげるからね」


「違う。違います。私、誘拐されても、洗脳されてもいません!」


「分かっているよ。……洗脳されている子はね、みんなそう言うんだ」


 必死に叫んでいた私は、ハッとした。

 私とロイド様を囲んでいる使用人さん達は、全員、私に同情的な眼差しを向けている。


 ――私の言葉が、誰にも、何一つ響かない。


「さあ、まずは食事にしよう。美味しい"人間の食事"をとれば、君も少しずつ正気に戻るはずさ」


「……」


 もはや言い返す気力も尽きて、私は促されるままに食事の席に着いた。


 出された豪勢な食事に、無理をして口を付ける。

 とても、味なんて感じることが出来なかった。

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