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第37話 友情の亀裂

森の奥に佇む古びた教会、その扉で待っていると、僕とレオンはリリアーヌさんの姿を見つけた。


「……リリアーヌさん」


僕が声をかけるが、リリアーヌさんは二人を一瞥したものの、何も言わなかった。


先ほどまで学園長室で話していたときとは違い、彼女の表情にはどこか硬いものがあった。


それでも、僕はいつものように笑いかけようとした。


しかし、うまく笑えなかった。


「皆さん、お揃いですね。さあ、どうぞお入りください」


教会の扉を開けたマリアさんが、柔らかな笑みを浮かべる。


「今日も暑いですから、冷たいお茶をご用意しましょうか?」


「……いえ、お構いなく」


僕はそう答えながら、マリアさんの顔を見つめた。


彼女はいつもと変わらない。


穏やかで、優しくて、訪問者を温かく迎え入れるシスター。


だからこそ、余計に分からなかった。


あの子はどこへ行ったのか。


母親はどこへ行ったのか。


そして、なぜ二人とも帰ってこないのか。


「……マリアさん」


「はい。何でしょうか?」


「少し、お聞きしたいことがあるんです」


僕は椅子に腰かけることも忘れ、マリアさんに向き直った。


「この前、ここに来ていた子供のことなんですけど……」


「ああ、あの子ですか?」


マリアさんは思い出したように手を合わせた。


「元気な子でしたね。デウス様に会いたいと、一生懸命お願いしていました」


「その子なんですが……今、行方が分からなくなっているんです」


僕の声が、わずかに沈む。


「お母さんも、その子を探しているんです。何か知っていることがあれば教えてほしいです」


マリアさんは一瞬だけ目を丸くした。


だが、すぐにいつもの穏やかな笑みを浮かべる。


「まあ……それはきっと、神(デウス様)に選ばれたのですね」


「…………え?」


僕の表情が固まり、隣にいたレオンも、眉をひそめる。


(……選ばれた?)


子供が行方不明になっているという話を聞いて、最初に出てくる言葉が、それなのか。


普通なら心配するはずだ。


どこへ行ったのか。


何か事件に巻き込まれたのではないか。


そう考えるのが自然ではないのか。


「……マリアさん。今の話、分かっていますか?」


レオンが低い声で尋ねた。


「その子は行方不明なんです。デウス様に選ばれたかどうかなんて、今は関係ないでしょう」


「まあ、そうでしょうか?」


マリアさんは困ったように首を傾げた。


「でも、神(デウス様)に選ばれることは、とても名誉なことなのですよ?」


「だから、そういう話をしてるんじゃ……」


「レオン」


僕はそっと制した。


レオンの言いたいことは分かる。


自分だって、今の返答には違和感しかなかった。


けれど、ここで感情的になっても何も解決しない。


(……落ち着いて、話を聞くんだ)


「マリアさん。その子のお母さんは、今どこにいるんでしょうか?」


「お母様、ですか?」


マリアさんは小首を傾げると、何かを思い出したように微笑んだ。


「ああ、お母様なら、先程いらっしゃいましたよ」


「……え?」


「お祈りを捧げたあと、お帰りになりました」


僕とレオンは顔を見合わせた。


「……ちょっと待ってください」


僕は思わず身を乗り出した。


「その人、自分の子供を探していたんですよね?なのに、何も言ってなかったんですか?」


「はい。あの方はお祈りにいらしただけですから」


「いや、でも……!」


「それに、あの方はとても落ち着いていらっしゃいましたよ。何も心配することはないのではありませんか?」


マリアさんはにこやかにそう言った。


まるで、何の問題もないとでもいうように。


僕の背中に、冷たいものが走った。


(……おかしい。……やっぱり、何かがおかしい)


子供を探していた母親が、子供のことを尋ねずに帰るなんて。


そんなことがあるだろうか。


「……そのお母さん、いつ帰ったんですか?」


レオンが尋ねると、


「つい先程ですよ」


「どっちへ?」


「さあ……そこまでは存じませんね」


「マリアさん!」


思わず、僕の声が大きくなった。


「その人、本当に何も言わなかったんですか?子供のことを、一言も?」


「ええ。何も」


マリアさんは不思議そうに僕を見つめた。


「どうして、そんなに気になさるのですか?」


「それは……」


言葉に詰まる。


どう説明すればいいのだろう。


この人は、本当に何も知らないのかもしれない。


けれど、もしそうなら、どうしてこんなにも平然としていられるのだろう。


何かを隠しているのか。


それとも、自分たちが知らない何かがあるのか。


どちらにしても、ここで引き下がるわけにはいかなかった。


「……ルカ。もういい」


レオンが椅子から立ち上がり、


「マリアさん。あなたは、その子の行方について何か知っているんじゃないですか?」


「レオン!貴方って人は……!」


「何度も聞いてるんだ。子供がいなくなって、母親まで行方が分からなくなってる。なのに、あなたは心配するどころか、デウス様に選ばれたなんて言い出す」


リリアーヌさんが制しても、声が鋭くなる。


「これで疑うなっていう方が無理だろ」


しかしーーー、


「お二人とも、失礼ですわよ!」


突然、リリアーヌさんがテーブルを叩いた。


カップの中の紅茶が揺れ、ソーサーが小さな音を立てる。


僕もレオンも、驚いて彼女を見た。


「お嬢様。落ち着いてください」


「リ、リリアーヌ……?」


「マリアさんは、わたくしたちを何度も温かく迎えてくださった方ですわ!それなのに、証拠もないのに疑うなんて……!」


「証拠がないから、今こうして話を聞いてるんだろ」


レオンが言い返すと、


「だったら、もっと聞き方があるでしょう!」


リリアーヌさんはマリアさんを振り返った。


「マリアさん、申し訳ありません。わたくしの友人が、失礼なことを……」


「いいのですよ、リリアーヌさん」


マリアさんは穏やかに微笑んだ。


「お二人も、心配なさっているのでしょう?」


「……マリアさん」


「わたくしは大丈夫ですから。どうか、気になさらないでくださいね」


その優しい言葉を聞いたリリアーヌさんは、ますます二人を許せない気持ちになった。


こんなに優しい人が、子供をさらったり、母親をどこかへ連れ去ったりするはずがない。


少なくとも、リリアーヌさんにはそう思えた。


どうして、二人には分からないのだろう。


どうして、マリアさんの優しさを信じようとしないのだろう。


「……もう結構ですわ!お二人とも、こちらへ!」


「お、おい、リリアーヌ……!」


レオンが呼び止めるが、リリアーヌさんは聞く耳を持たなかった。


「お騒がせ致しました」


ボディも慌てて立ち上がり、セドリックさんとレオンとともに教会を出る。


扉が閉まる直前、マリアさんの柔らかな声が背中に届いた。


「また、いつでもいらしてくださいね」


その言葉に返事をする者は、誰もいなかった。












教会を出ると、森の熱気が四人を包み込んだ。


木々の間から差し込む日差しは強く、蝉の鳴き声が耳に響く。


けれど、今の四人には、そんなことを気にする余裕などなかった。


「リリアーヌ!どういうつもりだよ!」


レオンが先に口を開くと、


「それは、こちらの台詞ですわ!」


リリアーヌさんも負けじと言い返す。


「あなたたち、少しは相手の立場を考えたらどうですの?あんなに親切にしてくださったマリアさんを、まるで犯人扱いして!」


「親切なら何をしても疑わなくていいのかよ!」


「誰もそんなことは言っていませんわ!」


「だったら、なんであんなに庇うんだ!」


「マリアさんが悪いことをする人には見えないからですわ!」


リリアーヌの声が森に響いた。


レオンは一瞬、言葉を失った。


(どうして、そこまで言い切れる?)


マリアさんの言動には明らかにおかしな点がある。


母親は教会を訪れたにもかかわらず、子供について何も尋ねずに帰ったという。


こんな状況で、何も疑問に思わない方がおかしい。


「……お前、本当に分かってるのか?」


「何がですの?」


「俺たちが、何のために此処に行ったのか」


「もちろん分かっていますわ!だからこそ、きちんとお話を聞こうとしたのでしょう?それなのに、あなたたちは……!」


「リリアーヌ!」


「何ですの!」


二人の声がぶつかり合う。


いつもなら、レオンが嫌味を言ってリリアーヌが怒り、ルカが間に入って、なんだかんだで話がまとまる。


そんなやり取りを、何度も繰り返してきた。


けれど、今日は違った。


どちらも一歩も引かない。


僕は二人の間に立ち、どうにか笑顔を作ろうとした。


「ま、まあまあ、二人とも……!少し落ち着こうよ。ね?」


「ルカは黙ってて!」


「ルカ!お前もそう思うのかよ!」


「えっ、いや、僕は……!」


(……どうすればいい……?)


レオンが心配していることも分かる。


リリアーヌさんがマリアさんを信じたい気持ちも、分からないわけじゃない。


でも、今のマリアさんの言動を考えれば、疑問を持つのは当然だ。


それなのに、リリアーヌさんはまるで、自分たちが悪いことをしているかのように怒っている。


どうして、そんなにマリアさんを信じられるんだろう。


僕には、それが分からなかった。


「……もう、いいですわ!」


リリアーヌさんが顔を背けた。


「お二人がそこまでおっしゃるのなら、好きになさい!」


「リリアーヌさん!待って!」


僕は手を伸ばすが、リリアーヌさんは振り返らなかった。


「わたくしは先に帰りますわ!」


そう言い残すと、彼女は一人で森の出口へと歩き出した。


いつもなら、彼女の後ろにはセドリックさんがいる。


どんなときでも、少し離れた場所から彼女を見守り、必要があればすぐに手を差し伸べる専属執事。


けれど、今日は違った。


セドリックさんはその場に立ったまま、リリアーヌさんの背中を見送っていた。


「……セドリックさん?」


僕が不安げに声をかけると、レオンも、訝しげな目を向けた。


「……一緒に帰らなくていいのかよ」


レオンの問いに、セドリックさんはすぐには答えなかった。


ただ、リリアーヌさんが歩いていった森の奥を、静かに見つめ、彼は小さく息を吐いた。


「……今はお独りにさせてあげましょう」


いつもと変わらない、落ち着いた声だった。


けれど、その表情には、わずかな憂いが浮かんでいた。


リリアーヌさんの態度が気にならないわけではない。


むしろ、いつもと違う反応に戸惑っていた。


しかし、それが何を意味するのか、今の彼には判断できなかった。


疲れているだけなのかもしれない。


マリアさんとの時間を大切に思うあまり、二人の言葉に腹を立てただけなのかもしれない。


まだ、確かなことは何も分からない。


だからこそ、今は何も言わなかった。


「……そうかよ」


レオンは短く答え、リリアーヌさんが去っていった方角から目を逸らした。


その横顔には、苛立ちと心配が入り混じっていた。


「……なんで、あんなに怒るんだよ」


ぽつりとこぼした言葉に、返事はなかった。


僕はただ、リリアーヌさんの後ろ姿が消えた森の奥を見つめていた。


仲間だからこそ、放っておけなかった。


大切な友人だからこそ、何かあれば力になりたかった。


それなのに今日は、彼女の気持ちを理解することも、引き止めることもできなかった。


「……僕、どうしたらよかったんだろう」


誰に向けたわけでもない呟きが、蝉の声にかき消される。


セドリックさんは何も答えず、レオンも口を閉ざした。


三人の間に、重たい沈黙が落ちる。


ほんの少し前まで、当たり前のように一緒に笑っていた。


くだらないことで言い合いをして、僕が仲裁して、また三人で歩き出す。


そんな日常が、これからも続くと思っていた。


けれど、今はもう、同じ方向を向いて歩くことさえできなかった。


森の奥から、風が吹き抜け、木々の葉がざわめき、教会の鐘が鳴る。


胸の奥に残る不安は消えない。


マリアさんは何者なのか。


あの親子は、どこへ消えたのか。


そして――どうして、リリアーヌさんはあんなにも彼女を信じているのか。


答えは、まだ何一つ見つかっていなかった。


ただ一つ確かなのは、今日、三人の友情に、初めて小さな亀裂が入ったということだった。


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