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第31話 "お茶会"

「お姉さんは、この教会のシスターさんですか?」


気がつけば、僕は無意識にそう呟いていた。


目の前の女性は、一瞬だけ驚いたように目を見開いた。


けれど、それもほんの一瞬のこと。


すぐに柔らかな微笑みを浮かべると、彼女は丁寧に頭を下げた。


「ええ……。私は、この教会でシスターをしております。マリアと言います」


「マリアさん……」


僕はその名前を繰り返した。


綺麗な人だ。


声も穏やかで、物腰も丁寧。


まさにシスターという言葉が似合う女性だった。


けれど――おかしい。


僕は、教会の大きな扉へ視線を向けた。


この教会は、長い間使われていないはずだ。


昨日、僕達が訪れたときも、"あの影"しか見ていない。


それなのに、どうして彼女がここにいるんだろう?


僕が疑問を口にするよりも早く、レオンが一歩前へ出た。


「この教会は長い間使われていないはずだ」


「レ、レオン!?」


僕は思わず声を上げた。


レオンは気にした様子もなく、マリアさんをまっすぐ見つめている。


「それなのに、どうしてあんたがここにいる?」


リリアーヌさんの扇子が、レオンの頭を叩いた。


「痛っ……何するんだよ!」


「レオン。いきなり失礼ですわよ!」


リリアーヌさんは眉を吊り上げると、すぐにマリアさんへ向き直った。


「……失礼なことを言って申し訳ございません」


そう言って、深々と頭を下げる。


「この子、少々遠慮がないところがありまして……」


「おい、誰が少々だ」


「お黙りなさい!」


「……」


レオンは不満そうに口を尖らせた。


その様子に、僕は苦笑する。


まったく、二人とも相変わらずだ。


けれど、マリアさんは怒った様子もなく、静かに微笑んでいた。


「いいえ。お気になさらないでください」


マリアさんはそう言うと、教会の扉にそっと手を添えた。


「長い間使われていない……。皆さんがそう思われるのは仕方ないですね」


そして、僕達へ向き直る。


「……良かったら、中でお話でもいかがですか?外は暑いですから」


そう言って、彼女は大きな扉を開けた。


重たい扉が、ゆっくりと開いていき、


「……!」


僕達は思わず息を呑んだ。


「……うわあ……」


僕の口から、自然と言葉が漏れた。


教会の中は、想像していたよりもずっと美しかった。


昨日、窓越しに見たステンドグラスも素敵だったけれど、こうして中から眺めると、その美しさはまるで別物だった。


色鮮やかなガラスを通り抜けた陽の光が、床や壁に赤や青、緑や金色の模様を描いている。


天井は高く、壁には古びた装飾が施されていた。


長い間使われていなかったとは思えないほど、室内は明るく、どこか神聖な雰囲気に満ちている。


電気なんて必要ない。


差し込む陽の光だけで、教会全体が光り輝いているようだった。


「……綺麗ですわね」


リリアーヌさんも、感嘆の声を漏らした。


「確かに……」


レオンでさえ、珍しく素直に感心している。


僕はしばらくの間、ステンドグラスから差し込む光に見惚れていた。


昨日は暗闇の中で不気味に感じた場所が、今はこんなにも美しく見えるなんて。


同じ場所なのに、まるで別世界に迷い込んだみたいだ。


「ふふっ。気に入っていただけたようで何よりです」


マリアさんは、そんな僕達の様子を嬉しそうに眺めていた。


「さあ、どうぞ。こちらへ」


彼女は教会の奥へと歩き始める。


僕達は顔を見合わせたあと、その後に続いた。


案内されたのは、礼拝堂の奥にある小さな部屋だった。


窓から柔らかな陽の光が差し込み、部屋の中央には小さなテーブルと椅子が並べられている。


「どうぞ、お掛けになってください」


「は、はい」


僕達は言われるままに席へ着いた。


すると、マリアさんは慣れた手つきでティーセットを並べ始めた。


やがて、ふわりと紅茶の香りが漂ってくる。


「良かったら、お召し上がりください。こちらはダージリンティーです」


マリアさんは、僕達の前に紅茶の入ったカップを置いた。


さらに、ジャムがサンドされたクッキーまで添えてくれる。


「わあ……」


思わず見入ってしまった。


透き通った琥珀色の紅茶に、綺麗に盛りつけられたクッキー。


まるで絵本に出てくるお茶会みたいだ。


「あ、ありがとうございます」


僕は慌てて頭を下げた。


(……何だか、ドキドキする)


貴族のお茶会って、こんな感じなのかな。


いや、リリアーヌさんの家なら、きっともっと豪華なんだろうけど。


そんなことを考えながら、僕はそっとカップを持ち上げた。


ふわりと立ち上る香りが鼻をくすぐる。


一口飲んでみると、すっきりとした味わいが口の中に広がった。


「……おいしい」


自然と声が漏れる。


「お気に召したようで良かったです」


マリアさんは嬉しそうに微笑んだ。


その向かい側では、リリアーヌさんが優雅に紅茶を口に運んでいた。


「ええ、とても香りが良いですわね。クッキーも美味しそうですわ」


「ありがとうございます。お口に合えば嬉しいです」


レオンも特に緊張した様子はなく、紅茶を一口飲んでからクッキーに手を伸ばした。


「……悪くないな」


「もう、レオン。せっかく出していただいたのですから、もう少し言い方があるでしょう?」


「うまいって言ってるだろ」


「そういう問題ではありませんわ!」


二人のやり取りに、マリアさんがくすりと笑った。


「ふふっ。皆さん、とても仲が良いのですね」


「そ、そうかな?」


僕は照れくさくなって頬を掻いた。


その間にも、マリアさんは穏やかな笑みを浮かべながら、僕達の様子を眺めていた。


(……不思議な人だ)


初めて会ったばかりなのに、まるでずっと前から僕達を知っているみたいに、自然に接してくれる。


僕はもう一度、紅茶を口に運んだ。


香り高いダージリンティーに、甘いジャムの入ったクッキー。


そして窓から差し込む、柔らかな陽の光。


どれも素敵で、まるで本当に貴族のお茶会に招かれたようだった。


けれど――、


ふと、僕はカップを持つ手を止めた。


どうしてだろう。


こんなにも穏やかで、心地よい時間なのに。


胸の奥には、まだ小さなざわめきが残っていた。


その時遠くから、扉をノックする音が聞こえてきた。


「……あら?お客様でしょうか」


マリアさんが不思議そうに顔を上げた。


「少し、席を外しますね」


そう言って、彼女は椅子から立ち上がった。


「どうぞ、ごゆっくりなさっていてください」


柔らかく微笑むと、マリアさんは部屋を出ていった。


その途端、レオンが空になったティーカップをソーサーに戻した。


「……普通のシスターだな」


「普通、ですわね」


「ああ。こんな場所に一人でいるのは気になるけどな」


レオンは腕を組み、少し考えるように視線を落とした。


「少なくとも、今のところは怪しいところは見当たらなかった」


「えぇ。私も、そう思いますわ」


リリアーヌさんも頷いた。


「優しくて、綺麗なシスターとしか思えませんでしたもの」


「そうだね……」


僕も二人の意見に頷いた。


確かに、マリアさんは終始穏やかだった。


紅茶もクッキーも美味しかったし、僕達を警戒している様子もなかった。


それなのに――どうしてだろう。


僕の胸のざわつきは、まだ消えていなかった。


「……気にしすぎかな」


小さく呟いた、その時、


「失礼します」


扉が開き、マリアさんが戻ってきた。


「あの……知り合いの方がいらしてますよ」


彼女の隣には、見慣れた人物が立っていた。


「セドリックさん!」


僕が声を上げると、


「セドリック!?」


リリアーヌさんも驚いたように立ち上がった。


セドリックさんはいつもの穏やかな笑みを浮かべ、僕達へ丁寧に一礼した。


「お嬢様。ルカ様、レオン様。お迎えにあがりました」


「どうしてセドリックさんがここに……?」


僕が尋ねると、セドリックさんは軽く首を傾げた。


「皆様がまだお戻りになっていないと伺いまして、お迎えにあがった次第です」


「そうでしたのね」


リリアーヌさんは納得したように頷いた。


「そろそろ帰るか」


レオンが立ち上がるが、


「……そうだね」


本当は、まだ聞きたいことがあった。


昨夜、教会に入っていった黒い影のこと。


長い間使われていなかったはずの教会に、どうしてマリアさんがいるのか。


けれど、結局その謎については何も聞けなかった。


「マリアさん。今日はありがとうございました」


僕達は彼女に向き直り、頭を下げた。


「ご馳走様でした」


「ふふっ。こちらこそ、楽しい時間をありがとうございました」


マリアさんは最後まで、穏やかな微笑みを浮かべていた。


僕達はセドリックさんとともに教会を後にし、森の出口へ向かいながら、僕は一度だけ振り返った。


木々の向こうに、古びた教会が見える。


その姿は、太陽の光を浴びて静かに佇んでいた。


(……結局、何も分からなかった)


美しい教会と、優しいシスター。


それだけのはずなのに、僕の胸に残るざわめきは、最後まで消えることがなかった。


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