第8話 貧乏猫の冷蔵庫
ギィィ……。
古びたアパートのドアが開く。
「ただいま。」
琥珀が照れくさそうに部屋へ入った。
「狭いけど、上がって。」
「おじゃまします。」
萌香も靴を脱いで中へ入る。
六畳ほどのワンルーム。
古いテーブル。
座布団が二枚。
本棚には探索者向けの教本が数冊。
必要最低限の家具しかなく、驚くほどさっぱりした部屋だった。
「物が少ないね。」
萌香が部屋を見回す。
「う、うん……。」
琥珀は耳をぺたんと寝かせ、もじもじする。
「探索者装備って、お金が掛かるんだ。」
「剣の手入れ。」
「革鎧の修理。」
「魔石の補充。」
「給料が入っても、ほとんど装備代でなくなっちゃう。」
「生活は……結構苦しくて。」
恥ずかしそうに笑った。
「冷蔵庫、見る?」
「いいの?」
「笑わないでね……。」
琥珀がおそるおそる冷蔵庫を開ける。
中古の二ドア冷蔵庫。
そこそこの大きさはある。
しかし中には、
代用マーガリン。
代用チーズ。
漬物。
水。
昨日の残りらしい野菜スープ。
卵が二個。
それだけだった。
冷凍庫には氷しか入っていない。
萌香は黙って冷蔵庫を見つめる。
(なるほど……。)
(生活はかなり厳しい。)
テーブルに座る。
腕を組み、目を閉じた。
(考えろ。)
(私。)
(会社で散々やってきたじゃない。)
社畜スキル、起動。
社畜戦略、開始。
社畜マーケティング、展開。
営業経験。
企画力。
市場分析。
頭の中で情報が高速に組み立てられていく。
そして。
萌香の口元がゆっくりと吊り上がった。
「琥珀。」
「ん?」
「魚人街って、闇市みたいな市場があるんでしょ?」
「あるよ。」
「探索者も商人も集まる。」
「食材も魔石も、珍しい物なら何でも売れる。」
萌香がニヤリと笑う。
少しだけ悪い顔だった。
「だったら。」
「私のリュックの商品を売り飛ばそう。」
「えっ?」
琥珀の耳がぴんっと立つ。
「そのお金で生活するの?」
「違う。」
萌香は首を横に振る。
「売ったお金で、またポイントになる商品を買う。」
「この世界で価値が高い物を売れば、利益が出る。」
「利益が出れば、もっと商品を仕入れられる。」
「それを繰り返せば。」
「ポイント以上の価値を生み出せる。」
琥珀はぽかんと口を開けた。
「商売……。」
「そう。」
萌香は笑う。
「会社じゃ営業も企画もやってたから。」
「こういうのは得意。」
「琥珀。」
「この街で売れそうな物って何?」
琥珀は少し考える。
「果物かな。」
「オレンジ。」
「バナナ。」
「グレープフルーツ。」
「あと本物のチョコレート。」
「それから香辛料。」
「バニラビーンズ。」
「サフラン。」
「その辺のお金持ちや高級料理店なら、高く買ってくれると思う。」
萌香は大きくうなずいた。
「よし。」
「まずは様子見。」
《魔法取り寄せ》を開く。
⸻
【魔法取り寄せ】
所持ポイント 4,386Pt
果物
・バナナ(1房) 150Pt
⸻
「バナナを五房。」
ボフッ。
ボフッ。
ボフッ。
ボフッ。
ボフッ。
テーブルの上へ、黄色いバナナが五房並んだ。
-750Pt
所持ポイント 3,636Pt
甘い香りが部屋いっぱいに広がる。
琥珀は思わず見入ってしまう。
「すごい……。」
萌香はさらに画面を操作する。
⸻
【魔法取り寄せ】
所持ポイント 3,636Pt
チョコレート
・板チョコレート 180Pt
⸻
「板チョコを十枚。」
ボフッ。
ボフッ。
ボフッ。
次々と板チョコレートが積み上がっていく。
-1,800Pt
所持ポイント 1,836Pt
琥珀は完全に固まっていた。
「……萌香。」
「どうしたの?」
「今、この部屋。」
「魚人街の高級食料品店より、高価な物が置いてあるよ……。」
萌香は積み上がったチョコレートを眺めながら、不敵に笑う。
「よし。」
「早速、売りに行く準備をしよう。」
「社畜が五年間で覚えた営業力。」
「異世界でも通用するか、試してみよう!」
琥珀の猫耳がぴんっと立つ。
「なんだか……。」
「私までワクワクしてきた!」
二人は顔を見合わせて笑った。
戦後の厳しい世界。
その片隅で、小さな商売が静かに始まろうとしていた。




