第8話 「ご主人さま」
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アッシュが再び目を覚ましたのは、暗がりの部屋の中でだった。
ゆっくりと体を起こすと、額から濡れた布がぱたっと落ちる。それに気づくと、アッシュは眠る前に額に引き出しをぶつけられたことを思い出した。きっとセフィが介抱してくれたのだろう。おでこの痛みがだいぶ引いている。
魔法は様々なことができるが傷や病の治療はできない。どんなに優れた魔法使いでも、魔法を用いて痛みを無くしたり、傷を治したりのは不可能なのだ。
アッシュは手探りで、額から落ちた布を探す。見つけて掴むと、しっかり絞られつつも、ほどよく湿り気があるのが分かった。少し前に替えてくれたようである。
アッシュはセフィの慌てた顔を思い出しながらふっと笑ったあと、濡れた布をサイドテーブルに置き、ベッドから降りた。
ベッドの上で寝ているということは、お願いした通り、セフィはアッシュを寝室に運んでくれたようだ。
彼は枕側にある南の窓の前に立つと、レースのカーテンを開いて空を見上げ、星々が美しく瞬く闇を見た。その中に、満月から幾分欠けた月が南中に見える。
(月の形が昨日とあまり変わっていない。ということは、二度目に眠ってから一日は経っていないってことだ。多分、眠っていたとしても十時間くらいかな……。でも、何だか変だ……。こんなに魔力が早く戻るはずがないのに……)
魔力の回復には時間がかかる。特に、魔力を多く保有できないアッシュの体では、動けなくなるほど魔力がなくなった場合、元に戻るまで三日は必要だ。
それなのに眠る前まであった体のだるさはほとんどなくなり、調子が戻っていた。
(まあ、魔力が元に戻ったことは、素直に喜ぼう。良いことなのは確かなんだし……)
しかし、調子が良くなったことで、反対に余計なことも考えられるようになってしまう。
アッシュは窓を見つめ、ため息をついた。
(マリ……)
彼女の訪問は、幼馴染が懐かしくて会いに来てくれたわけではなかった。
魔法を使って、アッシュの〈鏡写し〉を作るのが目的だったのだ。
ただ、何故「アッシュだったのか」という理由は分からない。
確かにマリは「アッシュの能力が必要だから」と言ったが、魔力もなく、魔法も大して使えないアッシュの〈鏡写し〉をしたところで、彼女が言った「魔法をこの世から消すために、魔法使いを滅ぼす」という恐ろしい計画に役に立つとは思えない。
(まあ、僕の〈鏡写し〉が役に立たないなら、それはそれでいいんだろうけど……。いや、待てよ。もしかして、僕が最初の犠牲者になる予定だった……とか?)
よく考えてみると、幼馴染がアッシュに向けて放った〈鏡写し〉という魔法は、下手をすると彼の命を奪っていたかもしれなかった。
彼女はアッシュの魔力が少ないことを分かっているため、考慮しているような口ぶりだったが、「魔法使いをこの世から消そうとしている」のであれば、アッシュも例外ではないだろう。
(考えれば考えるほど、なんか辛いな……)
落ち込むが、どうしても子どものときのマリと今のマリが上手く重ならなかった。
(魔法学校に通っているときのマリは優しくて、知的で、落ち着いていて……。少なくとも、あんな恐ろしいようなこと考えるような人じゃない。それとも『大陸派遣』で何かあったんだろうか……)
アッシュが肩を落とし、ベッドのほうへ戻って座ったときだった。部屋をノックする音が聞こえる。「はい」と言って答えると、〈灯〉を浮かせながら、そろそろと顔を出した。〈灯〉の魔法を使うと、火の玉のような丸い光がふわふわと浮かんで、術者の望むところを照らしてくれる。
「お目覚めになっていたんですね」
「ええ。少し前に」
「良かった……」
ほっと息をついた彼に、アッシュは微笑んだ。
「ここまで運んでくれたんですね、ありがとうございます。それと、眠る前に口の悪いお願いをしてすみません。あのときは、気持ちにも体にも余裕がなくて、キツイいい方をしてしまいました……」
アッシュが苦笑しながらお礼と謝罪を言う。
一方のセフィは、さっと部屋に入ると、腰を折って謝った。
「いえ! アッシュさんはお礼も謝罪も言われるようなことはしていません。そもそも俺——じゃなかった、私の魔法でアッシュさんのおでこに引き出しをぶつけてしまったのがいけないのですから。本当にすみません……!」
「そんなに謝らなくていいですから。おでこに濡れた布を置いてくださったでしょう。お陰で痛みはほとんどなくなりました」
するとセフィはそっと体を起こし、「本当ですか?」と小動物のようなうるうるとした黒い瞳をこちらに向けて確認する。
アッシュがセフィのために「本当ですよ」と微笑んで言うと、彼は胸を撫で下ろし、最初に会ったときのような明るさを取り戻した。
「あー、それならよかったです! ご主人さまにも怒られるところでした!……いや、待てよ。アッシュさんに告げ口されたら結局怒られる、かも? え、どうしよう……」
後半セフィがぶつくさと何か言ったが、アッシュはそれよりも気になっていることを尋ねた。
「そういえば、セフィさんは『ご主人さま』に言われてここに来たと言っていましたね? それってどういうことですか?」
するとセフィはきょとんとした表情を浮かべる。
「どういうことと言われましても、普通に『ご主人さま』に頼まれたからですよ。今のアッシュさんは、『魔力が減っていて動けないだろうから助けてやってくれ』って」
アッシュは、はっとする。
彼の魔力が減っていることを知っているのは「マリ」だけのはずである。
まさか、と思いつつ、アッシュはセフィに尋ねた。
「どうして、それを……? というより、あなたのご主人さまって、誰なんですか?」
「え? 『ウーファイア』さまですけど」
セフィのあっさりとした答えに、アッシュは目を見張った。




