第28話 胸の奥のざわつき
森の奥から響いた鐘の音が、いつまでも耳に残っているような気がした。
肝試し合コンが始まったというのに、誰もが緊張した面持ちで森の入口を見つめている。
そんな中、最初に森へ入ることになったのは――僕とリリアーヌさんだった。
「ムードが大切だからな、ランタンで行ってくれ」
幹事の男子からランタンを受け取る。
「ありがとう!」
「ありがとうございますわ」
僕はランタンを手にすると、顔を見合わせた。
「じゃあ、行こうか。リリアーヌさん」
「えぇ。望むところですわ!」
リリアーヌさんは胸を張り、堂々と答えた。
その姿はいつもどおり頼もしい。
(……うん。僕も頑張らないと)
僕達は森の中へと足を踏み入れた。
ランタンの灯りが、足元の道をぼんやりと照らし、周囲には背の高い木々が立ち並び、枝葉が夜風に揺れていた。
葉が擦れ合う音が、まるで誰かが囁いているように聞こえる。
時折、茂みの奥から小動物らしき鳴き声も響いてきた。
「ルカ?」
「あっ、ごめん。ちょっとびっくりしちゃって」
「もう。小動物の鳴き声くらいで驚いていては、先が思いやられますわよ?」
リリアーヌさんは呆れたように言った。
「だって、暗いし……」
「ふふっ。ルカは案外、怖がりなのですわね」
「そ、そんなことないよ!」
僕が慌てて否定すると、リリアーヌさんは楽しそうに笑った。
(……なんだか、少し恥ずかしい)
でも、そうやって笑ってくれると、僕も少しだけ緊張がほぐれた。
僕は改めて、隣を歩くリリアーヌさんに目を向ける。
「ねえ、リリアーヌさんは大丈夫?怖くない?」
「このくらい大丈夫ですわ。ルカこそ、あの噂が気になって仕方ないのでは?」
「……うん」
僕は素直に頷いた。
森の奥にある、長い間使われていない教会は、夜になると、誰かがそこへ入っていく姿を目撃されるのに、出てくる姿を見た者はいないという。
それだけでも十分に不気味なのに、教会の鐘まで夜中に鳴るらしい。
さっき聞いた鐘の音を思い出す。
あれは、本当にただの偶然だったのだろうか。
それとも――。
考えれば考えるほど、胸の奥がざわざわと落ち着かなくなった。
「……実は、あれからずっと気になってるんだ」
「やはり、そうでしたのね」
「うん。てことは、リリアーヌさんも気になってる?」
「えぇ。あのような噂を聞いてしまえば、気にならない方がおかしいですわ。ただの噂だといいのですけれど……」
そう言いながら、リリアーヌさんも森の奥へと目を向けた。
その表情からは、普段の余裕が少しだけ薄れているように見えた。
(……リリアーヌさんも、不安なんだ)
そう思うと、僕は彼女の隣を歩いていることに、少しだけ安心した。
一人だったら、きっと今よりずっと怖かっただろう。
「大丈夫だよ、リリアーヌさん」
「……え?」
「何があるか分からないけど、二人で一緒に行けば、きっと大丈夫!」
僕はできるだけ明るく笑ってみせた。
すると、リリアーヌさんは一瞬、目を丸くした。
「……そ、そうですわね」
彼女は小さく頷くと、
「わたくしがついているのですもの。ルカは安心していればよろしいですわ!」
「うん!頼りにしてるね!」
「……っ」
ぴたりと動きを止めた。
「リリアーヌさん?」
「な、何でもありませんわ!ほら、先へ進みますわよ!」
彼女は慌てて歩き出した。
その尻尾が、いつもより少しだけ大きく揺れている。
(……あれ?怖がっているのかな?でも、さっきは大丈夫だって言っていたし……)
僕は首を傾げながら、その後を追いかけた。
リリアーヌさんは、なぜだか急に、僕の顔を見ようとしない。
その頬がほんのり赤くなっていることにも、僕は気づかなかった。
どれくらい歩いただろうか。
森の中を進んでいくと、やがて木々の隙間から古びた建物の輪郭が見えてきた。
「あっ……!」
尖った屋根に、石造りの壁。
そして、正面にある大きな扉。
目的地の教会だろうか。
けれど――、
「……リリアーヌさん。待って」
「どうしましたの?」
「誰か居る」
僕はリリアーヌさんを制し、教会の扉を凝視した。
暗くて、はっきりとは見えない。
それでも、確かに何かが揺れていた。
黒い影は、人影のようにも見える。
僕が目を凝らした、その瞬間、古びた扉が、ゆっくりと開いた。
黒い何かは、そのまま教会の中へと入っていき、やがて扉が閉じた。
「……今の、見た?」
「え、えぇ……」
リリアーヌさんも、驚いた様子で教会を見つめていた。
「人……のような、でも……大きな動物にも見えましたわ」
「やっぱり、リリアーヌさんにもそう見えた?」
「えぇ。ですが、あの暗さでは何とも言えませんわね……」
僕達は顔を見合わせた。
(……気のせいじゃない)
確かに、何かが教会の中へ入っていった。
でも、あれは本当に人だったのだろうか。
それとも、大きな動物?
いや、そもそも、どうしてあんな時間に教会へ……?
頭の中に疑問が次々と浮かんでくる。
胸の奥のざわつきが、さっきよりも強くなった気がした。
「……行ってみよう」
「そ、そうですわね。ここまで来たのですから」
僕達は慎重に教会へと近付いていった。
近くで見ると、教会は想像以上に古びていて、石壁には無数の蔦が絡みつき、窓枠もところどころ傷んでいる。
長い間、誰も手入れをしていない、そんな印象を受ける建物だった。
本当に、ここは何年も使われていない教会なのだろうか。
さっきの黒い影は、一体何だったんだろう。
僕は扉の前に立ち、取っ手に手を掛けた。
「……開いてくれないかな」
扉を押してみるが、動かない。
今度は少し力を込めてみた。
けれど、扉はびくともしなかった。
どうやら、鍵が掛かっているらしい。
「……ダメか……」
僕が呟くと、隣にいたリリアーヌさんが窓の方を指差した。
「ルカ。あれ、見てくださいまし」
「え?」
リリアーヌさんは窓から教会の中を覗き込んでいた。
僕もそっと近付いて、窓越しに中を見てみる。
すると、
「……綺麗……」
思わず、呟いていた。
教会の中には、月明かりが静かに差し込んでいた。
高い天井に、整然と並ぶ長椅子。
そして、正面の壁を飾る大きなステンドグラス。
月の光を受けた色とりどりのガラスが、まるで宝石のように輝いていた。
その光が床に落ち、教会の中を幻想的に彩っている。
外観からは想像もできないほど、美しい光景だった。
僕はしばらく、その景色に見入っていた。
こんな場所が、ずっと使われていないなんて。
「そ、そろそろ写真を撮って帰りますわよ!」
「えっ?」
突然、リリアーヌさんが慌てたように声を上げた。
驚いて振り向くと、彼女は僕から顔を背けていた。
(……あれ?なんだか、耳が赤いような……)
「リリアーヌさん。どうしたの?」
「ど、どうもしませんわ!」
「でも、耳が――」
「気のせいですわ!!」
「そ、そう……?」
なぜか、ものすごい勢いで否定されてしまった。
(うーん……やっぱり、怖くなってきたのかな?)
僕は首を傾げながら、もう一度ステンドグラスへと目を向けた。
「せっかくなら、あのステンドグラスも写真に撮りたいけど……それじゃクリアできないよね」
今回の目的は、教会を背景にしてペアの写真を撮ること。
教会の中を撮影するだけでは、条件を満たせない。
少し残念だけど、仕方がないか。
すると、リリアーヌさんはスマートフォンを取り出した。
「……仕方ありませんわね。ルカ。こちらへいらっしゃい」
「うん!」
僕はリリアーヌさんの隣に並んだ。
彼女との距離が、いつもより少しだけ近い。
けれど、僕は特に気にすることもなく、カメラに向かって笑顔を浮かべた。
リリアーヌさんはスマートフォンを構え、画面を確認する。
「撮りますわよ?」
「うん!」
スマートフォンの画面に、僕達二人と古びた教会が映し出された。
これで、肝試しの課題はクリアだ。
「ありがとう、リリアーヌさん!」
「ど、どういたしましてですわ!後でルカにも送りますわね!」」
リリアーヌさんはスマートフォンを胸元に抱え、そそくさと歩き出した。
「さあ、戻りますわよ!皆さんを待たせてしまいますもの!」
「うん、そうだね!」
僕も慌てて、その後を追いかける。
(……それにしても、さっきの黒い影は、何だったんだろう)
鍵の掛かった扉、誰も使っていないはずの教会。
そして、あの大きな影。
気になることは、いくつもある。
けれど、今はまだ何も分からない。
僕は一度だけ振り返り、教会を見つめた。
月明かりに照らされたステンドグラスが、静かに輝いている光景が、頭から離れない。
だけど、その美しい光景の奥に、何かが潜んでいるような気がした。




