第40話 友人との別れ
「マリアさん!いるんですか!?」
僕は教会の扉を強く叩いた。
隣では、レオンが険しい表情で扉を睨みつけている。
セドリックもまた、普段の落ち着きを失い、返事を待っていた。
「マリアさん!リリアーヌさんもいるんでしょう!?お願いだから、返事をして!」
僕の声が、静かな森に響き渡るが、扉の向こうから返事はない。
「……くそっ。誰も出てこねぇ」
レオンが舌打ちした。
嫌な予感がする。
リリアーヌさんは、マリアさんを疑う自分たちに怒り、先に帰ってしまった。それなのに、彼女はまだ屋敷に戻ってきていないらしい。
まさか、本当にマリアさんと一緒にいるのだろうか。
「……お嬢様」
セドリックさんの声は、いつもより低かった。
主の身に何かあったのではないか。
その不安を振り払うように、彼は扉へ手を伸ばした。
「失礼いたします」
扉を開けると、三人は一斉に教会の中へ視線を向けた。
「……え?」
僕が、呆然と呟いた。
そこには、誰もいなかった。
いや、正確には、誰もいないだけではなかった。
礼拝堂の祭壇に置かれていた聖書も、花瓶も、すべて消えていた。
あれほど美しく整えられていた教会は、まるで最初から誰も暮らしていなかったかのように、がらんとしていた。
「な、何もない……」
僕は信じられないというように、室内を見回した。
レオンは無言で礼拝堂の奥へ進み、周囲を確認する。
以前、僕たちがマリアさんとお茶会をしたときに使われていた茶器もない。
どこにも人影はない。
隠れられそうな場所も、誰かが残した荷物も見当たらなかった。
「……計画的だな」
レオンが低く呟き、
「え?」
「見てみろ。持ち出せるものは、ほとんど全部なくなってる。ちょっと出かけただけってわけじゃねぇ」
空になった祭壇を睨んだ。
「マリアさんは、ここからいなくなるつもりだったんだ」
その言葉に、僕の顔が強張る。
教会に残されたものは、何一つない。
マリアさんは、ここでの生活を終わらせたのだ。
それも、誰にも告げずに。
「……じゃあ、リリアーヌさんは?」
僕は周囲を見回したが、
「リリアーヌさんも、マリアさんと一緒にいるの?」
「その可能性が高いな」
レオンは険しい表情を崩さなかった。
「だが、ここにいない以上、別の場所に移動したってことだ。まずは周囲を探すぞ」
「うん!」
三人は教会を飛び出した。
森の中へ続く道を探し、木々の間に人影がないか確かめる。
「リリアーヌさん!どこにいるの!?」
僕は声を張り上げた。
もちろん返事はない。
「お嬢様!」
セドリックさんも、普段の彼からは想像できないほど大きな声で呼びかける。
しかし、返ってくるのは森の静けさだけだった。
道の先にも、教会の裏手にも、二人の姿はない。
どれだけ探しても、手掛かり一つ見つからなかった。
やがて三人は、再び教会の前へと戻ってきた。
「くそっ……!どこに行ったんだよ……!」
レオンが苛立たしげに髪をかき上げ、僕は拳を握り締めた。
リリアーヌさんは、どうして何も言わずにいなくなったのだろう。
マリアさんを信じるために、自分たちから離れたのか。
それとも、何か事情があったのか。
考えても答えは出ない。
ただ一つ確かなのは、リリアーヌさんが今、マリアさんとともに姿を消しているということだった。
「……お嬢様」
セドリックさんが、もう一度その名を呟いた。
そのとき、
「……待ってください」
彼は、ふと思い出したように顔を上げた。
「え?」
僕が振り返ると、セドリックさんは懐に手を入れ、銀色の懐中時計を取り出した。
「……これなら……!」
蓋を開くと、そこには普通の時計の文字盤だけでなく、小さな表示画面が備えられていた。
これは単に時刻を確認するための懐中時計ではない。
主の身に何かあったときに備え、リリアーヌさんのスマートフォンのGPSを追跡できるように作られた、特別な機器だった。
専属執事として、彼女の安全を守るために用意していたものだ。
セドリックさんは慣れた手つきで操作を始めた。
やがて、画面に魔界の地図が表示され、その上に小さな光点が浮かび上がる。
「……反応がありました。お嬢様のスマートフォンです」
「本当!?」
僕が画面を覗き込むと、光点は、教会から離れた道を移動していた。
しかも、その動きは明らかに徒歩の速度ではない。
「……移動しているな」
レオンが画面を見つめ、
「ええ。かなりの速度です」
「車か……?」
地図と光点を交互に見比べた。
その目が、次第に鋭さを増していく。
教会から消えたマリアさん。
同じく姿を消したリリアーヌさん。
そして、車で移動していると思われるスマートフォンの位置情報。
それらが、レオンの頭の中で一つにつながった。
「まさか……街から出ようとしてる?」
僕が呟くと、
「……っ!」
レオンがハッと顔を上げる。
「セドリック!今すぐ学園長に連絡しろ!マリアさんは飛行機で遠くに逃げるつもりだ!」
「飛行機……!?」
僕は目を見開き、
「ああ。街から出て、俺たちの追跡を振り切るつもりなら、遠くまで一気に移動できる手段を選ぶはずだ。車で移動しているのも、そのためだろう」
レオンは唇を噛み締めた。
「マリアさんは、自分が疑われていることに気づいてたんだ。だから、追及される前に街を離れるつもりなんだろうな」
「そんな……!」
僕は胸が締め付けられた。
マリアさんが逃げようとしている。
そして、リリアーヌさんも多分一緒にいる。
彼女は今、自分が何をしているのか、本当に分かっているのだろうか。
リリアーヌさんは、自分が危険な状況にいることにすら気づいていないかもしれない。
「……リリアーヌさん」
僕は拳を強く握り締めた。
友達なのに、大切な仲間なのに。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
「セドリック!学園長への連絡は任せた。俺たちもすぐに動くぞ!」
「承知いたしました」
セドリックさんは懐中時計を片手に、連絡用の魔法端末を取り出した。
学園長へとつながる回線を開き、現在の状況を簡潔に伝えていく。
その声は、いつもと変わらず丁寧だった。
けれど、懐中時計を握る手には強い力がこもっている。
リリアーヌさんは、セドリックさんにとって誰よりも大切な主だ。
幼い頃から仕え、その成長を見守り、誰よりも近くで彼女を支えてきた。
その主が、何も告げずに姿を消した。
しかも、彼女を連れていったのは、何かを隠している疑いのあるマリアさんかもしれない。
セドリックさんの胸の内で、静かな怒りが燃え上がっていた。
マリアさんが何を考えているのかは、まだ分からない。
リリアーヌさんが自分の意思でついていったのかどうかも、分からない。
それでも、主が危険にさらされている可能性がある以上、執事として、黙って見過ごすわけにはいかなかった。
やがて、学園長への連絡を終えたセドリックは、静かに魔法端末をしまった。
そして、懐中時計を握り締める。
その手には、隠しきれないほどの力がこもっていた。
普段のセドリックさんなら、どんな事態に直面しても冷静さを失わない。
しかし、今の彼の表情からは、いつもの穏やかさが消えていた。
主を危険にさらしたかもしれない人物への、静かな怒り。
そして、何も告げずに姿を消した主を案じる、執事としての焦燥。
その二つが、赤い瞳の奥で燃えていた。
「……行きましょう」
セドリックさんは顔を上げ、僕とレオンを見据えた。
「お嬢様を連れ出したこと……後悔させて差し上げます」
一瞬、空気が張り詰めた。
そして彼は、懐中時計を強く握り直す。
「お嬢様は絶対、我々が助け出します」




