第1話 嵐の日に
外は嵐だった。
木枠にはめられた窓には、ひっきりなしに、ざざっ、ざざっ、と雨が打ち付け、強風が窓やドアに当たるためガタガタと音を立ている。
いつも見えるはずの岩山、ヴィルリートの頂上も霧に隠れて見えない。
アッシュはその様子を窓から時折眺めては、また手元に視線を落とす、という動作を繰り返していた。
彼の手には、濃い緑色のローブがある。毎日着ているせいかすり切れてしまったようで、穴が広がらないうちに縫っていたのだ。
しかし、アッシュのことをよく知らない者が見たら、「どうして魔法を使わないんだ?」と聞いただろう。
「魔法」とは、「魔力」という動力資源を用い、「魔術式」という「魔力にどういうことをさせるか指示するための《《仕掛け》》」に働きかけることで、色んな作用を起こすことをいう。
そしてこの島——スーベル島に住む者たちは、誰もがこの「魔法」を使いながら生活をしていた。
そのため、「布を縫う」という行為も手でいちいち縫わず、魔法で〈針縫い〉するなり、〈修復〉するものなのだ。
〈針縫い〉は、手縫いと同じく針と糸を使って縫うのだが、その動力を魔力に頼るというもの。一度〈針縫い〉の魔術式に魔力を与えてあやれば、勝手に針が指示通りに動き最後まで縫ってくれるので、その間に別のことをしてられるという利点がある。
一方の〈修復〉は、穴の開いた周囲の生地を魔法で複製し、ローブの生地を再生させるので手軽だ。だが、きちんと「魔力」を込めないと破れやすくなってしまうため、精度に差が出やすい。
「魔力」は、「魔法の使用者」の体内に蓄えられているものだが、その量は個々で違う。そのため、沢山の「魔力」を持っている者は、〈修復〉を使ったときに生地の強化をすることも可能だ。
だが、アッシュは〈針縫い〉も〈修復〉もどちらもできない。
確かに魔法には「得意」「不得意」があるが、問題はそこではなく、もっと根本的なものである。
アッシュは元々体の中に蓄積できる魔力が極端に少なく、〈針縫い〉すらもできない――いや、してはならないのだ。
魔力が少ないということは、ただ「魔法が使えない」という単純なものではない。
魔法を使う者は、体内に保有する魔力が枯渇すると死んでしまう。それは魔力は体の機能の維持にも関係しているからだ。
そのためアッシュは、二十六歳にもなる青年だが、小さな子どもが当たり前に魔法を使うのも難しい。
〈修復〉も〈針縫い〉も、やり方さえ分かれば子どもでもできる魔法なのに、魔力を蓄えられない体のため、アッシュはそれすらも容易に行えないのだ。
ゆえに、アッシュは魔法というものを理解する能力や、知識があっても、「魔力が少ない」という問題があって、魔法のことを学ぶ「魔法学校」で単位を取るのは一苦労だった。
苦労人のアッシュだが、それでも腐らずに頑張れたのは努力家だったことと、親友であり幼馴染のマリが、アッシュの精神的支えとなっていたことが大きい。
「元気にしてるかなぁ……」
アッシュが留年せずに何とか魔法学校を卒業した一方、優秀なマリはやることを決めていて、彼女の母親がしていたという「大陸派遣」という職に従事することを決めた。
「大陸派遣」はその名の通り、スーベル島から海を渡って北の大陸に向かい、その地に住む人たちの生活を魔法で助けるのが仕事だ。
学校で習った話では、大陸にはスーベル島ように魔法を使える者がいない。そのため、魔法で人々の生活を手助ける「大陸派遣」という仕事が生まれたらしい。
そして「大陸派遣」の仕事は色んな魔法を使えなければならないため、成績優秀であり、魔法を難なくこなせるものでなければならない。それもそのはずである。魔法のないところに行くのだから、自分が色んな魔法を使うことができなければ足手まといになってしまう。
よって、この仕事に就く者は皆、「選ばれし者」と言われ、称えられていた。
とはいえ、具体的な仕事の内容は分からない。
理由は不明だが、公共事業は大抵秘密にされていることが多いため、特段不思議ではない。
また、大陸への連絡手段は規制が掛かっており、こちらから〈手紙〉を出すのも難しい。逆も然り。
といっても、仮に〈手紙〉を着やすく送れたとしても、アッシュは魔力が少ないため、自分が書いた〈手紙〉を大陸に渡らせることは不可能だろう。
よってアッシュは「大陸派遣」のことを知らなくとも、特別気にしていなかった。
それに、優秀なマリのことである。
きっと小さな村に雇われ、大陸の人たちのために日々奮闘しているだろうと、アッシュは思うのだった。
「……よしっ! 完成した!」
アッシュは糸をハサミでパチンと切ると、ローブを広げた。穴があった周辺の布が若干引っ張られていて、お世辞にもきれいとはいえなかったが、穴はきちんと閉じられたので良しとする。
「はあ、疲れた」
得意ではない作業がようやく終わったので、お湯を竈で沸かし始めたときだった。突然、外に通じるドアが勢いよく開け放れたのである。
「わっ!」
アッシュは慌ててドアに向かった。
しかし、その間にもどんどん雨が入ってきてしまう。
「建付けが悪いなんて思わなかったけどな……」
アッシュが入ってくる雨水が目に入らないよう、下を向きながらドアを閉めようとしたときだった。視界に、自分のではない、革製の長靴を履いた足が見えたのである。
アッシュは驚きつつも、そろそろと顔を上げると、目の前には黒色の雨具にフードを被った幼馴染が立っていた。
「……!」
風がびゅーっと唸ると同時に、雨のざあぁ、という音が鳴り続き、顔や服が外から入ってくる雨に濡れ始めていたが、目の前にいる人物に対して驚きすぎて、気にならなかった。




