第32話 エミール
(何だ……、これ……)
アッシュは内容を読んで、きゅっと眉を寄せた。
「大陸派遣」に対する書き手の関心は窺える。
だが、これまでアッシュが魔法学校で学んだ「大陸派遣」の印象とはまるで違うのだ。
(僕が子どものころ、魔法学校の先生たちに聞いたり、周りの大人たちに聞いたりした話では、「大陸派遣は、魔法使いのいない大陸の人たちの手助けをするために、魔法使いたちが派遣される」ってことだった……。そのことは、確かにこの手記にも書いてある。でも、その裏に、理由は不明ながらも「渡った魔法使いたちが魔力の大きな負担が強いられていること」、「本当に大陸の者たちの役に立っているのか分からないということ」が書かれている。そんなこと、今まで一度も聞いたことがない。……これじゃあ、手記の人が書いていたように「何のために『大陸派遣』は、行っているんだろう」って思ってしまう……)
アッシュはこれを書いた者が誰なのかを知ろうと、紙を捲った。
すると、最後の一枚の後ろに、癖のある小さな文字で「エミール」という名前が書いてあった。
(「エミール」? エミールさんって確か、マリとカイルさんのお父さんの名前だったはず……)
しかし、マリとカイルから、父親の話はほとんど聞いたことがない。
二人が幼いころに亡くなっていることもあって二人は話題に出さなかったし、アッシュもあえて聞くことはなかった。
唯一、エミールの話を聞いたことがあるのは、自分の母親からである。母は彼と知人だったようなのだ。
「エミールは優しい人だったわ。ちょっと抜けているようなところもあったけど、それは愛嬌だったとも言えるわね。そして魔法がとても得意な人だった。そうそう、元々エミールとルシアと仲が良かったわけではなかったのよ。エミールが難しい魔法も難なくしてしまうものだから、ルシアはいつも悔しがってた。彼女も魔法が上手かったのに、いつも上を行かれるからね。逆に言うと、それがだんだんとお互いが意識していくきっかけになったみたい。私は二人が切磋琢磨しているのを見るのが好きだったわ。だってルシアが少しずつ、エミールに好意を抱いていたことは分かっていたからね」と、懐かしそうに話していた。
どういう経緯でこの話を聞いたのかは忘れたが、母からマリたちの父親の話を聞いたのは、後にも先にもこれだけである。どんな仕事に就いていたのかも分からない。
(これを読む限り、エミールさんは「大陸派遣」のことに詳しい……。もしかして、マリのお父さんも「大陸派遣」の仕事をしていたってこと? でも、それって……)
アッシュはそのとき、ある疑問を感じた。
エミールが「大陸派遣」に対して違和感を覚えていたのなら、妻であるルシアが同じ仕事をしていたのが不思議だったのである。
マリの手元にエミールの手記があったのであれば、ルシアは間違いなく読んでいるはずだろう。そう考えると、彼女が「大陸派遣」の仕事を選んだことが謎に思えてくる。そしてそれを娘に勧めたことも――。
(マリはいつエミールさんの手記を読んだんだろう。「大陸派遣」の仕事をし始めてから? それともある程度経ってから? そうじゃなかったら、本当に最近……とか? ルシアさんはどうなんだろう。この手記の存在を知っていたなら「娘に『大陸派遣』の仕事はさせられない」って思いそうなのに……。それともルシアさんは反対したけど、マリが振り切ったとか? だけど、マリが進路に悩んでいるなんて聞いたことなんてないし……)
マリが大陸派遣の仕事をし始めたのは、八年前の魔法学校を卒業した年である。十八歳のときだ。
(八年間も「大陸派遣」の仕事をしたあとに、エミールさんの手記を読んだら、魔法学校に対する不信感が湧きだしても不思議ではないけど、これだけじゃ魔法学校を襲撃するなんて変だ。もっと何か、核心的なことがあったとしか……)
アッシュはそう思って、さらにマリの部屋にあった資料を調べる。
すると今度は何かの図面のようなものが出てきた。アッシュはこれに似たようなものを実家で見たことがある。
(……魔法の補助道具の設計図みたいだ)
しかし、中身を見て眉を曇らせた。
(なんかこれ、魔法も魔力の使用量も変じゃないか?)
図面の一つには「如雨露」と書いてあり、円筒形の容器に長い注ぎ口を付けた図が描かれている。さらに「天気を思い通りにできる」と説明が添えてあった。
しかし、これはおかしいのである。
魔法にもできないことがあり、その一つが「天気を魔法によって変えること」なのだ。
その上、「天気を思い通りにできる如雨露を作るには、魔法使い千人の力が必要である」と記されている。
魔法の補助道具は少なくとも一人、多くとも二人程度いれば十分に作れる。その点を踏まえて考えると、「千人」という規模の魔法使いが必要であるということが不思議でならない。
(知らないことが、ありすぎる……)
アッシュは机の上に広がった資料を見て、額に手を当てるのだった。




