第33話 私の過去をお話しました(前)
サリオン様の部屋は、静けさに包まれていた。
私は彼の優しい眼差しに勇気を貰いつつ、ゆっくりと話し始める。
「まず、10年前に約束の場所に行けなかったのは……その日に、火事にあったからです」
「火事?」
「はい。私はあの頃、母と共に別荘で過ごしていたのですが――自室で朝の支度をしていたら、突然、大きな爆発音が玄関の方から響いて……」
あの日のことは、数えきれないほどに夢で見て魘された。
だから昔のことなのに、酷く鮮明に思い出される。
私は微かに震える指先に、力を込めた。
「慌ててそちらに駆けていくと、家は炎に包まれていて、倒れている母の姿が見えました」
それは絶望的な光景だった。
夢であって欲しいと願ったけれど、そんな一瞬の現実逃避も許されない程に、炎と煙は容赦なく襲い掛かってきた。
「火の粉が舞って、息が出来ない程に空気が熱かったのを覚えています。何とか母の元へ辿り着いたけれど、その時には、もう逃げ場はなくなっていました」
「……カナリヤが火が怖くなった原因が、この火事か?」
サリオン様の問いかけに、私はおずおずと頷く。
「そうです。母は、何とか息はあったのですが、もう喋ることも出来ず……。ただ、幼い私を包み込むように、守るように、抱きしめてくれました」
母は苦しそうに、それでも優しく微笑んでくれていた。
きっと母自身だって恐ろしかっただろうに、最期まで、私のことを一番に考え守ってくれていた。
「やがて、黒煙と熱気のせいで意識も朦朧として、私は死を覚悟しました。そうして母の腕の中で、気を失ったのです」
サリオン様が息を飲むのが分かった。
私は彼の顔を見ることができないまま、小さく細く息を吐く。
「次に私が目を覚ましたのは、王都にある自分の屋敷でした。10日以上も眠っていたと、後から聞かされたのです。私は右頬に大きな火傷を負っただけで、それ以外の後遺症は残りませんでした。でも、母は……」
火事の被害は大きなものだった。
別荘は殆ど全焼し、母も、連れていた数人の使用人たちも、みんな命を落としたという。
そんな中、私だけが奇跡的に助かったのだ。
――正しく、母が私を守ってくれたのだろう。
「お恥ずかしい話ですが、そのときの経験が恐ろしく、サリオン様と過ごした記憶はすっかり忘れてしまっていたのです。だからと言って、貴方を傷つけてしまったことが、許されるはずはないと思いますが……」
私は顔をあげて、真っ直ぐにサリオン様を見つめた。
声が震え、身体が強張ってしまう自分を、必死に叱咤する。
「本当に、すみませんでした」
私の謝罪を受けて、今度はサリオン様が硬直した。
「いや、いや……」
彼は困ったように髪をかきあげてから、何とか言葉を探しているようだった。
「思った以上に事情が深刻で、正直、どう伝えれば良いのか分からないが……」
やがて、サリオン様は私の手を、そっと優しく両手で包み込んだ。
「君が僕を嫌になって、約束を破ったんじゃなかった。そのことが分かっただけで、僕は十分だ」
「サリオン様」
「それより、君はその後、どうなったんだ? あまり良い暮らしをしていなかったと、ルージュたちから聞いているが……」
サリオン様が心配そうに私を見つめる。
私はまた少しだけ視線を下げて、思い出すように言葉を紡いだ。
「火事の後、私の生活は一変してしまいました。屋敷には、常に重く暗い空気が漂っていました。それでも、最初は父も、使用人の方たちも、私を気遣ってくれていたように思います」
最初は、という私の言葉に何かを察したように、サリオン様が眉を寄せる。
速く脈打つ胸の鼓動を抑えるすべもないまま、私は語り続けた。
「けれど、……ある日、父の仕事で、何かトラブルが起きたようでした。母を失った悲しみで父はずっと眠れていなかったので、その影響もあったのかもしれません。苛立つ父を前に、どうしていいのか分からず小さくなっていると、父は突然私の足元に、陶器の置物を投げつけてきたのです」
全ての記憶はおぼろげで、曖昧だ。
だけど、陶器の破片が粉々に砕けて飛び散っていく様子だけ、なぜかはっきりと覚えている。
「全部私のせいだと、父は叫びました。私は……、私は、どうすることもできず、ただ、謝り続けることしかできず……」
あのとき父は、恐ろしい悪魔のような形相をしていた。
そして同時に、悲し気な顔をしていた。
それがあまりに苦しそうで、私は余計に、謝ることしかできなかった。
「その日をきっかけに、父も、使用人たちも、私をぞんざいに扱うようになっていきました。最初は食事の皿の数が減り、用意される衣服も粗末になっていき、掃除も自分一人でするようになり、会話もしてもらえず……」
それでも、まだ耐えられた。
私には母との思い出深い自室があり、母の残してくれた品々があったから。
しかし、それすらも奪われてしまうことになる。
「そして、私が12歳になった頃でしょうか。父が後妻のエルザ様と、再婚したのです」




