第56話 金輪際
――ずっと私のことを救いたかった、と。
そう告げるロイド様の視線が私に向けられていることに気付いて、サリオン様は立ち位置を変えてそれを遮ろうとする。
「カナリヤの以前の境遇を聞くと、とてもそうは思えないが」
「貴族社会の制約は強い。僕だって、どれほど悔いる日があったか!」
「言い訳だ。結果的に、カナリヤがどんな目にあったと思っている」
「だが、"普通の人間"は社会の枠組みの中でしか生きられない」
普通という言葉に、サリオン様が小さくたじろいだ。私は心配で胸が締め付けられる。
それでも、ロイド様の話は止まらない。
「僕の家の準備も整った。ようやく、カナリヤを迎えに行ける所だったのに!」
悔恨の情を滲ませて叫ぶロイド様へ、キッと顔を向けたのはメアリーだ。
彼女はずっと話についてこれず置いてけぼりになっていたが、やっと理解できる話題になったらしい。
「ちょっと、ロイド!? カナリヤを迎えに行くってどういうことよ!」
甲高い声で怒鳴るメアリーへ、ロイド様が低い声で一喝した。
「うるさい、黙れっ!!」
「……!?」
メアリーはその剣幕に硬直し、最初、何が起きたのか分かっていない様子だった。
ロイド様に怒鳴られたのは初めてだったのかもしれない。
私だって、彼のあんな姿は見たことがなかった。
「お前なんかどうでもいい! そもそも、お前が余計なことさえしなければ……ッ!!」
激怒と憎しみのこもった怨嗟の眼差しが、ロイド様からメアリーへ向けられる。
時間差で恐怖を感じてきたのか、メアリーの瞳に大粒の涙がたまり、がたがたと身体を震わせ始めた。
「なっ、何よ……なによ、なによ! 私のこと愛してるって言ってたのに!!」
自棄になったのか、メアリーは私を睨み付けてきた。
「全部あんたのせいよ、本当に邪魔な女! そんな辛気臭い面で、なんで大事にされてんのよ。こんなつまらない女……」
メアリーの言葉を聞いた瞬間、一気にサリオン様の殺気が広がった。
この場にいる全員が、呼吸を忘れてしまうほどの圧力だった。
私は息を飲むと、勇気を出して歩きだす。
一歩、また一歩と、ゆっくりとサリオン様の方へ進んだ。
「サリオン様」
彼の背に声をかける。
静かに振り返ったサリオン様は、複雑な表情をしていた。
必死に怒りを堪え、私と家族を守ろうと気を張り、孤独と不安を押し止めようとする気丈な姿がそこにはあった。
私はそっとその手を自分の両手で包み込む。
サリオン様の殺気が、少しだけ和らいだ。
「大丈夫です。少しだけ、彼らと話をさせてください」
私の申し出にサリオン様は戸惑った顔を見せたが、最後には頷いてくれた。
「分かった。気をつけて」
サリオン様から手を離すと、私はロイド様とメアリーの前に立つ。
今でも追放された、命を落としたあの日の恐怖は鮮明に思い出される。
怯えた心が指先を震えさせる。
――でも、私は負けない。
小さく深呼吸して、私は真っ直ぐに前を向いた。
「ロイド様、メアリー、お久しぶりです」
私の言葉に、真っ先に身を乗り出して応えてきたのはロイド様だった。
「カナリヤ! あの後、君を追いかけたけど見つからなかった。一体、何処にいたんだ?」
「それは、……詳しくは言えません」
自分が黒曜城に辿り着いた経緯については、私は口を噤んだ。
私が命を落としたことをロイド様に告げるのは憚られたし、まして、死んだ後に蘇ったなんて話、どう思われるか分からない。
私が悪く思われるのは構わない。
けれど、もしもサリオン様を悪く言われたらと思うと、耐えられなかった。
「だが、結婚なんて嘘だろう!? 君が行方知れずになって、まだ2ヶ月くらいじゃないか。そんな短い間におかしい。君はそんな娘じゃないだろう?」
一歩こちらへ踏み出してくるロイド様の勢いに、私は思わずあとずさる。
私の様子を気にする素振りもなく、ロイド様は畳み掛けてくる。
「まさか脅されているのか? それとも、君は優しいから辺境伯に同情したのか? それなら僕が何とでもする。戻ってこい、カナリヤ!」
必死に捲し立てるロイド様に、私は唖然としてしまった。
――彼は、こんな人だったかしら。
私の答えを聞く前から腕を伸ばして、私の手を掴もうとしている。
背後で控えているサリオン様は、反対にじっと耐えてくれているようだった。
きっと、私を信じてくれているのだ。
「ロイド様」
私は伸ばされた腕に応えることはなく、静かに首を横に振る。
「私が帰る場所は、黒曜城です」
ロイド様の表情が、希望を打ち砕かれたように歪む。
ずっと彼が支えてくれたことには違いない。感謝はしている。
でも、自分の意思を曲げることはできない。
「私は自分で望んでサリオン様の隣にいます。私は……、サリオン様を、愛しています」
ロイド様が伸ばしていた腕が、ぱたりと落ちた。
「あ、あんた、出来損ないの分際でロイド様に」
ぐちゃぐちゃに表情を歪ませながら、メアリーが声を震わせた。
メアリーがロイド様に執心しているのはよく知っている。
だから、私とロイド様の仲が絶たれるのは、彼女にとってむしろ良いことのはずだ。
それでも、好きな男性が見下している私に拒絶されたという構図が、気に入らなかったのだろうか。
とにかくメアリーは、全身から私への嫌悪の情を発しているようだった。
「メアリー」
悪意をぶつけられるのは、怖いし悲しい。
でも、私はメアリーへも真っ直ぐ視線を向ける。
「私は今まで、お父様から幸せを奪ったのは私だから、とにかく自分は耐えなければいけないと思ってた。それでお父様が元気になるなら、それが償いになると思っていたの」
メアリーは私を睨み続けている。
私は喋るのを止めない。
「……でも、間違ってた。きっとそれは、本当の償いにも慰めにもなっていなかった」
様々な思いが胸を過る。
でも、私にとって、今何が一番大切なのかはよく分かっている。
「私は家を追放されました。もう、ヴァレンティーヌを名乗ることもありません。受けた仕打ちも、全て忘れます。だから……」
サリオン様が、魔物さんたちが、私を救って守ってくれたように、私も彼らを支えたい。
その為には、いつまでも過去の傷に怯え続けているわけにはいかないのだ。
「金輪際、私の人生に関わらないで」




