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第115話 世界で一番温かな場所で

 柔らかな風が、私の髪を揺らしている。

 穏やかな春の日差しに照らされて、私はゆっくりと目を開けた。


 空は優しく青く澄んでいた。

 美しい草原に、私は横たわっているようだった。


「おはよう、カナリヤ」


 懐かしい声がした。

 慌てて体を起こして振り返ると、そこには死んだはずの母の姿があった。

 どうやら私は母の膝枕で、ずっと眠っていたようだ。


「お母様!!」


 私は母に飛びついた。

 そこで気が付いたのだが、私は幼い少女の姿に戻っていた。

 丁度、母と、家族と幸せに暮らしていた、8歳の頃の姿だ。


「カナリヤ、良い子」


 母は私を受け止めて、頭を撫でてくれた。

 いつもそうしてくれていたように、何度も、何度も。


「お母様……っ、私、私……!」


 母に会ったら、沢山言いたいことがあった。


 辛くて理不尽な目に遭っても頑張ったこと。

 素敵な温かい人たちに巡り合えたこと。

 悲しくて挫けそうになっても最後まで戦い続けたこと。


 でも、言葉が詰まって何も言えなくなってしまった。

 

「カナリヤ。頑張りましたね」


 温かな声に、全てを認めて貰えた気がして涙があふれてくる。


 私は嗚咽をもらしつつ、母の胸で泣きじゃくった。

 今だけは甘えても許される気がした。

 母はずっと、私を慈しむように抱きかかえてくれていた。


「……ごめんなさい。お母様は、わたしのせいで、火事に」


 全てを壊した、あの日の火事の真相は分からない。

 けれど、確かにロイドは言っていた。

 私の為に彼が起こしたことなのだと。

 

 母は静かに首を横に振り、私の頬に伝う涙を指で拭う。


「いいえ、貴女のせいではありません。謝ることなんて、何もないの」


 母は私をなだめるように、温かく微笑んだ。


「貴女は私の自慢の子」


 それから少しだけ、その表情に悲し気な色をにじませた。


「私こそ、ごめんなさいね。貴女を残していってしまって」


「良いの、お母様。……もう会えたから、良いの」


 私は再び母にしがみ付いて甘えた。

 失った時を取り戻すように、温もりを胸にしまい込むように。



 随分と長くそうしていたと思う。

 やがて、母は静かに私へ囁きかける。


「カナリヤ……貴女は、十分、頑張りました」


「お母様」


「もしも貴女が望むのであれば、これから一緒に温かな場所へ行きましょう」


「一緒に? お母様と、二人で?」


「ええ。そこで二人で、暮らしましょう」


 私は驚いて、母をじっと見つめた。

 母は私に全てを委ねるように、優しく見守ってくれている。


「私は……」


 私の答えは、決まっていた。


「ごめんなさい、お母様。私は、いけない」



 気づけば私は、18歳の娘の姿へと戻っていた。

 それでも何も変わらず、母は私へ温かな眼差しを向けてくれている。


「あのね、お母様。……私ね、好きな人が出来たの」


 私は声を震わせながら、必死に言葉を紡ぐ。


「その人の傍が、世界で一番、温かい場所なの」



 私の答えを聞いて、母は静かに微笑んだ。

 最初から、母は全てわかっていたのかもしれない。



「わかりました、カナリヤ」


 母が告げるのと同時に、少しずつ世界の景色がほどけていく。

 美しい鮮やかな光の蝶となって、霧散していく。


「本当に、大きくなったのね」


「お母様……」


 私は直感した。

 きっと、これで母に会えるのは最後になるのだと。


 まだまだ涙があふれてくる。

 それでも私は、笑顔を浮かべた。


「お母様、私、お母様の娘で良かった」


「カナリヤ、良い子。私の一番の、宝物」


 母は私の手を引いて立ちあがらせると、最後に優しく頭を撫でた。


「さあ、行きなさい」


 母の手が私から離れる。

 母のいる場所から、私が切り離されていく。

 


「――行きなさい、カナリヤ!」


「はい!!」



 私は声をあげ、振り返らずに走り始めた。 

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