夢見船
「葵衣、俺弟子に稽古つけに行かなきゃいけないから、行くね」
「うん」
涼が私の世話をたまにしてくれる。
魂が抜けたように生きている私を見かねて、色々動いてくれる。
しっかりしなくちゃ、と思いながらも私はまだ、立ち直れていない。
「りょーくん」
ふと声の方を見ると、まだ幼い男の子が風呂敷を抱えて立っていた。
どうやら師匠の涼を自分から迎えに来たらしい。
「迎えに来たのかー?偉い、でもちょっと待ってて、すぐ準備するから」
そう言った涼に、
「はい」
とお行儀よくお辞儀をしていた。
「葵衣、変わりないか」
どうやら、その子と一緒に元家元がついてきたようで、奥からそう声を掛けられた。
「大丈夫です」
そう答えた後に私はふと疑問を口にした。
「家元、この帯の結びの名称を知っていますか?」
私はあの日、大河の背後にいた女性に言われるままに作り替えた帯の形を思い出した。
練習用の帯を結んだものを家元に見せると、
「それは……夢見船の結びだね」
と懐かしむような家元の声。
「夢見船?」
「その着付けで宿る魔は人を守りながら、どこかへ運んでくれると言われている」
「守る、人を……」
あの日、大河の後ろにいた高貴な様子の女性。
彼女は、大河をどこかに運んでいったのだろうか?
「もしかして」
私は、国の外側まで走りだした。
あの暗がりの森を臨める場所まで。
その場所に立ち、遠くを見つめる。
真っ直ぐに線を伸ばすようにある、槐の木のライン。
その二つのラインをまっすぐに伸ばしていくと、その先は私の視界から消えてしまう。
青い空――綿のような雲が浮かぶ、群青の空の景色を映し出す私の視界の中に、一つの人影が現れた。
私には見覚えがありすぎる人。
その人は私の目の前で立ち止まり、
「……よお、久しぶり」
「大河! 大河!」
私は大河を抱きしめた。
ずっと、自分の腕の中に抱き留めておけるような強さで。
「……大河を運んでくれてありがとう」
私は、もう見えなくなってしまった、あの女性がいた大河の背後に礼を述べた。
◇
風に飛ばされた時、あぁ、死ぬのかなと思った。
周りの景色がゆっくりに見えて、浮遊感だけを感じていた。
それでも俺は死ななかったんだ。
気が付いたら、何かに運ばれるような感覚に揺られていた。
まるで湖に浮かぶ船の底に寝転がっているみたいだった。
「……~?」
「……ここは、一体……」
目が覚めると、見覚えのない人物が俺の肩をさすっていた。
変な赤い帽子を身に着けた親父だ。
しきりに何か声を掛けてくるのだが、言語が理解できなかった。
「戦争はどうなったんだ!?」
俺は上体を起こし、腰に吊るされていない刀はどこにあるのかと、周りを見渡した。
すると、俺を起こそうと声を掛けていた親父が、少し怒ったように俺を押し倒した。
背後のふわりとした感触から、俺は寝具の上にいるのだと分かった。
「何すんだよ!」
思わず大きな声をあげると、肩に痛みが走った。
俺を寝具に倒した親父は、ほら言わんこっちゃない、と顔に書かれたような表情をしてみせた。
(これは、あいつと戦ったときの傷か……)
目覚める前の記憶が鮮明によみがえる。
王宮の壁から吹き飛ばされ、最後に見たのは葵衣の泣きそうな顔。
『そんな悲しい顔するなよ』なんて冷静に言う暇もなく、俺は気を失ってしまった。
どうやって、ここに辿り着いたのか見当もつかない。
(まさか、鷹にでも運ばれたか?)
俺は答えの見つからないもどかしさに前髪をかきあげ、目の前の人物に話し掛けてみる。
「俺は神威の国の人間だ。ここは、どこだ?」
「にゃむにゃむにゃむ」
身振り手振りを交えて意思疎通を図り、数分後ようやく判明した。
「ここ、イロンプなのか!?」
驚いたことに、俺が辿り着いた場所は神威の国の領地から、いくつかの中立国を挟んだ、小規模国家の都市だった。
窓の外を見ると、カラフルな建築物が立ち並ぶ、童話の国のようだった。
親切な旅人に助けられ、俺はこの宿屋に預けられたらしい。
(素性も分からねえ怪我人を助けるなんて、お人好しな旅人だな……)
どうやらこの宿屋の主らしい赤い帽子の親父は、俺の周りでかいがいしく世話を焼き、ニコニコと愛想の良い笑みをずっと浮かべていた。
そんな様子を見ていると、自分は直前まで戦火の元にいたことを忘れそうになる。
「……神威の国は、どうなったんだろうな……」
俺はぼそりと呟いた。
すると、宿屋の親父は慌ただしく部屋を出ていった。
部屋の外で誰かと話す声が聞こえる。
「はぁー!」
親父は俺の元へと駆けてくると、大きく手を振って俺に何かを言う。
「何? 何て……」
俺はハッとした。
この親父はおそらくこう伝えようとしてくれている。
セピアルと神威の国の戦争が締結し、平和条約を結ぶことになった、と。
自分がどうして生きているのか、どうやってここに飛ばされたのか。
何も分からないままに、俺は神威の国への帰路に就くことにした。
「世話になった。――本当にありがとうございました」
俺は宿屋の親父に頭を下げた。
「にゃむにゃむ」
「はは……」
一応、この宿から神威の国に手紙も出したが、その手紙が届くのは俺が帰った後になるだろう。
俺は帰る途中、いくつもの街を渡り歩いた。
色んな人がいた。
色んな地があった。
色んな恋人が、それぞれの方法で愛を語っていた。
――「愛してる」「私もよ」
そう言って草をむしってものすごい勢いで食べる謎の求愛行動。
――「君のために、俺は生きる」「嬉しいわ」
そう言って木魚のような丸々とした楽器を打ち鳴らす、楽しそうな男女の姿。
馴染みのないその愛の行動を見て、俺は不思議なことに、耳まで赤くなるような気がした。
愛に染まる道を踏みしめて歩く。
「飲み物をくれ」
そう言うと、国ごとに違う色の、だいたい同じ味で、ばらばらの口当たりの飲み物を貰える。
「食べ物をくれ」
そう言うと、どこでもだいたい豆か、平べったいパンのようなものを貰える。
どこの国にも、何もかもが、そこにはありそうだった。
「ここには、何でもあるんだろう?」
俺は帰路の途中、豊かな国の娘に問いかけた。
「ええ、何でもあるわよ」
娘は胸を張って答える。
「何でもある場所に、たった一つがないんだよ」
俺は娘にそう言った。
すると、娘は俺の背中を押して、
「早く自分の居た場所に帰んなさい、罪な旅人!」
と、笑った。
多分そう言っていたと思う。
俺は気が付いたんだ。
何でもある場所だって、たった一つが欠けるだけで、何もなくなる。
俺の気持ちに素直さをすごく足して、言い換えると。
何でもある場所だって、たった一人いないだけで、何もなくなる。
葵衣がいないと、世界が世界じゃ無くなる。
俺は一番大切なことを知ったんだ。
葵衣は世界で一人しかいない、ってことを。
俺は長い旅の佳境まで来ていた。
つまり、平和条約を結んだセピアルの国に足を踏み入れのだ。
国の心臓――あの王宮はぱっかりと穴が開いていた。
俺が吹き飛ばされた場所だ。
「ずいぶん、豪快にやってくれたもんだよな」
俺が感慨にふけり、ひとりごちていると、目前に背の高い人影が見えた。
銀の髪を持つ、貴公子を思わせる風貌の男。
仮面の隙間から紫の瞳を驚いたように見開いて、麻のようなマントを手に持ち、こちらへ近付いてくる。
「にゃむにゃむ」
俺は旅の始まりの場所、宿屋の変な親父に教えてもらった言葉で挨拶をした。
「――どこへ?」
その男は挨拶を返さず、そんなことを訊いた。
(相変わらず、失礼な奴だな)
そんな風に内心で毒づきながら俺は、
「神威の国へ」
と答えた。
「戦争を終え、戦士でなくなった男は平和な地に何をしに帰るのだ?」
男はまた俺に訊いた。
「決まってるじゃねえか」
俺は地面から草をむしった。
「求婚しに行くんだ。――世界でたった一つだけしかないものを、見つけられたからな」
俺の答えを聞くと、男はふっと笑った。
「……お前を待っている美しい娘がいると、もっぱらの噂だ。生きていて良かったな、互いに」
言い終えると、その男は風を切るように歩き出した。
「待てよ。……お前は、どこへ行くんだ?」
俺は訊き返した。
「……決まっている。これからの僕自身に必要な、たった一つを探しに行くのだろう」
男は足早に立ち去っていった。
「気障な奴……」
俺は思わず気持ちが綻ぶのを感じる。
俺はセピアルを後にして、森の道を抜け、神威の国の敷地に入った。
見慣れた街の景色、その手前に、俺のたった一つが立っていた。
彼女の姿を見ると、俺の心には牡丹の甘い香りが立ち昇ってくる気がする。
「……よお、久しぶり」
俺は手を挙げて、胸の高揚を抑えながら挨拶した。
「大河! 大河!」
葵衣は俺に抱き着いた。
骨を折られるんじゃないかってくらい、強く強く抱きしめられた。
すると、葵衣は目を潤ませて、
「……大河を運んでくれてありがとう」
と言っていた。
「ゴホン、その話は後で。――急だが、今すぐに伝えたいことがある」
俺は葵衣を見下ろして言った。
「はい、はい……」
葵衣は額の汗に張り付いた前髪を避けて、俺をじっと見上げた。
「……俺と、結婚してくれますか」
俺は神威の国に無事帰って、国で一番偉大な着付け師に求婚した。
「はい……はい!」
葵衣は目に涙をいっぱい溜めて、そう答えてくれた。




