第44話 揺らぐ心と矢の先
「……もっと深く、心の奥まで沈めてあげる」
マリアさんの身体から、黒く禍々しいオーラが立ち上る。
その異様な気配を前にしても、僕とレオンは退かなかった。
互いの動きを理解し、背中を預け合う二人。
その姿を見たマリアさんは、苛立たしげに目を細める。
「……どうして、まだ立っていられるの……?」
「お前に教える義理はない」
レオンが吐き捨て、
「それに、僕たちはまだまだ元気だよ!」
僕も笑顔を見せる。
その二人の姿を、少し離れた場所からリリアーヌさんは見つめていた。
セドリックさんに抱き留められたまま、彼女の視線は二人と、そして自分を支えている彼へと移る。
「……なんで貴方たちは、私を迎えに来たのですか……?」
その瞳は揺れていた。
リリアーヌさんは、彼らに見捨てられたと思っていた。
自分を置いていったのは彼らだと、そう信じていた。
それなのに、どうして今になって迎えに来たのだろう。
どうして危険を冒してまで、自分を助けようとしているのだろう。
「お嬢様……」
セドリックさんは彼女の顔を見つめ、静かに口を開いた。
「ルカ様も、レオン様も、お嬢様のご友人です。あのお二人が、お嬢様を見捨てるなんて、私にはそうは思いません」
「……でも……」
「私は、あのお二人を信じております」
セドリックさんの言葉に、リリアーヌさんは俯いた。
その視線が、ふと彼の腕へと向かう。
そこには、先ほど彼女自身の炎によって負った火傷があった。
「……っ」
胸の奥が締め付けられる。
自分の炎で、セドリックさんを傷つけてしまった。
自分を守るために、彼は傷を負ったのだ。
「……わたくしの、せいで……」
リリアーヌさんは小さく呟いた。
そんな彼女の視線に気づいたセドリックさんは、穏やかな声で答える。
「お気になさらないでください。お嬢様をお守りすることが、私の務めですからね?」
その言葉に、リリアーヌさんは何も返せなかった。
一方、マリアさんは僕とレオンの攻撃を受け止めながら、二人の様子を窺っていた。
何度精神に囁きかけても、二人は倒れない。
互いを信じ、支え合うその姿が、マリアさんの神経を逆撫でする。
「……いい加減にしてよ……!」
そして、彼女の視線が二人から外れた。
その先にいたのは、リリアーヌさんとセドリックさんだった。
「……なら、これならどう……!?」
マリアさんは二人に向かって、一気に距離を詰める。
「お嬢様!」
セドリックさんはリリアーヌさんを庇おうとするが、先ほど負った火傷のせいで、すぐには動けなかった。
それでも、彼は迷わなかった。
リリアーヌさんを守るため、マリアさんに背を向ける。
そして、彼女を強く抱き締めた。
「……ダメ…っ…!」
リリアーヌさんの口から、思わず声が漏れる。
マリアさんが迫り、セドリックさんが自分を守ろうとしている。
その瞬間、リリアーヌさんの身体が勝手に動いた。
彼女は無意識に、マリアさんへ向かって手の平を突き出す。
轟音とともに炎が弾け、そこから放たれたのは、一本の炎の矢。
それは真っ直ぐにマリアさんへと飛び、彼女の胸元に突き刺さった。
「……っ!?」
マリアさんの動きが止まる。
彼女は信じられないものを見るように、自分の胸に刺さった炎の矢を見つめていた。
「……なん……で……?」
その声とともに、マリアさんを包んでいた禍々しいオーラが、徐々に薄れていく。
やがて彼女は、その場に膝をついた。
一方、リリアーヌさんも自分の手の平を見つめていた。
何が起きたのか、すぐには理解できなかった。
自分が炎の矢を放った。
マリアさんに向かって。
けれど、攻撃しようなどとは考えていなかった。
ただ、セドリックさんを守りたかった。
その気持ちだけが、確かにあった。
「……これが……わたくしの……答え……?」
リリアーヌさんは呟く。
自分の手の平を見つめたまま、ゆっくりと顔を上げた。
その隣で、セドリックさんもまた驚きを隠せずにいた。
しかし、彼の表情には驚きだけではなく、嬉しさも滲んでいる。
「お嬢様……なんて無茶なことを」
困ったように言うセドリックさんに、リリアーヌさんはふっと笑った。
「それは、わたくしの台詞ですわ。……馬鹿、セドリック」
そう言って、彼の頭をコツンと叩く。
その仕草は、いつものリリアーヌさんそのものだった。
セドリックさんは一瞬目を丸くした後、穏やかに目を細める。
「……ふふ。これは失礼いたしました」
二人の間に、ほんの少しだけ穏やかな空気が戻った。
しかし、その一方で――、
「……なんで……」
膝をついたマリアさんが、小さく声を漏らす。
「……なんで、なんでなんでなんで……!」
彼女は頭を抱え、激しく取り乱した。
今まで、自分の魅惑の囁きに逆らう者などいなかった。
人の心を惑わせ、思い通りに操る。
それが自分の力であり、絶対のものだと信じていた。
なのに目の前の少女は、自分の"囁き"に抗った。
自分の意思で、自分に向かって炎の矢を放ったのだ。
「どうして……私の"囁き"が……!」
マリアさんの声は、困惑に震えていた。
そのとき、空港の入口から、複数の魔界警察が駆け込んでくる。
「魔界警察だ!対象を確保しろ!」
別の班の警察官たちが、うずくまるマリアさんを取り囲む。
そして、抵抗する間も与えず、彼女を取り押さえた。
「離しなさいよ……!私は……!」
しかし、警察官たちは彼女の言葉を聞き入れず、そのまま連行しようとする。
その途中、マリアさんはふと顔を上げた。
そして、リリアーヌさんを鋭く睨みつける。
「……小娘の分際で……!」
憎悪のこもった声が、空港に響き、
「……覚えてなさい……お前らなんか……サーカス集団に始末されたらいいんだわ……!」
その言葉に、僕とレオンの表情が変わった。
ノクターン・サーカス……。
それは、彼らがまだ全貌を知らない組織の名前だった。
マリアさんは最後までリリアーヌさんを睨みつけていたが、やがて魔界警察に連れられ、その姿は空港の外へと消えていった。
こうして、マリアさんとの戦いは、一つの決着を迎えた。
しかし、彼らの知らないところで、さらに大きな脅威が動き始めていた。
そしてリリアーヌさんは、自分の手の平をもう一度見つめる。
自分が何を信じ、誰を信じるべきなのか。
その答えは、まだ完全には見つかっていない。
けれど、確かに一つだけ分かったことがある。
自分の意思で、大切な人を守ることができた。
その小さな一歩は、彼女の心に確かな変化をもたらしていた。




