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たぶん9千5百年くらい前の古代オリエントのエリコに転移したけど意外とのんびり暮らしてる件  作者: 水源


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この時期にはいまだバターやチーズはないらしいから作ってみようじゃないか

指摘した部分を反映して、土器の会話を自然にしつつ、ヨーグルトについても村人の戸惑いが伝わるように整えました。全体の臨場感は維持しています。


 さて。


 朝の仕事を手伝っているうちに、俺の足元には革袋が四つ並んでいた。


 袋の中で、まだ温かい乳がゆっくりと揺れている。


 ちゃぷん。


 革袋を少し動かすたび、中身が小さく波打った。


 搾ったばかりの乳からは、かすかに草の匂いがする。


「……結構な量になったな」


 俺は腰を伸ばした。


 ずっと前かがみで作業していたせいか、腰の奥が鈍く痛む。


 手のひらには、乳の脂で少しぬるついた感触が残っている。


「うわ……」


 試しに革袋を片手で持ち上げてみる。


 ずしり。


 腕が一気に引っ張られた。


「思ったより重いな、これ」


「毎日運びますから」


 村長の女性が笑った。


「毎日か……」


 俺は革袋を地面へ戻す。


 どさっ、と小さな音がした。


 これを毎日。


 しかも、一つではない。


 その瞬間、改めて思う。


 ――容器が欲しい。


 革袋は軽い。


 丈夫でもある。


 けれど、口が狭い。


 注ぐたびにこぼれそうになるし、洗うのも面倒だ。


 乳を扱うなら、口の広い器があった方がいい。


「やっぱり土器か木桶だな」


「土器、ですか?」


「ああ。口が広くて、安定して置ける器が欲しいんだ。粘土を焼いて作れないかなと思ってる」


「粘土を……焼く?」


「そう。火で焼いて固めるんだ」


 村長の女性が、足元の土を見る。


「土を焼いて……器に?」


「ああ。上手くいくかは分からないけどな」


 どうやら、この集落には磨製石器くらいならあるらしい。


 それなら、土器を作るための技術も、そのうち身につけられるかもしれない。


 そう考えたときだった。


「ベェー……」


 足元から、細い声が聞こえた。


 振り返る。


 さっきの子ヤギだった。


 小さな脚で土を踏み、母親の周りをうろうろしている。


「ベェー」


「ベェー」


「ベェー」


「……元気だな、お前ら」


 俺がしゃがむと、三頭が一斉にこちらを見る。


 大きな目。


 細い脚。


 まだ毛も柔らかそうだ。


 そして母山羊が戻ってきた瞬間――。


 三頭が同時に走り出した。


 ぱたぱたと土を蹴る。


 小さな砂埃が舞う。


「おいおい」


 俺が見ている前で、三頭とも母親の腹へ潜り込んだ。


 頭を押し込む。


 肩で押す。


 一頭が別の一頭を押しのける。


「ちょ、待て待て」


 思わず苦笑する。


「三頭いるのに……」


 俺は腹の下を覗き込んだ。


「乳首は二つしかないぞ」


「ええ」


「一頭は待つのか?」


「そうなります」


「…………」


 なんとも世知辛い。


 案の定、一番小さい一頭が押し出された。


「ベェー……」


 子ヤギは母親を見ながら、数歩下がる。


 前脚を交互に踏み、落ち着かない様子で鳴いている。


「うーん……」


 見ているだけなのに、妙に胸がざわつく。


「ほら。もう少し待て」


 当然、言葉なんて通じない。


 それでも、なぜか声を掛けてしまう。


 やがて最初の二頭が顔を上げた。


 待っていた一頭が、すぐに母親へ駆け寄る。


 今度は誰にも押し出されない。


 頭をぐっと押し込み、夢中で乳を吸い始める。


「……よかった」


 俺は知らず知らずのうちに息を吐いていた。


 ふっと肩の力が抜ける。


 だが。


 村長の女性の顔は晴れなかった。


「でも、いつも上手くいくわけではありません」


「……そうなのか?」


「ええ」


 彼女は子ヤギたちを見ながら続ける。


「生まれた子の中には、乳を飲むのが下手な子もいます。体が弱い子もいます」


「…………」


「そういう子は、弱って、そのまま死んでしまうこともあります」


 俺は返事ができなかった。


 さっきまで可愛らしく見えていた子ヤギの姿が、急に違って見えた。


 小さな体。


 細い脚。


 必死に母親へしがみつく姿。


 それが、ちゃんと生き残れる保証なんてない。


 ここでは、生きることそのものが難しい。


 俺は視線を落とした。


 四つの革袋が並んでいる。


 乳が、ちゃぷん、と揺れた。


「……乳って、余ることもあるのか?」


「あります」


「どうする?」


「飲めるうちは飲みます。余った分は、ヤシ酒と混ぜて乳酒にすることもあります」


「それでも余ったら?」


 村長の女性は少しだけ黙った。


「……捨てることもあります」


「やっぱりか」


 俺は革袋を軽く叩いた。


 ちゃぷん。


 中身が揺れる。


 まだ新鮮だからこそ分かる。


 これが時間とともに変わっていく。


 気温が高ければ、なおさらだ。


「腐る前に、別のものへ変えられればいいんだけどな」


「別のもの?」


「ああ。ヨーグルトとか、チーズとか」


「ヨーグルト……?」


 村長の女性が首を傾げる。


「ああ。乳を少し酸っぱくして、固まりかけたような食べ物だ」


「乳を……酸っぱくするのですか?」


「そう。まあ、言葉で説明するより、実際に見た方が早い」


「そんな食べ物があるのですか?」


「ああ」


 俺は少し考えた。


 現代ならスマホを出せば終わる。


 動画を見れば作り方はいくらでも出てくる。


 だが、ここにはスマホもない。


 ネットもない。


 温度計もない。


 冷蔵庫もない。


 まともな金属鍋すらない。


「……全部、自分の頭でやるしかないか」


 記憶を掘り起こす。


 乳は発酵させることで酸味が出る。


 水分を抜けば、チーズになる。


 脂肪を集めれば、バターになる。


 ただ。


 問題は、この環境だ。


「まあ、やってみるか」


「できますか?」


「分からん」


 俺は苦笑した。


「でも、やらないよりはマシだ」


     ◇


 まずは、乳を発酵させる。


 器を洗う。


 布で何度も拭く。


 それでも現代のように清潔にはできない。


「これで……いいか」


 乳を器へ注ぐ。


 白い液体が、ゆっくりと底に溜まっていく。


 乳の表面が揺れる。


 鼻を近づけると、ほんのり甘い匂いがした。


 暖かな場所へ置く。


 あとは待つ。


 半日。


 一日。


 そして翌朝。


 布を外す。


「…………ん?」


 匂いが違う。


 鼻を近づける。


 酸っぱい。


 昨日とは明らかに違う。


「腐った……?」


「どうですか?」


 村長の女性が覗き込む。


「分からん」


 俺は指先に少しだけ付ける。


 一度、匂いを嗅ぐ。


 そして、ほんの少し舐める。


「……酸っぱいな」


 嫌な腐敗臭はない。


 だが、安全だと断言できるほど自信もない。


「発酵してる……とは思う」


「食べられますか?」


「たぶんな。でも、何が増えてるかまでは分からない」


 俺は木の匙を差し入れる。


 ぐっ。


「……お?」


 昨日までさらさらだった乳が、少し重い。


 匙を持ち上げる。


 とろり。


 白い乳が、細く伸びて落ちる。


「おお……」


 思わず顔が緩んだ。


「ヨーグルトっぽくなってる」


 村長の女性も覗き込む。


「これが……?」


「ああ。こういう感じだ」


 ただ、見た目はきれいでも、現代のヨーグルトとは違う。


 表面も少しざらついている。


 俺は少しだけ口にする。


 酸味が広がる。


 舌に残る感触も、少し粗い。


「……うん」


 もう一口。


「少なくとも、変な味はしない」


「では?」


「少量なら食べられそうだ。ただ、これが毎回安全に作れるとは限らない。何度も試して、様子を見た方がいい」


 村長の女性も恐る恐る口をつける。


 しばらく黙る。


「……酸っぱいです」


「だろ?」


「でも……おいしい」


「なら、一歩前進だな」


 俺も笑った。


 とはいえ、これだけでは保存食とは言い切れない。


 もっと水分を抜けばいい。


「次は固めてみるか」


     ◇


 布を広げる。


 そこへ発酵した乳を流し込む。


 白い液体が布へ染み込み、ぽた、ぽた、と落ちていく。


 足元へ小さな水たまりができる。


「おお……」


 布を吊るす。


 時間が経つ。


 ぽた。


 ぽた。


 ぽた。


 最初は流れ続けていた液体が、少しずつ減っていく。


 布の中身が重くなる。


「そろそろか?」


 布を開く。


 白い塊が現れた。


 指で押す。


 ぐに。


「これ……」


 俺は思わず笑った。


「チーズっぽいな」


 塩を加える。


 指先で揉む。


 ざらざらとした感触。


 さらに布で包み、上から押す。


 じわり、と水分が滲み出る。


「……よし」


 もう一度、押す。


 掌に力を入れる。


 腕に力が入る。


 やがて。


「できた」


 手のひらに乗るくらいの白い塊。


 形は不格好だ。


 それでも、ただの乳ではない。


「……これ、なんですか?」


「ああ。乳を固めて、水分を抜いたものだ」


「これも乳?」


「そう」


 俺は少し笑う。


「俺もこんな方法で作ったことはないけどな」


 村長の女性が、白い塊をじっと見る。


「食べても?」


「ああ」


 先に俺が少し口に入れる。


 酸味。


 塩気。


 そして、濃い乳の味。


「……うん」


 噛む。


 少しざらつく。


 でも、ちゃんと食べられる。


「成功だ」


 村長の女性も口にする。


 目が少し大きくなる。


「……乳なのに」


「ああ」


「まるで別の食べ物ですね」


「そういうものなんだ」


 俺はチーズを眺めた。


 すると、別の記憶が浮かぶ。


「……そうだ」


「どうしました?」


「バターもいけるかもしれない」


     ◇


 革袋に乳を入れる。


 パンパンにはせず、少し空間を残す。


 両手で抱える。


「確か……こうだ」


 俺は革袋を振り始めた。


 ぶん。


 ぶん。


 ぶん。


 革袋の中で乳が揺れる。


 ちゃぷ。


 ちゃぷ。


「…………」


 変化はない。


 もう一度。


 ぶん。


 ぶん。


 ぶん。


「…………何も起きないな」


「まだですか?」


「まだだ」


 額に汗が浮く。


 呼吸が少しずつ荒くなる。


「ふっ……」


 腕を振る。


 ぶん。


 ぶん。


 ぶん。


「……重い」


 革袋が、腕に食い込む。


 肩が痛い。


 肘が重い。


 呼吸を整える。


「はぁ……はぁ……」


 それでも続ける。


 現代なら機械がやってくれる。


 ここでは、自分の腕だ。


「……こんなの、家電のありがたみを思い知るな」


 苦笑しながら、また振る。


 ぶん。


 ぶん。


 ぶん。


「はぁ……」


 頬を汗が伝う。


 暑い。


 腕が熱い。


 肩が焼けるようにだるい。


「まだ……」


 ぶん。


 ぶん。


 ぶん。


 そのときだった。


「……ん?」


 手に伝わる感触が変わった。


 さっきまで、ちゃぷちゃぷしていた。


 それが――。


 少しだけ重い。


「……止まれ」


 自分で言ってしまう。


 革袋を耳元へ持っていく。


 揺らす。


 音が違う。


「もう一度だ」


 ぶん。


 ぶん。


 ぶん。


 今度はさっきより、はっきりと手応えがあった。


「…………!」


 俺は急いで革袋を開く。


 白い液体の中。


 小さな白い塊がいくつも浮いている。


「おお……!」


 思わず身を乗り出す。


「できてる……!」


「本当に?」


「ああ!」


 指を入れてすくい上げる。


 ぬるり。


 柔らかな脂肪の塊が指にまとわりついた。


「これだ……!」


 俺は笑った。


 疲れて息が上がっているのに、そんなことはどうでもよかった。


 少しずつ集める。


 手のひらでまとめる。


 握る。


 水分を抜く。


 またまとめる。


「まだだ……もう少し……」


 指先で押す。


 白い塊が少しずつ一つになっていく。


 塩を少し混ぜる。


 そして――。


 手のひらに、小さな塊が残った。


「……バターだ」


 白っぽい。


 ほんの少ししかない。


 それでも、確かにバターだった。


 俺は指先で少しだけすくい、舐める。


「…………」


 舌の上で、ゆっくり溶けていく。


「……うまい」


 思わず笑う。


「はぁ……はぁ……」


 まだ息が上がっている。


 腕は痛い。


 肩も重い。


 それでも、不思議と疲れが気にならない。


「ほら」


 俺は村長の女性へ差し出した。


 彼女は指先で少しだけすくう。


 口に入れる。


 目を閉じる。


 そして。


「……おいしい」


「だろ?」


「少ないですね」


「うん」


 二人で手のひらの上を見る。


 ほんの少しのバター。


「これはもっと効率を上げないとな」


 俺は苦笑した。


「山羊乳は、これだけ作るのにも大変だ」


「でも、作れる」


「ああ」


 それが大事だった。


 少なくとも、方法そのものは使える。


 あとは道具だ。


 容器だ。


 工程だ。


 何度も試して、無駄を減らしていけばいい。


「チーズに、バターか……」


 俺は出来上がったものを眺める。


 元は、ただの乳だった。


 発酵させる。


 水分を抜く。


 脂肪を集める。


 それだけで、違う食べ物になる。


「……面白いな」


 俺が呟くと、村長の女性が頷いた。


「これなら、傷んでしまった乳を捨てなくて済みますね」


「ああ」


「作り方を、みんなに教えてください」


「もちろん」


 俺は頷いた。


「ただし、最初から毎回成功するとは思わない方がいい」


「そうなのですか?」


「ああ。温度も分からないし、どれくらい置けばいいかも、この環境じゃ一定じゃない。何度も試して、覚えていくしかない」


「分かりました」


 村長の女性はチーズを大切そうに持った。


 俺は、その横にある山羊の群れを見る。


 子ヤギたちは、まだ母親にまとわりついていた。


「ベェー」


「ベェー」


 小さな鳴き声が響く。


 俺は思う。


 保存できる。


 乳を無駄にしなくていい。


 そうなれば、乳が多く取れる時期にも対応できる。


 もっと乳を利用できるなら――。


「山羊、増やせるかもしれないな」


「増やす、ですか?」


「ああ」


 俺は群れを見た。


 もちろん、簡単じゃない。


 餌がいる。


 水がいる。


 世話をする人手がいる。


 病気になれば死ぬ。


 それでも。


 一頭増えるだけでも、乳は増える。


 乳が増えれば、食料も増える。


「……一つずつだな」


 俺は小さく息を吐いた。


 ここは現代じゃない。


 欲しい道具を店で買うこともできない。


 失敗したら、また最初からやり直す。


 だからこそ。


 乳を搾る。


 発酵させる。


 固める。


 振る。


 失敗する。


 また試す。


 その繰り返しだ。


 そうやって積み重ねた小さな工夫が、いつかこの集落の暮らしを変えていくのかもしれない。


「……よし」


 俺は立ち上がった。


 膝を伸ばすと、少しだけ関節が鳴った。


「次は、もっと大きな器が必要だな」


「土器、ですね?」


「ああ」


 俺は革袋を持ち上げる。


 ずしり。


 腕に重みがかかる。


「これを毎日扱うなら、もっと楽にしないとな」


 少し離れたところから、


「ベェー!」


 元気な鳴き声が飛んできた。


 俺は振り返る。


 母山羊の足元で、三頭の子ヤギが跳ねている。


 さっきまで押し合っていたのが嘘みたいだ。


 俺は思わず笑った。


「分かった分かった」


 革袋を抱え直す。


「お前たちのためにも、もう少し頑張るよ」

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