第36話 仮説
アッシュは「衰弱……」と小さく呟くと、首を捻った。何かがおかしい。
「セフィのお父さんは、『大陸派遣』の仕事を放棄したんだよね?」
確認するように尋ねるアッシュに、セフィは首肯する。
「そう聞いてます」
「放棄した理由は分からないにしても、『大陸派遣』の仕事から逃れたことは間違いない……」
「……アッシュさん? どうかしたんすか?」
独り言ちたようなアッシュの言葉に、セフィは不思議そうに眺める。
「その……セフィのお父さんが、『衰弱するようなことになった』っていうのが引っかかってて……。だって、エミールさんの手記には、『大陸派遣の仕事は魔力消費が大きくて大変』だと書いてあった。それが本当のことだったとして、大陸ではスーベル島よりも魔法を使うことが体に負荷のかかることだったとしたら、『大陸派遣』っていう魔法を使う仕事から抜け出すことができたのなら、体が楽になりそうなものじゃない? だって『大陸派遣』は、魔法使いのいない土地の人たちのために仕事をするっていう話で、言い換えれば魔法を使って仕事をしなければいけないってことだよ。だけど、そこから逃れたなら、魔法をあえて使う必要がないわけで、別に衰弱する理由なんてないはずでしょう?」
「……アッシュさんの言い分は分かるっすけど……。うーん、どうでしょうねぇ」
「何か違う?」
「皆が皆、そうかというと違うんじゃないかってことっす。だって、俺は大陸で魔法を使ったことがありますけど、疲労感なんてありませんでしたもん」
アッシュは目を見張った。
「え……?」
「俺はご主人さまに大陸で魔法使いにしてもらったあと、大陸で魔法の練習もしましたけど、大変なこともなかったですし、体が疲れることもありませんでした。ついでに言うとスーベル島に来てからも魔法は使っていますが、こちらでも特に疲労感はありません。それはご主人さまも同じっすよ」
「そう……」
組み上がってきた仮説が、一気に崩れてしまう。
セフィの話が「嘘」である可能性もないわけではないが、ここまでの話に矛盾はない。わざわざ「大陸で魔法を使った感覚のこと」だけ「嘘」をつくこともないはずである。
「それなら、何でエミールさんはあんなことを書いたんだろう?」
アッシュが不思議がると、セフィは腕組みをして首を傾げた。
「やっぱり個人差があるってことじゃないっすかねぇ?」
謎がさらに深まる。
アッシュは両手の指を絡ませると、思惟に耽った。
☆
アッシュたちがマリの家を訪れていたころ、魔法学校の校長室には、校長付きの秘書二人、教頭、そして二人の教師がおり、皆、校長が使っている立派な机を囲って立っていた。
机の前には当代魔法学校校長、イザーク・マクレミスが座っている。彼は太く長い指で、こつ、こつ……と机を叩き、異様な空気を漂わせていた。
「状況を報告せよ」
威厳のある低い声でイザークが命令すると、秘書の一人であるベアトリス・ミルベリシュが緊張した面持ちで答えた。
「はい。建物の西側が〈炎〉の魔法により破損。それから、内部も焼けこげました。現在消火はほとんど済んでおり、修復作業に入っておりま、す……」
途中、イザークの黒くでぎょろりとした目で睨まれ、彼女は思わず語尾を窄ませる。
「それは私でも分かる。もっと大事なことがあるんじゃないか?」
イザークが間髪容れずに聞くので、ベアトリスは息を呑んだあと、すぐに一番重要な情報を口にした。
「……はい。魔法の補助具の保管庫の中から、特に厳重に守られていたものが持ち出されました……」
「持ち出した者は?」
「魔力の痕跡を〈可視〉と〈人探し〉を使って辿ってみたところ、事務員のシルヴィス・ヴェルデラータのものであることが分かりました」
ベアトリスの報告に、イザークは机を指でたたくのを止め、代わりに額に手を当てた。
「ヴェルデラータ、か……。八家一門の者が関わっているとはな」
ため息交じりに呟く。
八家というのは、魔法学校との縁が深い家柄のことだ。八家出身の魔法使いか否かということは、姓を見れば分かる。
スーベル島では、八家出身の者だけが姓を名乗ることができるため、名前以外に姓があれば、八家出身なのだ。




