忘れ行くもの、忘れないもの
言葉通り、私は膝から崩れ落ちた。
森にも、大河の姿は見つけられなかった。
日が沈む時刻の森は、ひどく冷たく暗さが際立っている気がした。
本当にいなくなってしまったの……?
今までの思い出がよみがえっては胸を締め付け、私を苦しくさせる。
悲観の中にいる私に、
「泣かないで」
優しい声が降ってきた。
「貴方は」
振り返るとそこには、ルークがいた。
幼い時に、私に手を差し伸べてくれた人。
敵国という関係を越えて、いつでも私を探してくれた人。
「僕の前にいる時、君はいつも泣いているような気がする」
ルークが眉を下げて言った。
私はハッとして自分の目尻を触った。
涙の感触が指を伝った。
(あぁ、私泣いてたんだ……)
そんな自覚をした途端、せきを切ったように涙があふれてくる。
みっともなく、しゃくりあげながら泣いた。
悲しい、寂しい。
ルークに対して、国を終わらせてしまった後ろめたさ、申し訳なさ。
やるせない。
心の湖に浮かび上がってくる感情の、どれを拾い上げたらいいのかが分からず、迷うばかり。
私は押し黙ったまま、乱暴に涙を拭いた。
「君は、葵衣は……僕が思ってるよりもずっと、強かった」
ルークが頬を綻ばせて言った。
「そんなこと……」
「着付けなんて出来ない、僕が君を否定することを言っても、君は現に今日、歴史を塗り替えてしまった。……後悔したよ」
私は首を左右に振る。
私は強くなんかない。
一人で、大河がいない世界でなんか生きていけない。
「初めて会った時から、君は眩しかった。圧制政治の中でしか生きたことのない僕には、君は自由で、輝いていた」
ルークが遠い日を懐かしむように言った。
「わ、私もルークが輝いて見えた……」
私は嗚咽交じりに言った。
「――君はまた、立ち上がって歩いていくのだろうね」
ルークが切なそうに笑って、私の手を取って立ち上がらせてくれた。
暗がりの森の夕暮れの哀愁が、私たちを孤独の渦の中に連れて行く気がした。
ルークは私を抱きしめて、
「さようなら。僕らの王を葬った人、大切な人を失わされてしまった哀しい人……僕の初恋の人」
と別れを告げた。
私は口をぱくぱくさせるばかりで、何も言葉を紡げない。
さよなら――たったそれだけの別れの言葉が、私の口から出て行かない。
「争いによって生まれたすべての苦しみを忘れようと思う」
「……」
私は頷く。
「だけど……葵衣のことだけは覚えていたい。これから先も。それは許されることなのかな……?」
ルークが切なげにそう訊いた。
「……ええ……」
私はかろうじて、そう答えた。
「着付け師たちを連れて、自分の国へお帰り」
ルークがいつかのように私を送り出した。
私は彼に背を向けて、夕暮れの中を歩き出す。
……きっと私達があの日以来、互いの姿を憧憬とともに記憶に刻んでいた日々があったように、これからもその日々が続くのだろう。
しかしもう二度と、彼の手をとる日は来ないだろう。
痛いほど、それが分かる。
ルーク、国に隔たれていた、優しい人。
さよなら……。
セピアルの王宮から解放された着付け師たちを連れて、帰路に就いた。
私はすっかり日が落ち、黒に染まった道を歩き出す。




