第36話 高まる疑念と不安
ある涼しい午後の日、僕とレオン、リリアーヌさんとセドリックさんの四人は、いつものようにマリアさんについて報告するため、学園長室を訪れていた。
「失礼します。学園長、先日の教会の件で報告に来ました」
僕が扉を開けると、学園長はいつもの穏やかな笑みを浮かべて四人を迎えた。
「おや、来たね。ちょうどいいところだ」
学園長の向かいには、一人の女性が座っていた。
年齢は三十代ほどだろうか。
彼女は落ち着かない様子で両手を握りしめており、顔には深い疲労の色が浮かんでいた。
「こちらは私の友人でね。今日は少し、相談があって来ているんだ」
「初めまして……」
女性は四人に軽く頭を下げた。
しかし、その表情は晴れない。
何かを必死に堪えているようにも見えた。
「実は、行方不明になった子供を探しているんです」
「行方不明……?」
僕は思わず聞き返した。
女性は小さく頷き、テーブルの上に置かれた一枚の紙を手元に引き寄せた。
「知り合いの女性の子供なんです。私も一緒に探していたんですが……そのお母さんまで、三日前から行方が分からなくなってしまって」
「母親まで、ですか?」
レオンの声がわずかに低くなる。
「はい。最初は、子供を探すために遠くまで出かけているのかと思いました。でも、三日も連絡が取れないなんて……」
女性は俯き、
「魔界警察にも相談したんです。でも、子供が自分から家を出た可能性もあるし、母親もそのうち戻ってくるだろうって……まともに取り合ってもらえなくて」
「そんな……」
僕の表情が曇った。
子供がいなくなっただけでも心配なのに、その子を探していた母親まで姿を消してしまったのだ。
どれほど不安な思いをしているだろう。
「それで、私に相談に来たというわけなんだよ」
「はい。あなたなら、何か力になってくれるんじゃないかと思って……」
「分かった。こちらでも調べてみよう。魔界警察の方も任せてくれたまえ」
学園長の言葉に、女性はほっとしたように顔を上げた。
そのとき、テーブルに置かれた紙へ、僕の視線が吸い寄せられた。
そこには、子供の顔が描かれていた。
「……あれ?」
僕が小さく声を漏らすと、
「どうした、ルカ」
隣にいたレオンも、紙に目を向けた。
「……この子は」
「……先日の」
リリアーヌさんも気づいたようだった。
三人の脳裏に、教会での出来事が蘇る。
マリアさんのもとを訪ねてきた、あの子供。
無邪気な笑顔で、デウスへの憧れを語っていた子供。
『デウス様に会いたい!褒めてもらいたい!』
あのときの声が、僕の耳の奥に蘇った。
「君たち、この子を知っているのかい?」
学園長の問いに、僕は顔を上げた。
「はい。僕たち、この子に会ったことがあります」
「なんだって?」
「以前、森の奥にある教会を訪ねたときに……マリアさんというシスターのところへ、この子が来ていたんです」
僕の説明を聞き、女性が身を乗り出した。
「本当ですか!?」
「僕たちがお茶をいただいていたときに、この子が来たんです」
「教会……」
女性は呟き、何かを考えるように視線を落とした。
レオンは腕を組み、似顔絵を見つめていた。
子供は確かに、教会に来ていた。
そして、その子供が行方不明になった。
さらに、その子供を探していた母親まで、三日前から行方が分からない。
偶然だと片づけるには、気になる点が多すぎた。
「学園長」
レオンは顎に手を当て、
「その母親が最後に目撃された場所は?」
「詳しいことは、まだ分かっていないんだよ。これから調べるつもりなんだが」
「そうですか……」
だが、それ以上、口を開かなかった。
あの教会には、まだ分からないことが多すぎる。
管理する者がいないはずの場所に、マリアというシスターがいたこと。
教会に訪れる人々がいること。
そして、あの子供がデウスに会いたがっていたこと。
今回の行方不明事件と、何か関係があるのだろうか。
今の段階では、何一つ断定できない。
だからこそ、確かめる必要があった。
「ルカ君。レオン君。リリアーヌ君」
学園長が3人に視線を向け、
「君たちは、その子供と実際に会っているんだったね?」
「はい」
「ならば、もう一度あの教会へ行き、マリアさんに話を聞いてきてくれないか。あの子について何か知っているかもしれない」
「……分かりました」
僕は迷わず頷いた。
何かできることがあるのなら、放っておくわけにはいかない。
「マリアさんが何かを知っているとは限らない」
「うん。分かってる」
レオンの言葉に、僕は頷いた。
マリアさんが犯人だと決まったわけではない。
ただ、あの子供が教会にいたことは事実だ。
まずは話を聞く。
それから考えればいい。
「……あの」
そのとき、リリアーヌさんが口を開いた。
三人の視線が彼女へ集まる。
「なぜ、マリアさんに話を聞く必要がありますの?」
その声には、戸惑いが滲んでいた。
「確かに、あの子は教会に来ていましたわ。でも、それだけでマリアさんを疑うのは……」
言いかけて、リリアーヌさんは口を閉じた。
マリアさんは確かに親切な女性だった。
暑い日に訪れた自分たちを教会へ招き、紅茶とお菓子を振る舞ってくれた。
夜に訪ねたときも、嫌な顔一つせず迎えてくれた。
穏やかに笑いながら話を聞いてくれる、優しいシスター。
そんなマリアさんを疑う理由が、リリアーヌさんには見つからなかった。
それに――マリアさんとのお茶会は、楽しかった。
美味しい紅茶を飲みながら、他愛のない話をする。
学園での慌ただしい日々を忘れられるような、穏やかな時間だった。
けれど、今度教会を訪れる目的は違う。
マリアさんの言葉を疑い、何か隠していないか探るために行く。
そんなことをしてしまえば、今までのように笑い合うことはできなくなってしまうかもしれない。
リリアーヌさんは、そっと扇子を握りしめた。
「リリアーヌさん」
僕は優しく声をかけ、
「……なにかしら?」
「リリアーヌさんの気持ちも分かるよ」
思いがけない言葉に、リリアーヌさんは目を瞬かせた。
「だから、リリアーヌさんが嫌だったら、待ってて大丈夫だよ」
「……え?」
「僕とレオンで話を聞いてくるから。無理して来なくてもいいんだ」
僕は、いつもと変わらない穏やかな表情で言った。
マリアさんを疑いたくない。
楽しかったお茶会を、そんな時間に変えたくない。
リリアーヌさんがそう思うのも、無理はない。
マリアさんが何かを隠していると決まったわけではないから。
リリアーヌさんは、しばらく僕を見つめていた。
「……あなたは、本当に……」
「ん?どうしたの?」
「……なんでもありませんわ!」
リリアーヌさんはぷいっと顔を背け、尻尾が、わずかに揺れていた。
セドリックさんはそんな主人の様子を静かに見守っていたが、口を挟むことはなかった。
「それじゃあ、学園長。僕たちは先に行ってきます」
「ああ。くれぐれも慎重にな」
「はい!」
僕は元気よく返事をすると、レオンとともに学園長室を出ていった。
扉が閉まり、室内に静けさが戻った。
リリアーヌさんは、しばらく扉を見つめていた。
マリアを疑いたくない。
何一つ、嘘だったとは思いたくない。
けれど、あの子供が行方不明になったという話も、決して無視できない。
もし、マリアさんが何かを知っているのなら。
もし、あの子供の行方を知る手がかりがあるのなら。
何も聞かずにいることも、違う気がした。
「……お嬢様」
隣に控えていたセドリックさんが、静かに声をかけ、
「……分かっていますわ」
リリアーヌさんは小さく息を吐き、閉じた扇子を見つめた。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
「……話だけでも、聞きに行きますわ」
その声は小さかったけれど、彼女自身が決めた言葉だった。
「承知いたしました、お嬢様」
セドリックさんは深く一礼した。
自分に言い聞かせながら、リリアーヌさんは扇子を握る手に、ほんの少しだけ力を込めた。
その胸の奥に芽生えた不安が、何に繋がっているのか。
今の彼女には、まだ知る由もなかった。




