第101話 ごめんなさい
処刑場である「白の聖殿」上空に現れた巨大な竜に、大きなどよめきが起こった。
一瞬、愕然とした表情を浮かべたロイドは、すぐに我に返って声を張り上げる。
「対空魔術師、何をしている! 結界を発動しろ。撃ち落とせ!!」
白の聖殿の中央で待機していた数名の魔術師たちが、慌てたように杖を振り上げる。
彼らは結界の為の魔力を練り上げようとした。
しかしそれより早く、黒銀の竜の後ろから翼を持った白蛇が飛び出した。
リュミエさんが瞬時に白蛇の姿に変化して、他の魔物さん達を背に乗せて飛翔したのだ。
「させないにゃあ!」
大きな白蛇の背に乗った灰猫のミュラさんが叫ぶ。
それと同時にリュミエさんが魔術師たちへ向かって咆哮した。
幻惑の魔術が込められたその声に、魔術師たちの動きが一瞬固まる。
「カナリヤ殿、陛下を頼む」
「こちらは任せろ!」
その隙を突いて魔物さん達が次々に白の聖殿に降り立ち、魔術師を制圧していく。
「くそっ、周辺の警備隊もこちらに回れ!」
ロイドが声を荒げる。
彼自身も憤怒の表情のヴァルクさんに殴りかかられて剣で応じるが、防戦一方の状態だ。
「あの竜を何とかしろ! あれは――か、カナリヤ!?」
竜の背に乗る私にようやく気が付いたのだろう。
驚愕する様子のロイドへ、私が振り返ることはない。
私はアウロスの背に乗り、真っすぐに処刑台へ飛び進む。
そこには高壇の上に晒し上げられるように、一人立ち尽くすサリオン様がいた。
いつも宝石のように澄んで煌めいていた紫の瞳が、今は暗く沈んでいる。
快活だった姿は見る影もなく、今の状況に対してすら、微かに困惑の表情を浮かべるしかできない。
弱り果て、心すら何処かへ置き忘れてきたかのように、彼は儚く見えた。
「サリオン様!!」
私はアウロスから飛び降りると、高壇の上を駆けていきサリオン様を抱きしめた。
言うべきことは沢山あった。
するべきことは沢山あった。
「サリオン様……!!」
けれど、今にも壊れてしまいそうな彼を見て、抱きしめて名を呼ぶことしかできなくなった。
あんなに強くて優しい人が、どうしてこんな仕打ちを受けなくてはいけないのか。
私の目に涙が滲んで、頬を伝い零れ落ちていく。
サリオン様は困ったような顔で私に抱きしめられたまま、動かない。
いつもならすぐに抱きしめ返してくれるはずの腕は、力なく下ろされたままだ。
悲しくて、悔しくて、こうなる前に彼を救えなかった自分が憎らしい。
「サリオン様、ごめんなさい。一人にしてしまって、ごめんなさい」
彼は私の為に頑張ってくれていたのだ。
変わろうとしてくれていたのだ。
そうして人間社会と繋がりを持とうとした結果、こんなことになってしまった。
「もういいのです。皆で、黒曜城へ帰りましょう」
私が声を震わせながら何とかそう言うと、サリオン様がやっと言葉を発した。
懐かしいその声は、記憶にあるものよりとても弱々しく掠れていた。
「カナリヤ……」
彼は悲痛な表情を浮かべて、信じられない台詞を続けた。
「君は……、ロイドと結婚するのでは……?」
私はしばしその意味が理解できず固まり、理解できた瞬間に彼につかみかかっていた。
「そんな訳ないでしょう!?」
サリオン様を労わりたいと思うのに、反射的に怒鳴ってしまった。
私は慌てて自分の口を押える。
怒りを向けられたサリオン様は驚いたように目を見開いたが、少しだけその表情に生気が戻った気がした。
「ち、違うのか? ロイドが書類を見せてきたから」
「勝手に彼が準備したものです。私は一切、了承していません」
「でも、君は指輪を」
「襲われそうになった私を、サリオン様の指輪が守ってくださったんじゃないですか!」
私は今も指輪の光る左手を、彼に向かって突き出した。
一体、サリオン様はロイドに何を言われたのだろう。
とにかく、とんでもなく大きな誤解があることは分かった。
「私はサリオン様の妻です。今までも、これから先も、ずっと。そうでしょう?」
祈るように縋るように告げる私を、サリオン様はじっと見つめた。
その紫の瞳にゆっくりと、温かな光が灯っていく。
彼が私の言葉を信じてくれたのだと、伝わってきた。
サリオン様が優しい、柔らかな微笑みを浮かべる。
酷く懐かしい、愛しい微笑みだった。
「……ありがとう。カナリヤの言葉が、とても嬉しい」
彼は弱々しく、私の手をそっと握る。
私はそんな彼の手を、ぎゅっと強く握り返す。
「良かった。サリオン様、では、ひとまずここから逃げましょう」
眼下に広がる大広場では、魔物さん達が衛兵相手に奮闘していた。
しかし、人間側は次々に応援が呼ばれて、混乱は広がっていくばかりの様子だ。
とにかく一度ここから離れて、サリオン様を休ませるべきだろう。
魔物さん達も、皆、それを望んでいるはずだ。
私はサリオン様の手を引いて、アウロスの所まで向かおうとした。
しかし彼は歩を進めることはなく、繋いでいた手がするりと離れる。
「サリオン様?」
私は胸騒ぎと共に振り返った。
サリオン様はその場に佇んだまま、力なく微笑んだ。
「ごめん。僕は、一緒にはいけない」




