第110話 英雄の末路
空の亀裂は緩やかに閉じていき、じきに何も見えなくなった。
赤黒く染まっていた空は、柔らかな紫色へと変じていく。
いつの間にか日没を迎えており、もうすぐ夜がやってくるのだろう。
神核炉の本体である躯の塔は、完全に動きを停止した。
不気味に拍動していた赤黒い光も消え去り、伸び出ていた腕も霧散する。
後に残されたのは、屍の積み重なった巨大な塔だけだった。
神核炉の暴走が止まっても、空に飲み込まれていった人は返らない。
地割れや瓦礫の落下に巻き込まれた人たちも負傷したままだ。
「サリオン様……」
私は、動かなくなったその人の冷たい体を抱き寄せる。
「貴方が、守った世界です」
そこに広がるのは救われた美しい世界ではなく、取り残された地獄の残渣だった。
それでも、確かに守られた世界だった。
助かったのだと理解した人々から歓声が上がる。
そして民衆も衛兵も貴族もみな協力して、負傷者の救出作業が始まった。
私はそれでも、その場から動けずにいた。
腕の中から、サリオン様の温もりが失われていく。
だけどずっとこうしていれば、また、悪戯っぽく微笑んでくれるのではないかと。
そんなありえない希望に縋って、立ちあがれなかった。
魔物さん達が、遠巻きで見守ってくれているのが分かる。
彼らだってサリオン様に駆け寄りたいだろう。
抱きしめて、寄り添いたいだろう。
そう理解していても、どうしても動くことができない。
「サリオン様……。私には、無理ですよ……」
彼の願いは理解している。
彼の想いは理解している。
だけど、胸に広がるのは寒々とした悲しみだけ。
「貴方が、いないと……」
――そのとき、ごとりと物音がした。勿論、サリオン様からではない。
私が戸惑いつつ顔をあげると、それは躯の塔の方からだった。
「くそっ、くそ!! 何がどうなってる!?」
「ひっ……!」
視線を向ければ、躯の塔の屍の中からロイドが這いずるように姿を現した。
私は混乱したまま、サリオン様を守るように抱き寄せる。
「貴様、生きていたのか!?」
魔物さん達が飛び出し、私を守るように立ちはだかった。
ロイドは暫く状況を理解できていない様子で、周囲の景色を見渡した。
躯の塔を見て、空を見上げて、民衆を見まわし、最後にサリオン様へ視線を向けた。
動く様子のない彼の姿を見て、サリオン様の死を確信したのだろう。
ロイドは口元に大きな弧を描いて、満面の笑みを浮かべた。
「はっ、はは。やった! 死んだ! 化け物が、魔王が、死んだ!!」
その大声は広場全体に響き渡った。
人々の視線が一気にロイドの方へと集中する。
「見ろ、死んだぞ。あの化け物が死んだんだ。俺のおかげだ。神核炉のおかげだ!」
自分が注目されていると分かったロイドは、己の手柄を喧伝する。
倒れ伏すサリオン様を指さし、誇らしげに宣言した。
「やっぱり俺は正しかっただろう!!」
一瞬、白の聖殿は静寂に包まれた。
そして僅かな間をおいて、ロイドへ投げかけられたのは罵声の嵐だった。
「お前のせいで、滅茶苦茶だ!」
「私の夫を返して!!」
「こんな怪我じゃ、もう仕事もできない!」
「俺は魔王に助けて貰ったぞ」
「ロイドこそが化け物じゃないか!!」
殺気立つ人々の様子に気圧されつつも、ロイドは声を張り上げる。
「畜生ッ、……頭の悪い愚民どもめ!」
彼は満身創痍の状態でありながらも、魔力を練り上げ始めた。
対峙している魔物さん達に緊張が走る。
「本当の勝者は誰か、思い知らせてや――」
ロイドの言葉は、最後まで続くことは無かった。
彼の胸から、剣の先が突然突き出した。
ロイドは背後から、剣で突き刺され貫かれたのだ。
彼がずっと都合よく操っていた、ヴァレンティーヌ伯爵――私の父によって。
「ぐっ、おまえ、……な、んで……」
「お前が……、お前が、私のマリアを……!!」
父の絶叫が響いた。
そうだ、父は母を何よりも誰よりも深く愛していたのだ。
彼女を失ったことで、全てが壊れてしまうほどに。
ロイドは己の罪を自白していた。
母が亡くなった火事の犯人は自分だと告げる声が、指輪によって示されていた。
真実を知った父が、ロイドへ刃を向けたのだ。
「雑魚が!! くっ、お前なんかに……!」
ロイドの練り上げていた魔力が、父へと向けられる。
父は悲鳴をあげながら、炎に包まれて灰と化していく。
「くそっ、くそぉ! か、カナリヤ!」
血を流して膝をつきながら、息も絶え絶えの様子でロイドが私の方へ腕を伸ばす。
魔物さん達はロイドが無力だと判断しているのか、控えつつも見守ってくれている。
「……ロイド」
私が返事をすると、ロイドは嬉しそうに笑った。
それはどこか、幼い頃の面影のある笑顔だった。
「カナリヤ、カナリヤ! 俺は、君が!」
私は拳を握り締める。
唇をきつくかみしめ、意を決すると彼へと真っ直ぐに顔を向けた。
「ロイド、私……貴方を絶対、許さない」
その瞬間、ロイドの表情が一気に絶望に染まった。
そのまま彼は倒れ伏し、息絶えた。




