第17話 指示と裏切り
「もうすぐ夜明けだ。今、シルヴィスに伝えられる計画は『その〈鏡写し〉を連れてすぐにここを離脱』。それだけ」
「え? 『これの面倒』と『離脱』以外何もしなくていいの?」
シルヴィスは親指で「その〈鏡写し〉」を指さして聞き返した。
これからもっと忙しくなるだろうと予想していたため、たったそれだけのことしか言われず拍子抜けする。
彼女はちらとシルヴィスに視線を向けたのち、再び淡い色の空に戻して話を続けた。
「勘違いするなよ。……〈炎〉の魔法も、〈器〉に蓄えられた魔力がなくなれば持続できなくなる。そうなれば消火隊たちもさすがに炎を消すだろう。火が消えれば次に彼らは、『騎士』を放ってシルヴィスのことを血眼になって捜すはずだから、ちょっと身を潜めておけといっているだけだ」
マリの配慮に、シルヴィスは少しだけ目を丸くしたあと、軽く肩をすくめた。
「お気遣いいただきまして、どうも。でも、まあ、それもそうだね。表の火の海の混乱に乗じて、『学校にとって大事なもの』を盗んできたのは俺だからね。指示に従っただけだけど。上手くいってよかった」
もちろん、その「指示」を出したのはマリである。
「君はほんの数時間前まで、魔法学校の事務員として働いていたのだから、あっちは裏切られたと思っている。奴らは裏切りに対して容赦しない」
「そうだろうねぇ」
シルヴィスは呑気に応える。
彼は要するに、マリのために仕事を捨てたのだ。
本心を言えば、ぬくぬくと事務員の仕事をし続けていたほうが楽だっただろう。
シルヴィスは子どものころから、やる気のあるほうではない。
特になりたいものもなければ、継ぐべき家業もなかった彼が、学校の事務員になったのも「一番長く続けられそう」という理由である。
その考えが変わったのは、今から五年前のこと。
シルヴィスは幼いころに父親を亡くしていて、それは病か何かだったのだろうと思い込んでいたのだが、偶然にも父が「大陸派遣」に就く前後の不審な記録を見てしまったのである。そこから、魔法学校に居続けられないなと思った。
ちょうどそのとき、運命だったと言わんばかりにマリに誘われたのである。「魔法学校と戦う気はないか」と。
それに対して首肯したため、今がある。
「だから、少しの間だけシルヴィスはお休みだ。その間にこちらも準備を進める。魔法学校の勢力が分散されて、君だけを捜すことにならないようにするまで……」
「それは助かるね。それで? どこで休んでいればいいんだ?」
尋ねると、マリは彼を見て言った。
「ここから南にあるノストーティスという町にある、『ヒリカの森』の中に隠れ家を用意しておいた。〈鍵〉は――」
マリはそう言うと、シルヴィスに近づいたかと思うと彼の左手を掴み、その掌を自分の手でぱちんと叩く。その瞬間、ぱっと白い光が両者の掌から放たれた。こうすることで、マリが持っている隠れ家の〈鍵〉が、シルヴィスも使えるようになるのだ。
「これで開けられる」
「……分かった。だけどさ」
「何だ?」
「森ってすごく分かりやすくないか? 何かしでかした奴なら、森に逃げるって思いそうなものだけど……」
隠れられる場所が多いという点で、逃げた者が向かう場所としては都合がいい。逆に言うと、捜すほうも的を絞りやすいとも言える。
シルヴィスの意見に対し、マリはふっと笑って言い返した。
「だったらエルターニアにある、君が間借りしている部屋に戻るか?」
「うっ……」
さすがにそれは嫌だなと思い、身を引く。
魔法学校に対して罪を犯したのだ。シルヴィスが行った犯行だと分かれば、家が押さえられてしまうのは馬鹿でも分かる。戻ったら、捕まってしまうだろう。
「……それはもっと嫌だけどさ。でも森の中に入るっていうのはなぁ……、いい案とは思えないんだよ」
小さい声で不平を言ったが、マリに聞こえていたらしい。
「君が心配するようなことにはならないさ。森に手を出せるほど、魔法学校も余裕はないだろうからね」
マリの意味深長な言葉に、シルヴィスは眉を寄せた。
「どういうことだ……?」
しかし彼女はその問いには答えなかった。
「とにかく、この度のことは助かった。シルヴィスがへまをしていたら、次に進むことができなかったからね」
「もう少し違う言い方はないのか……」
へましたら大変なことをやってのけたのだから、労いの言葉とかあってもいい気がするが、まだ聞いていない。
だが、マリはいつものように華麗に躱して別の話に移る。
「とにかく用件は伝えたからな。次に君にやってもらう仕事まで期間があるから、それまで少し休んでいるといい」
〈浮遊〉の魔法を使ってふわりと浮き、今にも飛んでいこうとする。
「ちょ、マリ、どこに行くんだ⁉」
マリはゆっくりと上昇しながら、シルヴィスを見下ろして不敵に笑う。
「次の仕事だよ。ここから南に行った町の西のはずれに、医療施設があるだろう。私はそこに行って、これを置いてくるつもりだ」
そして右手の人差し指と親指に挟んだものを見せた。
見るとただの「包帯」だったが、シルヴィスはあることに気づいて目を見開く。
「あ、それ! もう使うつもりなのか⁉」
「今が使いどきだろう」
マリはそれだけ言うと、態勢を整え、さらに〈迷彩〉の魔法を使って、着ているローブを空の色に変え、自分を溶け込ませてしまう。見事な偽装に、もうマリがどこにいるのか分からなかった。




