第42話 友達、なんて生ぬるい
空港に足を踏み入れた瞬間、ルカたち三人は目の前の光景に息を呑んだ。
燃え盛る炎。
床に倒れ伏す魔界警察の警官達。
そして、その中心でマリアさんを庇うように立つ、リリアーヌさんの姿が。
「お嬢様……!」
セドリックさんの口から、思わず声が漏れた。
いつも冷静沈着な彼らしくない、切迫した声だった。
けれど、すぐに駆け寄ることはしなかった。
リリアーヌさんの様子がおかしいことは、ここへ来るまでにも十分に予想できていた。
マリアさんが何らかの方法で彼女に影響を与えているのなら、無理に近づくことで事態を悪化させる可能性もある。
今は慎重に行動しなければならない。
セドリックさんは、リリアーヌさんの姿をじっと見つめた。
彼女がこちらに気づき、
「……っ」
一瞬、リリアーヌさんの目が見開かれた。
しかし、それも束の間だった。
「……何をしに来たのですか」
冷たく突き放すような声。
その言葉に、セドリックさんの表情がわずかに曇った。
それでも、彼は一歩も引かなかった。
「お嬢様」
いつもの穏やかな声で、語りかける。
「お迎えに上がりましたよ。さあ、いつものように無理難題なご命令を申し付けください」
「……っ……何を、今更……」
リリアーヌさんは拳を握り締めた。
なぜ、今になって迎えに来るのか。
自分をひとりにしたくせに。
自分の気持ちを分かってくれなかったくせに。
そんな思いが、彼女の胸の中で渦巻いていた。
僕とレオンは、二人のやり取りを黙って見守っていた。
今は、セドリックさんに任せるべきだ。
リリアーヌさんを誰よりも近くで見守ってきた彼だからこそ、伝えられることがある。
そう信じて、僕らは口を挟まなかった。
すると――、
「……ふふっ」
不意に、マリアさんが笑った。
片手で口元を覆いながら、肩を小さく震わせている。
その表情は、どこか嬉しそうだった。
「とても滑稽ですね」
マリアさんは、僕たちを見下すように目を細めた。
「ほんと、リリアーヌさんを見捨てたくせに、何を今更。迎えに来た?……おふざけも大概にしてほしいですね」
その言葉に、リリアーヌさんの表情が強張る。
まるで、自分の胸の内を代弁してもらったかのように。
しかし、僕は不思議そうに首を傾げ、
「……ねえ、何がおかしいの?」
「……何が、とおっしゃいますと?」
「だって……」
マリアさんをじっと見つめた。
「マリアさんは、リリアーヌさんが羨ましいんだ」
「…………え?」
マリアさんの表情が、一瞬だけ固まった。
僕は気づいていないのか、いつもどおりの穏やかな口調で続ける。
「僕とレオンみたいな友達がいること。セドリックさんみたいに、リリアーヌさんを心からお慕いしている人がいることに、嫉妬しているんだよ」
「…………」
マリアさんの笑顔が消えた。
まさか、こんな小僧に、自分の何が分かるというのだろう。
そんな考えが、彼女の脳裏をよぎる。
けれど、僕はマリアさんを責めるような口調ではなかった。
ただ、本当に不思議そうに彼女を見つめているだけだった。
「……お前らみたいなガキに、私の何が分かるっていうの……!」
マリアさんの声が、空港に響き渡った。
次の瞬間、彼女の身体から、禍々しいオーラが噴き出した。
空気が重くなり、肌を刺すような威圧感が周囲を覆い、燃え盛る炎さえも、その異様な気配に呑み込まれたかのようだった。
そこに立っていたのは、優しい微笑みを浮かべる聖女ではない。
人の心を弄び、自分の思いどおりにならないものを許さない――悪魔そのものだった。
「……マリアさん!?」
リリアーヌさんが戸惑いの声を上げる。
しかし、マリアさんは彼女を振り返らなかった。
その視線は、ただ僕だけに向けられていた。
「……ああ、腹が立つ……!」
僕は顔を歪めた。
「何も知らないくせに……!何も知らないガキが、分かったような口を利くんじゃないわよ……!」
そして、憎々しげに吐き捨てる。
「……始末してやる……!このガキだけは、絶対に私の手で始末してやる……!」
「……マリアさん、何をおっしゃっていますの!?」
リリアーヌさんは慌ててマリアへと近づいた。
「辞めてくださいまし!落ち着いて!」
彼女は、マリアさんを止めようと手を伸ばす。
けれど――、
「……五月蝿い!」
マリアさんは振り返るなり、リリアーヌさんの身体を乱暴に突き飛ばした。
「……小娘が私に指図するな……!」
「……っ!」
リリアーヌさんの身体が宙を舞う。
その先にあったのは、彼女自身の炎によって燃え盛る一角だった。
このままでは、炎の中へ――。
しかし、リリアーヌさんが熱さを感じることはなかった。
誰かの腕が、彼女の身体を優しく受け止めたからだ。
「……え……?」
「……お嬢様」
耳元で、聞き慣れた声がして顔を上げると、そこには自分を抱き締めるセドリックさんの姿があった。
「……セ、ドリック……?」
「はい。セドリックでございますよ」
セドリックさんは、リリアーヌさんをしっかりと抱き留めていた。
その腕には、炎によって焼けた跡が残っている。
袖の一部は焦げ、肌にも火傷ができていた。
「……っ!」
リリアーヌさんの瞳が揺れ、
「そ、その腕……!わたくしを庇って……?」
「お気になさらず。お嬢様がご無事であれば、それで十分でございます」
セドリックさんは、何でもないことのように答えた。
その声には、責める響きなど微塵もなかった。
リリアーヌさんは言葉を失った。
どうして。
どうして、この人は――。
自分は、セドリックさんを拒絶した。
彼の言葉を信じず、彼の気持ちを疑い、迎えに来てくれた彼に冷たい言葉を浴びせた。
それなのに彼は、自分を守るために傷つくことさえ厭わなかった。
(――わたくしは、どうしてセドリックを拒絶したのでしょう……)
こんなにも自分を大切に思い、身を挺して守ってくれる人を。
自分がどれほど冷たい言葉をぶつけても、見捨てずに迎えに来てくれた人を。
「…………」
リリアーヌさんは、セドリックさんの焼けた腕を見つめたまま、何も言えなかった。
胸の奥で、何かが小さく軋んでいる。
けれど、それでも――。
彼女の心は、まだマリアさんを信じていた。
そんなリリアーヌさんの姿を見て、レオンは深いため息をついた。
そして、怒りに震えるマリアさんへと視線を向ける。
「……ほらな」
静かな声で告げると、
「お前は、リリアーヌさえも否定したんだ。……一人がそんなに楽か?」
「…………」
マリアさんの顔が、ぴくりと引きつった。
「……黙りなさい」
「事実を言っただけだろ」
レオンは肩をすくめる。
「お前が何を抱えてるのかなんて、俺たちは知らねぇよ。けどな、自分の気に入らないことを言われたからって、味方になろうとした奴まで突き飛ばすのか?」
レオンの視線が、一瞬だけリリアーヌさんへと向けられた。
「……そいつは、お前を止めようとしただけだろ」
リリアーヌさんは息を呑んだ。
自分は、マリアさんを止めようとした。
それなのに、マリアさんは自分を突き飛ばした。
そして、セドリックさんは傷つきながらも、自分を守ってくれた。
目の前の光景が、頭の中で何度も繰り返される。
それでも、リリアーヌさんはまだ答えを見つけられずにいた。
マリアさんを信じたい気持ちと、目の前で起きたことへの戸惑い。
二つの感情が、彼女の胸の中でぶつかり合っていた。
そんな中、僕は少しだけ考え込むように黙り込んだ。
そして、静かに口を開くと、
「……一人は寂しいよ」
マリアさんの眉がぴくりと動く。
「……僕には分かる。だからさ、僕ら友達になろうよ?」
僕は、マリアさんへと手を差し出した。
「…………は?」
マリアさんの表情が凍りつく。
隣にいたレオンは、すかさず僕の頭を軽く叩いた。
「馬鹿か、お前は」
「痛っ!なんで!?」
「今の状況を見ろ。どう考えたら友達になろうなんて話になるんだよ」
「だって、一人は寂しいじゃん!」
「そういう問題じゃねぇだろ!」
「えー、そうかなぁ?」
僕は不満そうに頬を膨らませると、レオンは呆れたようにため息をついた。
けれど、その口元にはほんのわずかな笑みが浮かんでいた。
「……ったく。お前は本当に……」
「えへへ」
いつもと変わらない、二人のやり取り。
まるで、目の前にいるのが恐ろしい悪魔ではなく、ただの口うるさい友人であるかのように。
その光景を目の当たりにしたマリアさんの顔から、表情が消えた。
「…………」
友達。
また、その言葉。
何も知らないくせに。
何も分かっていないくせに。
どうして、この少年はそんな簡単に言えるのだろう。
どうして、自分の前でそんなにも楽しそうに笑えるのだろう。
「……ふざけないで」
低い声が漏れ、僕は首を傾げる。
「え?」
「友達……?」
マリアさんの口元が歪んだ。
「そんなもの、要らないわよ……!」
その声は、怒りに震えていた。
「誰があんたたちなんかと……!」
僕が差し出した手は、まだ宙に浮いたままだった。
マリアさんを包む禍々しいオーラが、さらに膨れ上がる。
「……どいつもこいつも……私を馬鹿にして……!」
マリアさんは、怒りに顔を歪めながら僕たちを睨みつけた。
「……いいわ。そんなに友達ごっこが好きなら、皆まとめて殺してやるわよ!」




