第16話 ウイスキーのロールスロイス
魚人街。
食材店ブラックプリンス。
カランカラン。
「おっ。」
「また来たね。」
店員たちが笑顔で迎える。
「姉さん!」
「萌香ちゃんたちが来ました!」
奥から、のっし、のっしと大柄な女性が歩いてくる。
ホホジロザメの魚人ハーフ。
ブラックプリンス店主。
鱶田恭子。
「今日は何を持ってきたんだい?」
恭子は笑いながら買取カウンターへ腰を下ろした。
萌香はリュックを静かに開く。
「今日は売り物じゃありません。」
「ん?」
「恭子さんへの贈り物です。」
ボフッ。
ボフッ。
ボフッ。
高級感あふれる化粧箱が三つ、カウンターへ現れた。
店員たちが思わず息をのむ。
「酒……?」
恭子は箱を一つ持ち上げる。
ずしり。
手に伝わる重み。
「これは……。」
ゆっくりと蓋を開ける。
黄金色に輝く一本のウイスキー。
ラベルを見た瞬間、恭子の動きが止まった。
「……。」
店内が静まり返る。
恭子は瓶を両手で持ち上げ、細部までじっくり眺める。
「この瓶……。」
「この造り……。」
コルクを少しだけ抜く。
ふわり――。
甘く華やかな香りが店内へ広がった。
恭子の目が大きく見開かれる。
「こいつは……。」
「本物だ。」
「しかも……。」
「マッカラン。」
萌香は少し驚く。
「知ってるんですか?」
恭子は静かにうなずいた。
「酒を扱う商人なら、一度は名前くらい聞く。」
「スコッチ・ウイスキーの最高峰。」
「『ウイスキーのロールスロイス』と呼ばれる酒さ。」
店員たちがざわつく。
「ロールスロイスって……。」
「イギリスの超高級車だろ?」
「そんな呼ばれ方をする酒があるのか……。」
恭子は名残惜しそうに瓶を箱へ戻した。
「また、とんでもない物を持ってきたね。」
萌香は三つの箱を恭子の前へ押し出した。
「三本とも。」
「恭子さんに差し上げます。」
店内が静まり返る。
「……は?」
恭子が固まる。
「三本とも?」
「はい。」
「いつもお世話になっていますから。」
「それと……。」
萌香は深く頭を下げた。
「お願いがあります。」
恭子の表情が引き締まる。
「言ってみな。」
「正式な身分証を作りたいんです。」
「その保証人になっていただけませんか。」
数秒。
沈黙が流れる。
恭子は萌香を真っすぐ見つめた。
その目は商人ではない。
魚人街の顔役として、人を見極める目だった。
「……理由は?」
萌香は迷わず答える。
「この世界で生きていくためです。」
「商売も。」
「生活も。」
「ちゃんと、この世界の住人として歩きたい。」
恭子はしばらく黙っていた。
やがて、大きく笑い出す。
「はっはっはっ!」
「気に入った!」
「酒で釣られたわけじゃない。」
「その覚悟が気に入った。」
三本のマッカランを見つめながら、苦笑する。
「とはいえ……。」
「こんな酒を三本も貰っちまったら、断ったら商人の名折れだ。」
店員たちも笑い出す。
「姉さん、顔が緩んでますよ。」
「うるさい。」
恭子は照れ隠しに咳払いをした。
そして、萌香へ向き直る。
「保証人。」
「引き受けよう。」
「本当ですか!」
萌香と琥珀が同時に立ち上がる。
恭子は指を一本立てた。
「その代わり。」
「商売を続けるなら。」
「絶対に無茶はするな。」
「一気に儲けようとする奴は、長生きできない。」
「商売は信用第一だ。」
「約束できるかい?」
萌香は力強くうなずく。
「はい。」
「約束します。」
恭子は満足そうに笑った。
「よし。」
「明日は私の車で迎えに行く。」
「八王子市役所まで送ってやる。」
「私が保証人になってやるよ。」
琥珀は嬉しそうに猫耳をぴんと立てた。
「ありがとう、姉さん!」
恭子は照れくさそうに鼻を鳴らす。
「その代わり。」
「今度、そのマッカランって酒の飲み方を教えてくれ。」
「せっかくなら、一番うまい飲み方で味わいたい。」
萌香はにっこり笑う。
「もちろんです。」
「おつまみも用意します。」
「約束ですよ。」
「楽しみにしてる。」
恭子は三本のマッカランを大事そうに抱えた。
その姿は、普段の豪快な魚人街の顔役ではなく、宝物を手に入れた一人の酒好きだった。
その日――
萌香は魚人街で初めて、本当の意味で**「信頼できる後ろ盾」**を手に入れたのだった。




