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転生したら、もう一つの日本でした ~社畜OLは本物のチョコで魚人街を変えていく~  作者: ケロン藤野


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第33話 チーズの見せる幻


ロータスクラブ会場。


響二十一年をはじめとする高級ウイスキーに、会場の空気はすっかり変わっていた。


「こんな酒、どこから手に入れたんだ……。」


「ブラックプリンスという店か。」


「魚人街に、そんな店があったとはな。」


名士たちの間では、もはやブラックプリンスの話題が止まらない。


その時だった。


黒服のホテルスタッフが、先ほどまでウイスキーを運んでいたワゴンを再び押してきた。


今度のワゴンに乗っているのは、銀色に輝く大きなプランター。


その上には、白い紙に包まれたチーズが丁寧に並べられていた。


「皆様。」


黒服が一礼する。


「ウイスキーも素晴らしいものですが。」


「本日は甲州ワインにも合うものをご用意いたしました。」


名士たちが一斉にワゴンへ視線を向ける。


黒服は銀のプランターの前で立ち止まる。


そして、専用のナイフを取り出した。


サクッ。


静かな音とともに、ブリー・ド・モーを丁寧に切り分けていく。


続いてロックフォール。


青カビの美しい模様が入った断面が現れる。


「こちらはフランス産。」


「ブリー・ド・モー AOC。」


「そして、ロックフォール AOPでございます。」


切り分けたチーズは、小型のデザート皿へ盛り付けられる。


ブリー・ド・モー。


ロックフォール。


それぞれ二切れずつ。


その横には、チーズを乗せて食べるための薄切りバケット。


一人分ずつ美しく盛り付けられていく。


黒服たちは、それを一皿ずつ名士たちのテーブルへ配っていった。


「どうぞ。」


「ごゆっくりお楽しみください。」


張社長も皿を受け取る。


「ほう……。」


白いブリーを見つめる。


隣では、ホテルオーナーが甲州ワインをグラスへ注いでいる。


「ウイスキーだけじゃないのか。」


「これは面白い。」


その中で、一人の男性がチーズへ手を伸ばした。


六十代前半。


八王子で長く事業を続けてきた名士の一人だった。


彼は薄切りのバケットを一枚取り、その上へブリー・ド・モーを乗せる。


そして、一口。


「……。」


口の中に広がる、柔らかなコク。


チーズの香り。


バケットの香ばしさ。


ゆっくり噛みしめる。


そして甲州ワインを一口。


「……ああ。」


その瞬間だった。


彼の脳裏に、遠い昔の光景が浮かんだ。


まだ戦争が始まる前。


若かった頃。


必死に働いていた。


仕事が終われば、仲間たちと飲みに行った。


まだ若かった妻とも、休日には街へ出掛けた。


デパートの地下へ行けば、今まで見たこともない食材が並んでいた。


チーズ。


輸入菓子。


ワイン。


海外から届いた珍しい食材。


「今度は何を食べようか。」


妻と笑いながら、買い物をした。


日本が豊かだった時代。


店へ行けば、金さえ払えば様々な物が手に入った。


そんな当たり前の日々。


彼は目の前のチーズを、もう一度ゆっくり味わった。


「……懐かしいな。」


小さな声だった。


隣の社長が振り向く。


「どうしました?」


六十代の名士は、少し照れたように笑う。


「いや。」


「昔を思い出してね。」


甲州ワインをもう一口。


口の中に残るチーズの余韻を楽しむ。


「戦争が始まる前は。」


「こういう物も、デパートの地下で普通に買えたんだよ。」


「そうでしたね。」


隣の男も静かにうなずく。


「今じゃ……。」


六十代の名士は、少し遠くを見るような目をした。


「金を出せば何でも買える。」


「そんな時代じゃなくなった。」


降魔戦争。


工場の破壊。


物流網の寸断。


そして戦後。


海外との航空便も大幅に減少した。


輸入品は極端に少なくなった。


特に熟成に時間がかかる食品や、高級な酒。


欲しくても、そもそも日本まで届かない。


「昔は簡単に買えたものが。」


「今じゃ、金を積んでも手に入らない。」


彼は皿の上のブリー・ド・モーを見る。


「……なんと言うか。」


「懐かしいな。」


その言葉には、羨ましさも、寂しさもなかった。


ただ、失われた時代を思い出すような、穏やかな笑顔が浮かんでいた。


その横で、別の名士がロックフォールを一口食べる。


「これは……強いな。」


「だが、ワインと合わせると面白い。」


ホテルのソムリエも試してみる。


「確かに。」


「甲州の酸味と、チーズの塩味がよく合います。」


帝国閣のオーナーも頷いた。


「ウイスキーだけじゃない。」


「こちらはワインでも楽しめる。」


料理長はチーズをじっと見つめる。


「この二種類。」


「帝国閣でも扱えないでしょうか?」


黒服は丁寧に答える。


「本日の品は、ブラックプリンス様からの特別なお品でございます。」


料理長の目が光る。


「……特別。」


その一言が、さらに名士たちの興味を引いた。


「次はいつ入る?」


「ブラックプリンスへ頼めばいいのか?」


「私も欲しい。」


「ホテル用に仕入れられないか?」


会場のあちこちで、問い合わせが始まる。


その頃。


会場の外の待合ホール。


萌香と琥珀はインカムを通して、その様子を聞いていた。


『チーズも好評だ。』


『酒だけじゃない。』


『昔を思い出したって連中までいる。』


恭子の声だった。


萌香は少し驚く。


「昔を?」


『ああ。』


『こういう商品は、ただ美味いだけじゃない。』


『昔を知ってる人間には、記憶まで売れるんだ。』


萌香は、その言葉を聞いてしばらく黙った。


そして小さく笑う。


「……商売って。」


「面白いですね。」


恭子が笑う。


『だろ?』


会場では今も、名士たちがチーズとワインを楽しんでいる。


一夜の差し入れ。


二種類のチーズ。


それだけだった。


しかし――。


この夜、ブラックプリンスは単に珍しい酒や食材を扱う店ではない。


失われた時代の味を、もう一度届けてくれる店。


そんな印象を、八王子の名士たちの心へ残し始めていた。

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