第17話 身分証を手に入れる。
翌朝。
ブラックプリンスの前へ、一台の高級セダンが静かに滑り込んできた。
シルバーに輝く流麗なボディ。
丸みを帯びたクラシカルなデザイン。
ジャガー Sタイプ。
「乗りな。」
恭子が運転席から窓を開ける。
「えっ。」
萌香は思わず車を見つめた。
「恭子さんが運転するんですか?」
「今日は私が送ってやる。」
恭子はニヤリと笑う。
「商売人は時間が命だからね。」
運転席にはホホジロザメの魚人ハーフである恭子。
助手席へ萌香。
後部座席には琥珀が乗り込む。
「わぁ……。」
萌香は車内を見回した。
木目調の内装。
革張りのシート。
ほんのり香る革の匂い。
「高級車だ……。」
恭子はエンジンを掛けながら笑う。
「ブラックプリンスの看板背負ってるからね。」
「安い車じゃ舐められる。」
ジャガーは静かに魚人街を走り出した。
市場を抜け、八王子駅方面へ向かう。
「姉さん。」
琥珀が後ろから声を掛ける。
「本当に保証人になってくれるの?」
「ああ。」
恭子は前を向いたまま答える。
「酒三本も貰ったから……って訳じゃない。」
「萌香は商売人として筋が通ってる。」
「だから信用した。」
萌香は少し照れくさそうに笑った。
十分ほど走ると、駅ビル近くへ到着する。
ガラス張りの近代的な建物。
八王子市役所 八王子駅前出張所。
恭子は地下駐車場へジャガーを止めた。
「さあ。」
「行くよ。」
三人は駅近くのビル市役所出張所へ入る。
受付番号を取り、窓口へ向かった。
「次の方、どうぞ。」
女性職員が笑顔で迎える。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
恭子が一歩前へ出た。
「身分証の新規登録だ。」
「保証人は私。」
職員は端末へ入力する。
「ご本人のお名前をお願いします。」
「甘城萌香です。」
「事情をお聞かせいただけますか?」
恭子は落ち着いた声で説明した。
「この子は琥珀の親戚だ。」
「身分証は窃盗に遭って紛失。」
「現在は魚人街で保護している。」
職員は電子情報を検索する。
数秒後。
「……該当データがありません。」
恭子は肩をすくめた。
「降魔戦争で電子情報が消えた人間なんて珍しくない。」
「役所もデータセンターも何度もやられたからね。」
職員もうなずく。
「はい。」
「現在も復旧できていない記録が多数あります。」
恭子は保証人欄へ名前を書く。
鱶田 恭子
ブラックプリンス代表。
魚人街商業組合理事。
職員は書類を確認し、すぐにうなずいた。
「保証人に問題ありません。」
「戦災特例制度を適用します。」
「正式な身分証を発行いたします。」
萌香は思わず息をのむ。
「本当に……。」
数分後。
カード発行機から一枚のカードが出てきた。
「お待たせしました。」
「こちらが正式な身分証です。」
萌香は両手で受け取る。
そこには、
甘城 萌香
と、自分の名前がしっかり刻まれていた。
「ありがとうございます。」
市役所を出ると、夏の日差しが降り注いでいた。
萌香は財布へ身分証をしまう。
「これで。」
「この世界でちゃんと生きていける。」
恭子は満足そうに笑う。
「次は携帯端末だね。」
琥珀も嬉しそうに耳を立てる。
「楽しみニャ。」
「またニャって言った。」
「うぅ……。」
三人は笑いながらジャガーSタイプへ乗り込み、駅前をあとにした。




