第43話 2人を紡ぐ絆
「……どいつもこいつも……私を馬鹿にして……!」
マリアさんの周囲に、黒く禍々しい魔力が渦巻いた。
先ほどまで浮かべていた聖女のような微笑みは、もうどこにもない。
その顔にあるのは、憎悪と怒り。
そして、目の前の者たちを見下すような冷たい笑みだった。
「いいわ。そんなに友達ごっこが好きなら……皆まとめて殺してあげる」
「……っ!」
僕とレオンは、同時に身構えた。
マリアさんは武器を持っていない。
それどころか、戦闘態勢を取る様子すらなかった。
ただ、二人を見つめている。
まるで、これから始まる出来事を楽しみにしているかのように。
「ふふっ……そんなに警戒しなくてもいいのよ?」
マリアさんは、そっと唇を開いた。
「ねえ、ルカくん。あなたは、本当に誰かを救えると思っているの?」
「……え?」
「あなたは無能力者でしょう?私には、分かるのよ?どれだけ頑張っても、どれだけ誰かに手を差し伸べても……結局、何もできないんじゃない?」
その声は、耳元で囁かれたかのように僕の心へ染み込んでいった。
胸の奥が、ざわりと揺れる。
無能力者。
それは、僕がずっと背負ってきた現実だった。
誰かを助けたいと思っても、自分には特別な能力がない。
目の前の相手がどれほど強くても、自分にできることは限られている。
そんな不安が、心の奥底から顔を覗かせる。
「……っ」
僕の動きが、ほんの一瞬だけ止まった。
マリアさんは、それを見逃さない。
「そうよね。怖いでしょう?自分には何もできないって、心のどこかで分かっているんでしょう?」
「……」
「それなのに、どうしてそんなに笑っていられるの?無力な自分を誤魔化しているだけじゃないの?」
マリアさんの声が、じわじわと僕の心を蝕んでいく。
そのとき、
「――ルカ!」
鋭い声が響いた。
僕の身体が、反射的に動く。
次の瞬間、彼が立っていた場所を黒い魔力が掠めた。
「うわっ……!」
間一髪で攻撃を避けた僕の横を、銀色の髪が通り過ぎる。
レオンだった。
「何ぼさっとしてやがる!戦闘中だぞ!」
「ご、ごめん!」
「謝る暇があったら周りを見ろ!」
レオンは吐き捨てると、そのままマリアさんへと駆け出した。
マリアさんは余裕の笑みを浮かべる。
「ふふっ……お友達を助けるのも大変ね、レオンくん?」
「……あ?」
「あなたは強いものね。昔から、ずっとルカくんの面倒を見てきたのでしょう?」
レオンの眉が、ぴくりと動いた。
「でも……いつまでそうしていられるのかしら?」
マリアさんの囁きが、今度はレオンの心へと入り込む。
「彼は無能力者。あなたがどれだけ頑張っても、彼自身が強くなるとは限らないわ。いつかあなたの足を引っ張るかもしれない。あなたが守りたいものまで、失わせてしまうかもしれない」
レオンの脳裏に、いくつもの可能性が浮かぶ。
僕が危険に飛び込む姿。
無茶をして、周囲が見えなくなる姿。
自分が助けに入らなければ、取り返しのつかないことになりかねない場面。
――どれも、見慣れた光景だった。
「……くだらない」
レオンは低く呟くと、
「……え?」
「そんなこと、とっくに分かってる」
マリアさんの笑みが、わずかに揺らいだ。
レオンは彼女を睨みつけ、
「こいつが無茶をする馬鹿だってことも、すぐに人の心配をするお人好しだってこともな」
「レオン……?」
「だから何だ?」
口元を歪めた。
「今さらそんなことを言われたところで、何も変わらねえよ」
その言葉に、僕は思わず目を見開いた。
マリアさんは、面白くなさそうに目を細める。
「……強がりね。心の中では不安に思っているくせに」
「不安がねえとは言ってない」
レオンは即座に言い返した。
「だがな。こいつが何をするかなんて、今さらお前に教えてもらうまでもねえんだよ」
そして、レオンは僕を一瞥した。
「……おい、ルカ」
「う、うん!」
「ぼさっとすんな。来るぞ」
「分かった!」
短い会話だったが、二人は同時に動き出した。
「……っ!」
マリアさんの表情から余裕が消え、レオンが正面から距離を詰める。
それを迎え撃とうと、マリアさんが魔力を放った。
しかし、レオンは攻撃の軌道を見極め、紙一重で身を翻す。
その瞬間、僕が反対側から駆け込んだ。
「えっ……!?」
マリアさんは咄嗟にそちらへ意識を向ける。
けれど、それこそが僕の狙いだった。
僕がマリアさんの注意を引きつけた隙に、レオンが攻撃を仕掛ける。
マリアさんは間一髪で身を引いたものの、頬を掠めた攻撃に表情を歪めた。
「この……!」
「危なかったね、レオン!」
「お前が先走るからだろうが!」
「ええっ!?ちゃんと囮になったよ!?」
「誰がそんなこと頼んだ!」
「えへへ!」
「笑う暇なんてねえ」
緊迫した戦場に、いつもと変わらない二人の声が響く。
マリアさんは、その光景を信じられないものを見るように見つめていた。
(……おかしい……)
確かに、二人の心は揺らいでいるはずだった。
僕は自分の無力さを恐れている。
レオンは、隣にいる友人の危うさを知っている。
互いに不安を抱えているのなら、そこを突けばいい。
疑念を植えつけ、恐怖を煽り、相手を信じられなくさせればいい。
そうすれば、二人の連携は崩れるはずだった。
なのに、
「……どうして?」
マリアさんの口から、思わず疑問が零れた。
「どうして、あなたたちは……!」
僕とレオンは、互いに目を合わせる。
それから、何の打ち合わせもなく、再びマリアさんへと向き直った。
マリアさんの魔力が、二人の足元へ広がり、
「……ルカくん。あなたは誰かを救うことなんてできない。レオンくん。あなたはいつか彼を守れなくなる」
"囁き"が、さらに強くなる。
「どうして分からないの?あなたたちは、互いの弱さを知っているのでしょう?欠点も、足りないものも、全部……!」
「……うん。知ってるよ」
僕は、静かに答えた。
「レオンは口が悪いし、すぐ怒るし、素直じゃないし」
「おい」
「でも、本当はすごく優しいんだ」
「……っ、お前なぁ!」
レオンが顔をしかめたが、僕は気にせず、笑顔を浮かべた。
「困ってる人を放っておけないし、僕が危ないことをすると絶対に助けてくれる。文句は言うけどね!」
「当たり前だろうが!誰のせいで苦労してると思ってんだ!」
「えへへ、ごめん!」
「だから笑うな!」
二人のやり取りは、あまりにも自然だった。
まるで、ここが戦場ではないかのように。
「……っ、ふざけないで!」
マリアさんの声が、鋭く響いた。
「あなたたち、自分の置かれている状況が分かっているの!?私はあなたたちの心を壊せるのよ!恐怖も、不安も、絶望も……いくらでも与えてあげられる!」
「うん。怖いよ」
僕は、あっさりと答えた。
マリアさんの言葉が止まり、
「……は?」
「だって、マリアさんは強いし。何をしてくるか分からないし、レオンが傷ついたら嫌だし……」
僕は、一度だけレオンを見た。
「でも、レオンがいるから」
その言葉に、レオンは一瞬だけ目を見開いた。
「……馬鹿か、お前は」
呆れたような声だけれど、その口元には、ほんのわずかな笑みが浮かんでいた。
「そんなこと、いちいち言わなくても分かってる」
「えっ、そうなの?」
「お前と何年一緒にいると思ってんだ」
レオンはマリアさんへ視線を戻す。
「……こいつが何を考えてるかなんて、大体分かる。何をしでかすかも、どこで失敗するかもな」
「ちょっと、レオン!?」
「事実だろ?」
「ひどい!」
二人は言い合いながらも、互いの立ち位置を自然に調整していた。
僕が前に出れば、レオンが隙を埋める。
レオンが攻めに転じれば、僕が相手の注意を引きつける。
どちらか一方が攻め続けるわけではない。
相手の動きを見て、考え、自然に補い合う。
それは、長い年月をかけて身についた呼吸だった。
幼い頃から、ずっと一緒にいた。
笑い合った日も、喧嘩した日も。
僕が失敗して、レオンが呆れた日も。
レオンが無理をして、僕が心配した日も。
数え切れないほどの時間を、二人は共有してきた。
だから、相手の苦手なことも、得意なことも知っている。
何を言われたら傷つくのか。
どんなときに無理をするのか。
そして、どんなときに本当は助けを必要としているのか。
互いのすべてを理解しているわけではない。
それでも、相手が相手であることだけは、疑わなかった。
マリアさんは唇を噛み締め、
「……どうして……!」
彼女の周囲で、黒い魔力が激しく揺れる。
「どうして、そんな簡単に信じ合えるのよ……!」
僕は、不思議そうに首を傾げた。
「簡単じゃないよ?」
「……っ!」
「だって、僕とレオンだって喧嘩するし、意見が合わないことだってあるもん」
「お前の場合は、意見が合わない以前の問題だろ」
「ええっ!?」
「自覚しろ」
いつも通りのやり取り。
けれど、二人の視線はマリアさんから逸れていなかった。
「でもね」
僕は、まっすぐにマリアさんを見つめた。
「僕はレオンを信じてるよ」
その言葉に、レオンは何も答えなかった。
ただ、僕の隣に立ち、静かに構えを取る。
それだけで十分だった。
マリアさんの顔から、笑みが消えた。
彼女は人の心を揺さぶることができる。
恐怖を与え、不安を膨らませ、弱い部分を突いて、相手を追い詰めることができる。
けれど、目の前の二人は、互いの弱さを知らないから信じているのではなかった。
知っているからこそ、信じているのだ。
「……気に入らない」
マリアさんの声が、低く震えた。
「本当に……気に入らないわ……!」
黒い魔力が、先ほどよりも濃く膨れ上がる。
「あなたたちみたいなガキが……!何も知らないくせに、分かったような顔をして……!」
僕は、悲しそうに眉を下げると、
「……マリアさん」
「黙りなさい!」
彼女の怒声が空港に響き渡った。
「あなたたちに何が分かるの!?私の何を知っているというの!?」
その声には、先ほどまでの余裕など微塵も残っていなかった。
「友情なんて、信頼なんて……そんなもの、簡単に壊れるのよ!」
マリアさんは両手を広げた。
禍々しい魔力が、彼女を中心に渦巻いていく。
空気が震え、肌を刺すような圧迫感が広がった。
「だったら……あなたたちのその絆が、本当に壊れないのか……試してあげるわ」
マリアさんの瞳が、暗く輝いた。
「……もっと深く、心の奥まで沈めてあげる」
その"囁き"が、再び二人へと迫る。
僕とレオンは、互いに一瞬だけ視線を交わした。
言葉はないが、それでも、二人は同時に前を向いた。
どれだけ恐怖を突きつけられても、どれだけ不安を煽られても。
二人が一緒に過ごしてきた時間まで、奪わせるつもりはなかった。
――二人を紡ぐ絆は、まだ壊れていない。
そして、マリアの本当の攻撃が始まろうとしていた。




