第10話 潜入大失敗!!
四人は、静まり返った体育館の中へ足を踏み入れていた。
昼間なら、生徒たちの声や運動する音が響き渡っているはずの場所。
しかし今は、窓から差し込む月明かりが床を照らしているだけだった。
「…………」
僕は体育館を見渡すが、当然誰もいない。
物音もしないし、犯人らしき姿も、見当たらなかった。
「……いなかったね」
僕は残念そうに肩を落とした。
「明日も学校だし、今日は帰ろっか?」
「そうですわね……」
リリアーヌさんも小さく息を吐く。
その尻尾も、しゅんと項垂れていた。
「せっかくここまで来ましたのに……」
「まあまあ。明日、先生たちに何か分かったか聞いてみようよ」
「ええ……」
二人が踵を返そうとした、その時だった。
「…………」
レオンだけが動かなかった。
「レオン?」
「…………」
返事はなく、レオンは、体育館の入口を睨みつけていた。
鮮やかな緑色の瞳のその瞳孔が、蛇のように細くなっている。
「レオン? どうしたの?」
レオンは答えず、ただ、ゆっくりと僕の前へ立った。
「え?」
僕が目を丸くすると、レオンは片手を広げ、僕を制した。
「……下がってろ」
「レオン?」
「いいから」
低い声だった。
先ほどまでとは明らかに違う。
僕は一瞬だけ戸惑ったものの、素直に一歩下がった。
「……何か、いますの?」
リリアーヌさんも警戒する。
その尻尾が、ぴんと張った。
セドリックさんは何も言わず、ただ、手にしたランタンを少し下げ、レオンと同じ場所へ視線を向けていた。
体育館の入口の、そこに落ちている――床の影。
「…………」
レオンが睨みつけ、
「おい」
静かな体育館に、その声が響いた。
「誰だ、お前」
すると、影が動いた。
「…………!」
僕が目を見開くと、床に落ちていたはずの影が、まるで生き物のように蠢き始めた。
影が盛り上がり、まるで何かが、地面の下から這い上がってくるように。
やがて影は人の形を作り、床から何かが這い出してきた。
緑色の皮膚に、細長い身体。
大きく裂けた口から覗く、異様に長い舌。
「…………」
魔物はゆっくりと顔を上げ、レオンを見つめ――、
「……ヒヒッ」
不気味に笑った。
「ガキのくせに、オレ様に気付くとはな」
「魔物……」
リリアーヌさんは、目の前の魔物をじっと見つめていた。
「……魔物なんて、初めて見ましたわ」
口調は意外なほど落ち着いている。
まるで珍しい動物でも見ているようだった。
――ただ、その尻尾は完全に逆立っている。
セドリックさんはちらりと尻尾を見たが、何も言わない。
魔物はそんなリリアーヌさんたちを見て、ニヤニヤと笑った。
「ヒヒッ……」
そして、わざとらしく両手を上げ、
「怖い怖い」
「…………」
「オレ様は、お前らみたいなガキに用はねえよ」
と、長い舌をべろりと出す。
「まあ……」
魔物の目が細くなる。
「顔を見られちまったもんは、仕方ねえよなあ?」
レオンの瞳孔がさらに細くなる。
「……やっぱり、お前が盗難事件の犯人か」
「さあな?」
魔物は笑った。
「そんなことより――」
その耳が突然、ピクリと動き、
「…………?」
魔物の表情が変わった。
「……ちっ」
小さく舌打ちしたと思うと、
「ヒヒッ……今日はここまでだ」
「待て!」
レオンが叫ぶ。
だが、その瞬間、魔物の身体がぐにゃりと歪んだ。
足元から黒い影が広がっていき、その身体がまるで、水に溶けるように、影の中へ沈み込んでいった。
「なっ……!」
僕がが目を見開くと、
「消えましたわ!?」
リリアーヌさんの尻尾が、さらに大きく膨らむ。
レオンはすぐに追おうとしたが、体育館の入口が開いた。
「!」
眩しい光が、四人を照らす。
「君たち」
懐中電灯を片手に立っていたのは――、
学園長だった。
「こんな夜中に、何をしているんだね?」
「…………」
「が、学園長……」
僕が気まずそうに呟くと、学園長は四人を順番に見回した。
「ルカくんに……リリアーヌくん。レオンくんに……セドリックくんまで」
名前を確認すると、学園長は大きくため息を吐いた。
「まったく。消灯時間を過ぎて学園内を歩き回るとは、感心しないね」
「あの……」
僕が口を開くと、
「僕たちは――」
「事情は聞かせてもらおうかね」
学園長はそう言った。
そして、床へ懐中電灯を向ける。
そこは、先ほどまで魔物がいた場所。
「…………」
学園長の視線が、ほんの一瞬だけ止まった気がしたが、それ以上何も言わない。
「さて」
学園長は懐中電灯の光を消し、
「君たち、私の部屋まで来なさい」
「……はい」
僕たちは大人しく頷いた。
四人は学園長に連れられ、校舎の最上階にある学園長室へやって来た。
「入りたまえ」
「お、お邪魔します……」
僕は恐る恐る中へ入ると、そこは広々とした部屋だった。
壁には歴代の学園長たちの写真が額縁に入れて飾られていて、その隣には、大小様々なトロフィーや盾、表彰状などが並んでいた。
「わあ……」
僕が辺りを見回すと、
「すごい……」
「感心している場合ではありませんわよ」
リリアーヌさんが小声で注意する。
「僕たち、消灯時間を破ってるもんね……」
「まったくですわ」
そう言いながらも、リリアーヌさんの視線もトロフィーへ向いていた。
レオンは無言で部屋の中を見渡している。
セドリックさんはいつも通り、こんな状況でも、穏やかな表情を浮かべていた。
「まあ、座りたまえ」
学園長はソファを指差し、
「珈琲でも淹れようか」
「え?」
僕が目を丸くする。
「珈琲……ですか?」
「こんな時間に生徒を叱るのだからね。私も少し休憩が欲しいのだよ」
学園長は窓際へ歩いていくと、そこには、小さなコーヒーメーカーが置かれていた。
スイッチを入れると、豆が挽かれる音が、静かな部屋に響く。
「…………」
四人は何となく、その様子を見つめていた。
やがて、香ばしい珈琲の香りが、部屋いっぱいに漂い始める。
「……いい匂い」
僕は思わず呟いた。
「お前は本当に緊張感がないな」
レオンが呆れたように言う。
「だって美味しそうじゃん」
「そういう問題ではありませんわ」
リリアーヌさんも苦笑する。
学園長は棚からカップを取り出し、出来たての珈琲を、四人分注いでいく。
「さて――」
カップをテーブルへ並べると、そ自分もソファへ腰を下ろした。
「それで、君たちは事件の犯人を追うために、こんな夜中に学園へ潜入してきたのかね?」
「…………」
四人の間に沈黙が落ちる。
最初に口を開いたのは、僕だ。
「ご、ごめんなさい!」
僕は勢いよく頭を下げ、
「悪気があったわけじゃなくて……」
さらに深く下げた。
「レオンも、僕が無理やり連れてきたみたいな感じなので……」
「おい」
レオンが眉をひそめ、
「僕が一番悪いです!」
「だから、俺は無理やり連れてこられたわけじゃない」
淡々と口を挟む。
「俺は同室のルカが規則を破ったら、連帯責任になるんで」
「…………」
「それなら、着いていくかって感じで」
「レオン……!」
僕はぱっと明るくなり、
「やっぱりレオン優しい!」
「黙れ」
レオンは即座に顔を背けた。
そんな中、リリアーヌさんも、おずおずと口を開く。
「わ、わたくしも……」
膝の上で両手を握り、
「犯人が気になって、眠れなくて……」
そして、申し訳なさそうに頭を下げた。
「それで、学園へ来てしまいましたの」
学園長は三人を眺めていた。
やがて――、
「……ははっ」
小さく笑った。
「君たちは面白い子だ」
三人が顔を上げ、
「普通、事件と聞いたら怖いはずだろう?」
「……怖くないわけではありませんわ」
リリアーヌさんが小さく答える。
「魔物も……初めて見ましたし」
その言葉に合わせるように、尻尾がぴくっと揺れた。
「でも、気になってしまって……」
「なるほど」
学園長は頷くと、
「まあ――」
セドリックさんへ視線を移した。
「子供たちだけで潜入したわけじゃないんだ」
「…………」
そんな学園長の様子に、セドリックさんは微笑み、静かに立ち上がる。
「お嬢様が申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げたが、
「私が同行した責任もございます。どうか、お嬢様には――」
「いやいや」
学園長は手を振る。
「頭を上げてくれ、セドリックくん」
セドリックさんが顔を上げる。
「いいんだ」
学園長は柔らかく笑った。
「リリアーヌくんのお父さん……」
一度言葉を止め、
「いや、先祖代々お世話になっているんだ」
「そうでしたの?」
リリアーヌさんが目を丸くする。
「ああ」
学園長は懐かしそうに目を細めた。
「ドラグニス家とは、随分と長い付き合いでね」
「…………」
「リリアーヌくんのお父さんも、昔は随分とやんちゃだったんだよ」
「お、お父様が……?」
リリアーヌさんの尻尾がピンと立つ。
「今の君からは想像できないかもしれないがね」
「そ、そんな……!」
リリアーヌさんは頬を赤くする。
「お父様が……」
「もちろん、今は立派な方だとも」
学園長は楽しそうに笑い、
「だが、若い頃は――」
「が、学園長!」
リリアーヌさんが慌てて遮る。
「そ、その先は結構ですわ!」
「はははっ!」
学園長の笑い声が部屋に響き、僕も楽しそうに笑った。
「なんだか、リリアーヌさんのお父さんって面白い人なんだね!」
「ルカ!」
「だって気になるじゃん!」
「聞かなくてよろしいですわ!」
リリアーヌさんの尻尾が、恥ずかしそうにぶんぶんと揺れる。
レオンはそんな光景を横目に、小さく息を吐いた。
「……何しに来たんだ、俺たちは」
しかし、学園長は笑みを浮かべたまま、珈琲へ手を伸ばした。
カップを口元へ運び、一口、
「さて」
その声が、ほんの少しだけ低くなった。
「君たちがここへ来た理由は分かった」
カップをテーブルへ置くと、
「だが……」
学園長の目が、四人を静かに見渡す。
「君たちは――」
ほんの一瞬、部屋の空気が変わった。
「体育館で、何を見たのかね?」




