二人の剣士が見つめる先には
「雨木という者も、かつて家元に就く際に奥義を受け継いだと聞く」
私はセピアルの宮殿の中で、縄を解かれ敵国の王と対面していた。
王は私を舐め回すように見て、そう言った。
「葵衣、お前のうわさも聞いている。若い娘が国家着付け師になったと。――秘の術をあの老いぼれから盗んだのか」
「盗むなんてことはしてません。ただ、その術に大事な心を教えていただきました」
私は恐怖を押し隠して答えた。
「ほう……さて、お前に頼みがある」
敵国の王が従者に合図を出すと、部屋を覆い尽くすほどの面積と長さを持つ帯が運び入れられた。
黒地の帯に張り巡らすように縫い付けられた金刺繍の装飾が見事な物だ。
まるで黒い龍のように神々しく、荘厳な帯の横に着物も並べられて、どちらも丁寧に大理石の床に置かれた。
「わざわざ職人を呼び、作らせたものだ。見たことがないだろうこれほどのものは……」
「……」
「着付けて見せろ。お前が着付けた装いで、お前の国の民を一人残らず殺してやろうじゃないか」
王が粘りつくような音を立てながら笑った。
「やらないというのならば、こいつがどうなるか分かるか?」
「涼!」
縄で縛られた涼が首に刃を当てられ、白い肌から玉のように血の雫が一滴こぼれた。
「葵衣! 俺のことはいい、そんなことする必要はない」
「しかし、この娘も私に背けば結局命を落とすことになる。さぁ死ぬかやるか、さっさとしろ」
「くそっ」
全員の瞳が私を見つめていた。
……私がこの国に戦力を与えてしまうのならば、私の国の民は傷つけられてしまうだろう。
私の力によって。
私も涼も、言う通りにしたところで、王の気が変われば遅かれ早かれ殺されるかもしれない。
それに、国を守るために戦っている大河に危険が及ぶはず。
私は――。
「おい、やるのか、やらないのか」
「引き受けましょう」
正座をしたまま私は抑揚のない声で答えた。
「葵衣……」
涼の無念に満ちた声が耳に残った。
◇
「どうやら、国家着付け師が攫われて、敵国に寝返ったらしい」
葵衣の行動が尾ひれをつけて、噂として俺たちの元へ伝わっていた。
「大河!」
俺にとってそれは、重要なことではなかった。
逆境にさしかかったということは間違いなかったが。
――葵衣、お前の全力は俺が受け止める。
全身全霊で着付けしてみろ。
お前の生み出す着付けモンスターと化した王が、どんなに強くとも、それを俺が越えて行けばいいだけの話だ。
――俺は俺の強さを示す。
俺は剣を握りしめて、そう誓った。
◇
「出来ませんよ、こんな小娘に」
部屋にいる全員がそう呟いた人物へと振り返った。
「え?」
ルーク。
軍服を身に纏った彼に重なるように、幼い日の彼が見える。
今、幼かった頃のルークが私に目で語りかける。
君は着付けなんかできないんだ。
君は今日のことを忘れた方が良いんだ。
出来ない、と口ではそう言っていても、裏に潜む彼の優しさがあまりにも分かりやす過ぎて、私は心配になる。
彼が私を助けようとしていることを、周りに悟られてしまうのではないかと。
いつか、彼とした約束を私は破ってしまった。
彼は自分の危険を顧みず、牢屋に囚われていた私に助言をし、助け出してくれたのに。
今私が生きているのは、間違いなくルークのおかげだ。
彼は会うたび私に、もう着付けの道は止めろ、と、そう言っていた。
でも、私はここにいる。
また、巡り合ってしまった。
「出来ませんね」
ルークは冷たい目を作って言う。
「信じられない気持ちも分かる。ま、じきにこの娘が本物かどうか分かること」
王が嫌な笑みを浮かべながら言った。
「出来ますよ」
みんなが今度は私を一斉に振り返った。
「出来ます」
私は今、過去を断ち切る。
私は着物を王に肩から掛け、襟を合わせ、おはしょりを留めると、次いで床にある黒龍のような帯に手を触れた。
守りたい、神威の国を――。
私の手は……民を殺すのか。
帯に力が流れ込むような感覚を覚えると、帯が宙へ浮き上がった。
まるで本当に生きている黒龍が拍動を得て、身体をうねらせているようだった。
「ほう」
私はその帯をセピアルの王に巻き付けていく。
「なにか、力が湧いてくる気がするのだが」
「そうですか」
私は淡々と返す。
ルーク。
いつかの少年の瞳は、きつく私を見据えていた。
「これが、真に戦闘にふさわしい装いということか」
着付けの終わった王が、自分の袖元を交互に見ると、窓の外の喧騒へと目を向けた。
「私が、この争いに終止符を打つのだ。セピアルの勝利とともに」
王の体全体から殺気が放たれていた。
「行くぞ」
王はこの王宮を後にし、戦地へと向かおうとしている。
その時、大きな声を出しながら、一人の兵士が、
「大変です! 神威の国の軍隊が正面を突破してきています!」
「正面から突破されるとは情けない! ふん、こっちから迎えに行く手間が省けたわ!」
王は刀を着物に刺し、扉の外に出ようとした瞬間、
「よお、会いたかったぜ。着物モンスター!」
そんな言葉が聞こえてきた。
大河――!
大河を含む、神威の国の戦士が敵を蹴散らしながらなだれ込んできた。
大河は私をちらと見ると、深刻そうに顔を顰めた。
「かかれ!」
セピアルの王の一言を皮切りに、両国の兵士が一斉に刃を交える。
刃の先端が掠めた床板が次から次へと削れ、木屑が宙に舞い上がる。
薄茶の煙のようなものが充満した王室内で、真剣と真剣が混じり合う、無機質な音だけが反響する。
私は身を伏せ、むせこまないように袖を口を覆った。
(苦しい、何も見えな……痛っ……)
甲冑の破片か、それともこぼれた刃の一部か、鋭利な何かが飛び交っている。
霞む視界の中、誰かが私の手を取って立ち上がらせようとしている。
沁みるように痛む目を開く。
(私の手を握っているのは誰……?)
瞼を開いた先にいたのは、ルークだった。
こんな状況でも煌めきに満ちた、あの紫水晶の瞳は砂漠のオアシスのようだった。
「ルーク……」
私の手を握る彼の手と、彼の顔とを私は交互に見た。
まさか、私を助けようとでもしているのだろうか。
ルークは私を立ち上がらせると同時に体をひきよせ、騒音の世界から私の耳にささやくように言葉を与えた。
「――セピアルに忠誠を。葵衣」
彼の銀の髪が首をくすぐった。
私はハッとしてルークを突き放す。
「わ、私はセピアルには仕えない。だって私の故郷は……」
「神威は今宵までに落城する。力を得た我が王の手によって。――葵衣、僕と共に生きよう」
ルークは残酷な言葉と、誘うような甘美な言葉を順に紡いだ。
「!」
「着付け師を、セピアルの王は大事にする」
吸い込まれるような紫の瞳が揺れていた。
私の両肩に宥めるように触れ、ルークは何回も何回も、そう言った。
「それは、ありえないわ」
「葵衣、今は信じられなくても示してあげられる、だから」
「違う、違うの……落城するのは、セピアルの方なの」
「……葵衣?」
ルークは私の言葉を強がりだと思ったらしく、心配そうに顔を覗き込んだ。
「もう、本当にルークとは会えない、合わせる顔がない。――私ね」
そう言いかけた途端、ルークは身をひるがえすと同時に剣を抜き、後方から乱暴に振りかざされた何者かの剣を受け止めた。
私はこの剣士を知っている。剣の振り方だけで、私は気付くことが出来る。
「また会ったなお前、今度は逃がさねえ」
霞の中から現れた大河は、凶暴な目つきでルークを睨んだ。
「――目障りな。お前は……葵衣の何だ?」
ルークはため息交じりに問いかけた。
それを訊いた大河は、ぴくっと耳を動かし、
「似た者同士は相性が悪いんだ、知ってたか? つまり、俺とお前は決着をつけなきゃならねえ」
ルークに言葉で挑戦状を突きつけた。
「……かかってこないのか?」
ルークの瞳に好戦的な光が渦巻いた。
大河は押し黙ったまま、ルークの力量を推し量るように目を凝らしていた。
数十秒後、沈黙を破り、合図もなく二人の剣は再び交わった。
二人はあの日、祭囃子を背に刀を交えたとき同じように、国を賭けて火花を散らしていた。
ルークが右足を踏み込むと同時に刀を前にふるった。
大河はそれを刀身で受けず、振り上げた左足でルークの手元を狙う。
私は自分の着物の帯を、敵国の監視を逃れながら変形させる。
看碧空――あたりの粉塵を、雲を蹴散らすように魔が振り払った。
(争わないでほしいのに、どうしたらいいのか分からない……! でも、ルーク、私は絶対に一緒に生きていけない訳があるの!)
気が遠くなるほどのつばぜり合いを繰り返したのち、二人が同時に動きを止めた。
その刹那、大河とルークの肩が互いに裂けた。
ひっ、と声にならない声をあげて、私は口を押さえた。




