第31話 サリオン様の過去(後)
リュミエさんの部屋で、私は椅子に腰掛けている。
穏やかながらも、何処か悲し気な声で紡がれる彼女の話に、静かに耳を傾けていた。
「私たち魔物は、500年前に人間との戦いに敗北した"種族"です。その戦いの先頭に立ってくださっていたのが、魔王様でした」
「種族……なのですか?」
「はい。我々は瘴気を糧にして生きる。人間には瘴気が毒になる。元々、相容れることの叶わない種族でした。そして私たち魔物にとって、魔王様の存在は強い意味を持ちます」
リュミエさんがちらりと窓の外を見た。
黒い霧に覆われて、曖昧な輪郭の森が遠くまで広がっている。
「魔王様の存在を、魔物は本能で認識します。当然のように慕い、忠誠を持って従います。私やヴァルク、ミュラ達のように人と同じ知能を有している魔物は勿論、そうではない下級の魔物たちも全てです。何故だか分かりますか?」
「……王様、だからですか?」
「ふふ、そうですね。でも、それだけではありません。魔王様がいらっしゃることで、私たち魔物の力は強くなるのです。糧となる瘴気の量も増えます。だから我々は本能的に、陛下を敬い支え続けることを喜びとしているのです」
私は戸惑いを隠せなかった。
想像以上に、サリオン様の存在は魔物さん達にとって大切なもののようだ。
「そしておよそ20年前、そんな陛下の魂が、"人間"の器の中に誕生してしまったのです。500年間、身を潜めながら何とか生きてきた私たちは、驚き狼狽えました」
「それは確かに……」
「けれど、私たちに迷いはありませんでした。様々な力と呪いを持った陛下は、人間の世界では生きていくことは出来ません。だからこそ私たちは陛下をお迎えし、立派にお育てすると誓ったのです」
私は息を飲んだ。
サリオン様が以前に少しだけ教えてくれた話を思い出す。
――生者に触れると命を奪ってしまう力を持っている。
だから、彼を産んだ母も、とりあげた産婆も、みな死んでしまったという。
「私は……、私たちは人間のことは詳しくありませんが、皆で必死に学びました。そして、陛下の家族になれるよう、努めてきたのです」
「わ、分かります。皆さんが、どれだけサリオン様を大切にされているのか!」
私は思わず身を乗り出して頷いた。
リュミエさんは、魔物は魔王を本能的に敬うものだと言っていた。
だけど、それだけでは収まりきらない強い絆を感じていた。
私の言葉にリュミエさんは驚いたように目を見開き、柔らかく笑った。
「ありがとうございます。……それでもね、どうしても、人間と魔物には越えられない壁があるのです。たとえば、食事一つとってもそうです。私たちには、物を食べるという行為がうまく理解できません」
私は返答に困って黙り込んだ。
彼女の言う通り、種族が違う以上、全て同じにすることは出来ない。
「実は、陛下が死体人形を大事に持ち帰ってきたのは、カナリヤ様が初めてではないのです」
「そうなんですか?」
「はい。あれは、陛下がまだ4歳くらいの時だったでしょうか。突然、人間の男性と女性の死体を人形にして、連れ帰ってきたのです。森に落ちていた、と仰っていましたが……」
「4歳の頃って、まさか」
「ええ。陛下はその二人の人形を、お母様、お父様と呼んで、一緒に過ごされていました。自分で動かして、手を繋いだり、頭を撫でて貰ったり、共に食事をして、夜も一緒に眠って」
私は反射的に自分の口許を押さえた。もれ出しそうになる声を堪えるためだ。
幼少期のサリオン様の心情を考えると、胸が苦しくて指先が震える。
それに、リュミエさんや、魔物さん達にとってもきっとその光景は悲しく切ないものだっただろう。
自分たちが決して人間としては家族になれないことを、突き付けられたように感じたかもしれない。
そしてそれ以上に、サリオン様の苦しみを、嘆いてしまう方たちだろうから。
「その……その二人のお人形は、どうなったんですか?」
震える声で問いかける私に、リュミエさんは困ったように微笑んだ。
「数日して、みかけなくなりました。陛下はただ『もうあれは必要ない』とだけ私たちに仰りました。後日、城の裏手に、小さなお墓が出来ていたようです」
「そう、ですか……」
無意識に私の視線が下がる。
サリオン様の心の中で、どんな葛藤があったのか。
きっと、自分で動かす人形では、望むものは得られないと知ってしまったのだろう。
――それは4歳の子供にとって、あまりに苛酷な経験だった。
「あとは、そうですね。10歳の頃、随分と楽しそうに過ごしていた時期もありましたよ」
「あっ……」
私はすぐに、過去に自分と遊んでいた時のことだと気が付いた。
果たせなかった約束への罪悪感で、身体が強張る。
「カナリヤ様、私は、貴女を責めたい訳ではないのです。あの頃の陛下は、本当に幸せそうでした。当時、私たちは、深く事情は聞きませんでしたが――」
机の上で小刻みに震えていた私の指先に、リュミエさんの掌がそっと触れる。
「あのとき、陛下を笑顔にしてくださって、ありがとう。その貴女が、こうしてまた、今ここに居る。これ以上の運命が、あるでしょうか」
私は恐る恐る顔をあげる。
リュミエさんの微笑みは温かく、少しだけ切ない。
「貴女のことです、きっと10年前にも、何かご事情があったのでしょう。でもね、カナリヤ様。私は確信しているのです。陛下を幸せに出来るのは、貴女しかいないと」
「わ、わたしが……そんな……、」
「大丈夫、きっとうまくいきますよ」
「リュミエさん」
リュミエさんの眼差しが、かつて母に向けられたものと重なった。
「リュミエさんも心から、サリオン様を大切に思っていらっしゃるのですね」
「陛下にとって、何が真に幸せなのか――私たちには、計り知れません。けれど私は、陛下が人間の器に生まれてきたことにも、必ず意味があると思うのです」
重なった掌に、微かに力が籠められる。
「人間としても……幸せになって頂きたいと、願っているのです」
私はリュミエさんの想いを聞き、一度小さく息を吐き出すと、覚悟を決めた。
「リュミエさん、私、サリオン様の所に行ってきます」
ゆっくりと椅子から立ちあがる。
もう足は震えてはいない。
「何が自分に出来るのか……まだ、分かりませんが。それでも、私も、サリオン様に幸せになって頂きたいのです」
私の言葉に、リュミエさんは目を細める。
「はい。行ってらっしゃいませ。陛下は自室にいらっしゃるはずですよ」
「ありがとうございます、リュミエさん」
私は深く一度頭を下げると、あとは振り返ることなくサリオン様の部屋を目指して駆け始めた。




