第5話 魔法だけが強さじゃない
「では、本日の授業は実戦形式の模擬戦を行う」
教壇に立つ先生がそう告げた瞬間、教室がざわめいた。
「模擬戦?」
「やった!」
「誰と組もうかな」
生徒たちの顔に期待が浮かぶ。
この学園に入学したばかりとはいえ、ここにいるのは皆、魔法士を目指す者たちだ。
自分の力がどこまで通用するのか、誰だって試してみたい。
「二人一組で対戦する。相手を場外へ出すか、戦闘不能と判断された時点で勝敗を決める。魔法の使用は自由。ただし、殺傷を目的とした攻撃は禁止だ」
先生が中央にある訓練エリアを指差す。
「それでは――」
先生が名簿へ目を落とし、
「最初は……リリアーヌ・ドラグニス」
「!」
その名前が出た瞬間、
「先生!俺がやります!」
「いや、俺だ!」
「お前は無理だって!」
「何言ってんだ!俺なら勝てる!」
男子たちが一斉にリリアーヌさんへ群がった。
「え、ちょ、ちょっと……!」
リリアーヌさんは目を丸くする。
「皆さん、落ち着いてくださいまし!」
「だってドラグニス家だぞ!」
「一度くらい戦ってみたいんだよ!」
「俺が勝ったら――」
「勝てるわけないだろ!」
男子たちは完全に取り合いになっていて、リリアーヌさんの尻尾が、困ったように揺れた。
「……ゴホン」
先生が咳払いをすると、一瞬で静まり返った。
「では順番にやれ」
先生がリリアーヌを見ると、
「……まあ、あのドラグニス家に勝てるとでも言うなら、やってみればいい」
「……え?」
男子たちの表情が固まった。
だが、先生はそれ以上何も言わない。
「第一試合。始め!」
「よろしくな、ドラグニスさん!」
対戦相手の男子が拳を構えると、
「ええ。よろしくお願いいたしますわ」
リリアーヌさんも優雅に一礼した。
赤い髪が風に揺れ、その背中では、同じ色の尻尾がゆらりと揺れていた。
「それじゃ――!」
男子が地面を蹴ると、
「炎弾!」
手のひらから炎の球が三つ現れ、続けざまに放たれる。
「行けっ!」
炎が唸りを上げて迫るが、リリアーヌさんは一切動かなかった。
「…………」
炎弾が目前に迫ったその瞬間、身体をわずかに横へ傾ける。
炎弾はすべて、リリアーヌさんの身体をかすめることすらなく通り過ぎた。
「なっ……!」
「遅いですわ」
「――ッ!」
男子が次の魔法を構えようとしたが、リリアーヌさんの姿が消える。
「え?」
瞬きする間に、リリアーヌさんは目の前に立っており、
「うわああああっ!」
胸元を軽く押されただけなのに、男子の身体は大きく吹き飛び、訓練場のエリア外へ転がった。
「……一本。リリアーヌ・ドラグニス」
「…………」
教室が静まり返り、
「今の……」
「見えたか?」
「速すぎる……」
リリアーヌさんは何事もなかったかのように髪を整える。
「まあ……当然の結果ですわ」
そう言いながらも、尻尾が嬉しそうに揺れた。
それを見ていた僕は、目を輝かせる。
「すごいなぁ、リリアーヌさん!」
「当然ですわ」
「…………」
リリアーヌは慌てて尻尾を背後へ隠した。
「な、何ですの、その目は!」
「え?」
「い、いえ! 何でもありませんわ!」
しかし第一試合は、序章に過ぎなかった。
「次、俺!」
「俺もやる!」
「ドラグニスさん、今度は俺と!」
男子たちは次々と名乗りを上げる。
「雷撃!」
「水槍!」
「風刃!」
様々な魔法が訓練場を飛び交う。
だが、リリアーヌさんはその全てを紙一重で避けた。
ある者には一歩も動かずに魔法を受け流し、ある者には一瞬で懐へ入り、またある者には、炎の魔力をまとった拳を一撃だけ叩き込んだ。
「一本!リリアーヌ・ドラグニス!」
「また……」
「嘘だろ……」
「全然歯が立たねえ……」
挑戦者は、次々と倒れていった。
それでもリリアーヌさんは息一つ乱していない。
「……ふん」
少し得意げに鼻を鳴らし、その尻尾は――
「……尻尾、嬉しそうだね」
「見ないでくださいまし!」
「ご、ごめん!」
リリアーヌさんは頬を赤くしながら、尻尾を両手で押さえた。
先生が名簿をめくり、
「ルカ・アルテミス」
「あ、はい!」
僕は立ち上がった。
その瞬間、男子たちから小さな笑い声が漏れた。
「ああ、アルテミスか」
「無能力者だろ?」
「だったら俺でも勝てるんじゃね?」
すると、一人の男子が手を挙げる。
「先生!俺、アルテミスとやります!」
「いいだろう」
男子が訓練エリアへ向かい、
「よろしくな、アルテミス」
「うん。よろしく!」
僕は笑顔で拳を構える。
そんな様子に、男子は鼻で笑った。
「随分と余裕だな」
「そう?」
「魔法も使えないくせに」
僕は少しだけ考え、
「うーん……」
そして笑った。
「魔法が使えなくても、やれることはあるから」
「……は?」
「それじゃ、お願いします!」
「開始!」
男子が一気に踏み込み、
「吹き飛べ!」
拳に風をまとわせる。
魔力によって強化された一撃が、僕の顔面へ迫るが、拳が届く寸前に身体を沈めた。
「なっ……」
拳が頭上を通り過ぎ、僕は一歩踏み込んだ。
相手の懐は今、完全に死角となる。
「ここだ!」
「ぐっ……!」
掌底が脇腹へ入り、男子の身体がわずかに浮く。
「な、に……!」
僕は追撃せず、相手が崩れる方向へ身体を合わせ、足を引っかける。
「せいっ!」
男子が地面へ倒れ込み、
「え、ちょっ……」
さらに僕は相手の腕を取った。
身体を捻り、相手の動きを完全に封じる。
「一本!ルカ・アルテミス!」
先生の声が響いた。
「…………」
教室が静まり返り、
「え?」
「魔法……使ってないよな?」
「使ってない」
「じゃあ、今の何だよ……」
男子が呆然と僕を見上げる。
「なんで……そんなに動けるんだよ……」
「練習したから、かな」
「…………」
「僕、魔法が使えないからさ。だったら、魔法を使わなくても戦えるようになればいいかなって」
その言葉に、誰も何も言えなかった。
リリアーヌさんも、黙って僕を見つめている。
「…………」
その尻尾が真っ直ぐに立ち、
「…………!」
リリアーヌさんは慌てて尻尾を押さえる。
だが、視線だけは僕から離れなかった。
(……無能力者なのに、あの動き……一体、どれほど鍛錬を積めば……)
初めてだった。
リリアーヌ・ドラグニスが、ルカ・アルテミスという少年を、少しだけ、羨ましいと思ったのは。
「レオン・シャルロット」
「……俺か」
レオンが席を立った。
その視線の先には、先ほどリリアーヌに敗れた男子生徒が頭を垂れて項垂れていた。
「お前」
「え?」
「俺ともやれ」
「えぇ……?」
男子生徒は露骨に嫌そうな顔をする。
「もう十分負けたんだけど……」
「授業だろ」
「まあ、そうだけどさぁ……」
渋々、訓練エリアへ向かい、
「……手加減してくれよ?」
「知らない」
「怖っ……」
「開始!」
男子生徒が魔法を放つと、
「水槍!」
鋭い水の矢が何本も飛ぶ。
レオンは一歩下がり、その身体がまるで、蛇のようにしなった。
全て紙一重で避け、
「こいつ……!」
男子がさらに魔法を放つが、突然レオンの姿が消えた。
「え?」
次の瞬間、男子の懐に入り込み、
「またかよ……」
レオンの足が相手の足へ絡みつく。
体勢が崩れ、そこへ腕を取る。
まるで蛇が獲物に巻き付くように、相手の動きを封じる。
「……終わり」
「一本!レオン・シャルロット!」
先生が告げると、男子は地面に倒れたまま、呆然としている。
「…………」
「レオンも強ぇ……」
「蛇人族って、あんなに動けるのかよ」
レオンは何も答えなかった。
鮮やかな緑の瞳の、その瞳孔は、普段の丸い形をしている。
その時だった。
「レオン!」
僕か嬉しそうに駆け寄ってくると、
「やっぱりレオン凄いや!」
「…………」
レオンの瞳が細くなる。
瞳孔が、蛇のような縦長へ変わった。
「……うるさい」
「え?」
「お前に褒められても、嬉しくない」
「そっか!」
僕ははあっさり笑った。
「でも凄かったよ!」
「…………」
レオンの眉がぴくりと動き、
「だから、うるさいって言ってるだろ」
僕を無視して、エリア外へ戻っていく。
その背中を見送りながら、僕は笑っていた。
「やっぱりレオンは強いなぁ」
「…………」
その声が、レオンの耳に届く。
レオンは拳を強く握った。
(――まただ。その笑顔。何を言っても、何をされても、こいつは笑っている。無能力者のくせに、何も持っていないくせに、どうしてそんなに楽しそうにしていられる)
「…………」
鮮やかな緑の瞳が、再び蛇のように細くなる。
レオンは振り返らなかった。
その頃、学園内のとある教室。
そこには誰もいなかった。
このクラスの生徒たちは全員、校庭へ出て体力測定を行っている。
教室に残されているのは、机と椅子。
そして、生徒たちが置いていった私物だけだった。
貴重品や魔法道具の魔導書。
普段なら、教室を離れる際には必ず施錠する。
この学園では、そういった管理も徹底されている。
――なのに、
誰もいないはずの教室の扉が、ゆっくりと開いた。
「…………」
廊下から、一つの影が滑り込んでくる。
人間ではない小柄な身体は、歪んだ笑みを浮かべていた。
そして、薄暗い教室を物色する不気味な目が鋭く光っている。
「……ヒヒッ」
魔物が喉を鳴らした。
「これはこれは……」
机の上に置かれた財布や、鞄の中から覗く魔法道具。
「おや?」
そして、一冊の古びた魔導書を見つけ、魔物の目が輝く。
「こいつぁ……」
古びた革表紙の魔導書は、今ではほとんど使われていない、古い魔法の術式が書かれている。
魔物はページをめくると、
「ヒヒヒ……」
口元を歪ませ、
「こりゃあ、高く売れそうだ……」
魔導書を懐へしまう。
続いて、机の上に置かれていた高そうな財布も手に取った。
「これもいただきだ……ヒヒッ」
魔物の身体がふっと揺らめくと、次の瞬間、そこには誰もいなかった。
残されたのは、開いたままの教室の扉だけ。
まるで最初から、そうなっていたかのように。




