第2話 マリ
「……マリ、なの?」
アッシュが尋ねると、彼女は宝石のような深い青い色をした瞳に、強い光を宿し、彼をじっと見た。睨んでいるわけではないのだろうが、威圧的な雰囲気に、アッシュは思わず一歩足を引いてしまう。
「ええ。久しぶり、アッシュ」
マリは凛と響く声で軽く挨拶を返し、言葉を続けた。
「もっとも、近頃は私のことを『マリ』と呼ぶ人はほとんどいないけどね。皆、『ウーファイア』と呼ぶから」
「大陸派遣」へ参加した者は、大陸の言葉にちなんだ別の名前が与えられるという。マリが赴任する前、「大陸の人々と上手く交流するため」に付けられると言っていたことを、アッシュは思い出していた。
彼女に与えられた名は「ウーファイア」。
大陸の古い言葉で、「輝く光」を意味する。
しかし、その名前のせいだろうか。
見た目はマリなのに、目つきも声も、共に学び舎で学んだころの彼女とは全く違っていた。
「話がしたい。入っても?」
アッシュが黙っていると、マリがそう言って視線を軽く上に向けた。
彼女の頭上では、魔法によって〈雨弾きの膜〉が張られており、そこに雨水が当たると跳ねているのが見える。
それを見て初めて、アッシュの耳に雨音が戻ってきた。
「あっ、ご、ごめん! どうぞ入って!」
「ありがとう」
アッシュが体を避けると、彼女は呪文も何もなく〈雨弾きの膜〉を消し、するりとその脇を通り過ぎて中へ入る。アッシュはそれを確認すると、パタリと扉を閉めた。
「よくここに住んでいるって分かったね」
彼は少し驚いて言う。
アッシュは元々、ヴィルリートの麓にある、ハリオンという街に家族と一緒に住んでいた。その後、学校を卒業したのを機に、ヴィルリートの隣に位置する山の中腹辺りに家を建ててもらい、一人暮らしをしている。そのため周囲に彼以外の人もいない。
しかし、引っ越したことはマリに言っていなかった。仕事を忙しそうにしていたことを知っていたので、余計なことは伝えないほうがいいと思っていたのだ。
「昨日、ティアおばさんに聞いたからね」
マリがあっさりと答える。ティアとは、アッシュの母親のことだ。
マリは子どものころ、母と六つ年が離れた兄の三人で暮らしていた。父親は早くに亡くなっていると聞く。マリが本当に小さいときのことだったらしく、彼女は父親の姿を覚えていないと言っていた。
父親がいないので、マリの母親が子育てをしていたのだが、ほとんど家にはいなかった。
というのも、現在のマリと同じ「大陸派遣」の仕事に就いてからだ。
大陸に渡ると暫く帰れなくなる。そのため、彼女の母親は親友であったティア、つまりアッシュの母親に面倒を見てもらっていたのだった。
そのことがあって、マリはティアのことを母親のように慕っているし、ティアもマリのことを本当の娘のように可愛がっている。
「そうなんだ。だったら、母さんも母さんだ。僕に〈手紙〉で、マリのことを教えてくれたらよかったのに……」
〈手紙〉の魔法を使えば、鳥のような形となって宛名の元へと飛んでいってくれるのだ。
魔法が下手な者がやると相手に届かないということもあるが、アッシュの家族は彼以外、普通の人よりも上手く使いこなす。そのため、街から離れて暮らす息子へ何かを知らせるときは、いつも〈手紙〉を寄こしてくるため、マリのことも知らせてくれればいいのにと思っていた。
「『秘密にしておいて』って、私からお願いしたんだ。アッシュを驚かせたかったから。ティアおばさんのことは責めないで」
マリがティアを庇うので、アッシュは小さく首を横に振った。
「いや、責めようと思って言ったんじゃないよ。来るって分かっていたら、色々用意もできたと思うんだ。お菓子とか、いいお茶とか。ここは僕一人しか住んでいないから、何もないんだよ」
「別に何もなくていいよ。ここに来られただけで十分」
雰囲気が変わったと思ったが、この気遣いはマリらしい。変わってしまったと思ったが、そうではないことが分かって、アッシュは安堵した。
「マリはやっぱり優しいね。ありがとう」
「別に……」
マリが照れくささを隠すためか素っ気なく言うと、それまで被っていた雨具のフードを外した。
すると、フードで隠れていた彼女の髪が顕わになる。肩よりも少し長い髪の色は白銀。それを見たとき、アッシュは少し笑った。
「その髪、どうしたの? 色を抜いたの?」
マリの髪の元々の色は栗色。それが今は色のない髪になってしまっている。
アッシュは、外見の印象を変えるためにしたのだろうかと思った。だが、マリは驚くことを口にした。
「いいえ。体内の魔力が、一時的に減りすぎて髪に蓄えられた分を使っただけ」
「え……?」




