第16話 高値の売り物
学園長とセドリックさんには悪いけれど――、
僕達3人は、蛇の後を追っていた。
街の東側へ進み、さらに細い路地を抜ける。
やがて見えてきたのは、海に面した大きな港だった。
夕暮れの港は、昼間とは違う顔をしている。
潮の匂いが鼻をくすぐり、遠くから波の音が聞こえてくる。
辺りにはまだ明かりが灯っているものの、少しずつ暗くなり始めていた。
「……ここ?」
僕が呟くが、蛇は答えることなく、港の奥へ進んでいく。
僕達も、その後を追った。
やがて、いくつもの古びた倉庫が並ぶ場所へ辿り着いた。
錆びついた扉に、ところどころ壊れた壁。
長い間使われていないようにも見える。
蛇は、その中の一つの倉庫の前で止まった。
「……ここか」
レオンが小声で呟くと、蛇が首を上げる。
「……」
「昨日、あの緑色の魔物が入ったのはここなんだな?」
「……」
僕は倉庫を見上げる。
さっきまで街の明かりがあったから気にならなかったけれど、いつの間にか辺りはかなり暗くなっていた。
胸の奥が、少しだけざわつく。
「……本当に、ここにいるのかな」
自分でも分かるくらい、声が小さくなった。
レオンが僕を見ると、
「……怖かったら、待っててもいいぞ」
「え?」
「行こうって言ったのは俺だからな」
倉庫から目を離さない。
「無理して付き合う必要はない」
僕は首を横に振り、
「ううん」
レオンの隣に並ぶ。
「レオンだけに行かせられないよ!」
「ルカ……」
「危なかったら――」
「お静かに」
リリアーヌさんが、突然僕達の会話を遮った。
「……え?」
リリアーヌさんは倉庫の入口を睨んでいて、その尻尾が逆立っていた。
「誰か居ますわ」
「……!」
僕達は一斉に倉庫を見る。
「ほんとか?」
レオンが小声で尋ねると、
「えぇ」
リリアーヌさんは頷いた。
「……中から、何か聞こえますわ」
僕は息を殺した。
耳を澄ますと、
「……ガタン」
倉庫の中から、小さな物音が聞こえた。
続いて、何かを引きずるような音が。
僕の背中に、冷たいものが走った。
レオンがゆっくりと構え、リリアーヌさんの手にも、小さな炎が灯った。
蛇はというと、いつの間にか、僕達の後ろへ下がっている。
「……」
鳴き声は、怯えているようにも聞こえた。
「……レオン」
「ああ」
レオンは倉庫の扉から目を離さない。
「いるな」
その瞬間、
「アイス・アロー!」
突然、背後から声が聞こえた。
「……え?」
僕達3人が振り返る。
けれど――遅かった。
青白い光が、一瞬だけ視界を横切り、一本の氷の矢が、リリアーヌさんへ向かって飛んでくる。
「リリアーヌさん!」
僕は考えるより先に、彼女の身体を押した。
「きゃっ――!」
「……っ!」
冷たい感触が、腹部を貫いた。
僕の身体が大きく揺れ、
「……あ」
視線を落とす。
氷の矢が、僕の腹に突き刺さっていた。
「ルカ……?」
リリアーヌさんの顔が青ざめ、
「ルカッ!」
レオンも僕へ駆け寄ろうとする。
けれど僕は、震える手を上げた。
「早く……逃げて……!」
「え……?」
「……セドリックさんの……所に行って……!」
声が上手く出ない。
息をするだけで、身体の奥が痛む。
「で、でもルカが!」
リリアーヌさんが僕へ駆け寄ろうとするが、その腕を、レオンが掴んだ。
「ここで3人とも殺られたら、元も子もない!」
「でも……!」
「行くぞ!」
レオンが僕を見ているが、その目には、悔しさが滲んでいた。
「……必ず戻ってくるからな!死ぬなよ!」
「……うん」
「ルカ……!」
リリアーヌさんが何度も振り返る。
「絶対に戻りますわ!絶対ですから!」
「……うん」
レオンは蛇を抱え、リリアーヌさんを連れて走り出した。
2人の姿が、少しずつ遠ざかっていく。
やがて、足音も聞こえなくなった。
「……はぁ……」
僕は、その場に膝をついた。
身体に力が入らない。
目の前がぼんやりと霞んでいく、その時だった。
「おい」
低い声が聞こえた。
僕はゆっくり顔を上げる。
そこに立っていたのは、青白い肌をした、大きな翼が生えている、見たことのない魔物だった。
その手には、まだ氷の矢が握られている。
「ガキが、こんな所に何の用だ?」
「……誰……?」
「知る必要はねえよ」
魔物はニヤリと笑い、
「オレは、この倉庫を見張るよう頼まれてんだ」
「……見張り……?」
「そうだ」
ゆっくりと僕へ近づいてくる。
「まんまと、捕まってくれて有難いぜ」
僕は立ち上がろうとしたが、上手く身体が動かない。
「……くっ…」
手も、足も、指一本すら、思うように動かせない。
まるで、凍らされているかのように。
すると倉庫の中から、別の声が響いた。
「ヒヒヒ……」
「……その…声は…!」
暗闇の奥から、聞き覚えのある笑い声が聞こえた。
「勝手に傷つけるんじゃねえよ」
「……!」
僕は息を呑んだ。
ゆっくりと、緑色の影が姿を現す。
長い舌に、あの不気味な笑み。
体育館で僕達の前に現れた――あの魔物だった。
「そいつは売り物なんだからよ」
「……売り物…?」
緑色の魔物は、僕を見下ろして笑う。
「まさか、自分が何で狙われたのか分かってねえのか?」
「……僕が……?」
「アルテミス家」
その言葉を聞いた瞬間、僕の身体が僅かに震えた。
「偉大な家の人間ってだけで、買い手はいくらでもいる」
魔物は愉快そうに笑い、
「無能力者だろうが何だろうが、オレ様には関係ねえ。お嬢ちゃんを狙えば、庇うかと思ったら、ほんとに庇いやがった」
「……」
「アルテミス家のガキってだけで――」
魔物が口元を歪める。
「十分、高値で売れるんだからな」
僕は、何も言い返せなかった。
無能力者だから、アルテミス家の汚点だから。
ずっと、そう思っていた。
なのに、こいつらにとっては、そんなことはどうでもいい。
僕が何者なのか、どんな人間なのか。
そんなことすら関係ない。
ただ――、
**アルテミス家の人間だから。**
その理由だけで、僕は捕まってしまった。
「……嫌だ」
魔物の足音が、少しずつ近づいてくる。
「大人しくしろよ」
視界が霞み、意識が、遠くなる。
最後に見えたのは、不気味に笑う、緑色の魔物の顔だった。
そして僕の意識は、深い闇へと沈んでいった。




